千寿七福神

千寿七福神大川町氷川神社布袋尊

千寿七福神は、千住の町おこしを願い、平成4年(1992)千の寿を呼び込む七福神として発足した比較的新しい七福神霊場である。以来、多くの参詣者が訪れるようになり、地元の新春の風物詩として定着している。

千住本氷川神社:大黒天
大川町氷川神社:布袋尊
元宿神社:寿老神
千住神社:恵比寿天
白幡八幡神社:毘沙門天
河原稲荷神社:福禄寿
仲町氷川神社:弁財天

当初は3社4ヶ寺で構成されていたが、平成20年に変更があり、現在は上記の7社で構成されている。

千寿七福神について

千寿七福神は、江戸四宿の一つ・日光道中と奥州道中の第一宿である千住の町を巡る七福神霊場である。

北千住の駅前で居酒屋を営んでいた故・永見富次氏が、品川の東海七福神を参拝してその賑やかなことに感心し、同じ江戸四宿の千住にも七福神をと一念発起。千住の町おこしの一助になればと東奔西走、元から祀られていた3社1ヶ寺の恵比寿・大黒天・弁財天・毘沙門天と、新たに3ヶ寺に祀った布袋・寿老人・福禄寿を合わせ、平成4年(1992)に開創された。

発足当初の構成寺社は以下の通り。

■長圓寺:布袋尊
■本氷川神社:大黒天
■勝専寺:毘沙門天
■不動院:福禄寿
■千住神社:恵比寿天
■源長寺:福禄寿
■仲町氷川神社:弁財天

平成19年(2007)4ヶ寺が離脱したために存続が危ぶまれたが、地元の4つの神社が引き継ぐこととなり、翌平成20年(2008)から七つの神社で構成される新たな千住宿千寿七福神として再出発した。

地元の人々の熱意で守り育てられた千寿七福神は、千住の正月の風物詩として定着し、多くの参拝者を集めている。

巡拝情報

千寿七福神の巡拝期間は元旦から1月7日まで、受付時間は午前9時から午後4時までである。大川町氷川神社・元宿神社は町会の方の対応になので、通常の御朱印も七福神の巡拝期間中のみの授与となる。

巡拝コースは決まっていないが、ほぼ円形に札所が並んでいるので、北千住駅から出発する場合、千住本氷川神社から左回りで巡拝するか、仲町氷川神社から右回りで巡拝するのが便利だと思われる。

徒歩で巡拝すると2~3時間程度かかるが、参拝や御朱印の待ち時間によって大きく違ってくるので注意が必要である。

千住本氷川神社(大黒天)

千寿七福神本氷川神社久須志神社

■千住本氷川神社
御祭神:素盞嗚尊
札所本尊:大黒天
創建年代:徳治2年(1307)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都足立区千住3-22 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://motohikawa.jp/

御由緒

千寿七福神本氷川神社

千住本氷川神社は、千寿七福神開創時からの札所である。

千住三丁目の鎮守。徳治2年(1307)千葉氏が牛田に創建した氷川社を淵源とする。江戸時代の初期、牛田にあった和田宿が移転し、千住三丁目とされたため、有志が土地を奉納して現社地に分社を建立した。

明治43年(1910)荒川放水路が建設されるに当たり、その用地に当たる牛田の氷川神社を千住三丁目の分社へ合祀。その後、千住本氷川神社と改称した。

千寿七福神本氷川神社大黒天

千寿七福神の大黒天は、久須志神社・三峯神社とともに境内末社(旧本殿)に祀られている。この社殿は、昭和45年(1970)現在の本社社殿を新築した際、旧本殿の上屋根に旧拝殿の向拝部分を接続・改築したもので、足立区の文化財に指定されている。ご神像は七福神の巡拝期間、社殿内でご開帳されている。

御朱印

千住本氷川神社千寿七福神大黒天の御朱印

平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は「神璽」。右上の印は「招福」、左下は「千住本氷川神社」。

アクセス

□仲町氷川神社(弁財天)より徒歩約13分
□大川町氷川神社(布袋尊)より徒歩約10分

□JR常磐線・東京メトロ・東武スカイツリーライン他「北千住駅」より徒歩約7分

大川町氷川神社

千寿七福神大川町氷川神社布袋尊

■氷川神社
通称:大川町氷川神社・五丁目大川町氷川神社
御祭神:素盞嗚尊・倉稲魂命
札所本尊:布袋尊
創建年代:永仁2年(1294)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都足立区千住大川町12-3 [Mapion|googlemap]

御由緒

千寿七福神大川町氷川神社

大川町氷川神社は、平成20年(2008)新たに千寿七福神に参加した4社のうちの一つである。

千住五丁目と千住大川町の鎮守。伝承によれば、この辺りは延喜年間(901~23)に開墾が始まり、永仁2年(1294)素盞嗚尊を勧請して鎮守としたという。元は千住五丁目に鎮座していたが、荒川放水路開削工事のため、大正4年(1915)現社地に遷座した。

境内にある富士塚は「千住川田浅間神社富士塚」と呼ばれ、文政7年(1824)の築造。元は現在地の西北にあったが、荒川放水路の開削に伴って移築された。その他にも旧千住新橋の標柱や紙すき碑などがある。

札所本尊の布袋尊は境内に安置された石像で、旧札所の長圓寺から遷されたもの。参拝は通年可能だが、御朱印等は町会の方の対応なので、巡拝期間中のみの授与である。期間中は氷川神社の御朱印もいただくことができる。

御朱印

大川町氷川神社千寿七福神布袋尊の御朱印

 

平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は「氷川神社」。右上の印は「来福」、左下は「五丁目大川町氷川神社」。

アクセス

□千住本氷川神社(大黒天)より徒歩約10分
□元宿神社(寿老神)より徒歩約10分

□JR常磐線・東京メトロ・東武スカイツリーライン他「北千住駅」より徒歩約15分

元宿神社(寿老神)

千寿七福神元宿神社寿老神

■元宿神社
御祭神:誉田別命・倉稲魂命
札所本尊:寿老神
創建年代:天正2年(1574)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都足立区千住元町33-4 [Mapion|googlemap]

御由緒

千寿七福神元宿神社

元宿神社は、平成20年(2008)新たに千寿七福神に参加した4社のうちの一つである。

当社が鎮座する千住元町は鎌倉街道が通り、古くから集落があったことから千住宿に対して元宿と称した。千住宿の開設に当たっては、多くの住民が千住四丁目に移転した。

古くは元宿八幡社と称し、天正2年(1574)当地を開拓した鈴木左衛門尉信義が土地の南東に八幡社を、北東に稲荷社を祀ったことを起源とする。昭和5年(1930)荒川放水路の工事のため稲荷社を八幡社に合祀、翌6年(1931)元宿が元町(後に千住元町)と改められたため、元宿の名を残すために現社号に改めた。

札所本尊の寿老神は境内に安置された石像で、旧札所の源長寺から遷されたもの。参拝は通年可能だが、御朱印等は町会の方の対応なので、巡拝期間中のみの授与である。期間中は元宿神社の御朱印もいただくことができる。

御朱印

元宿神社千寿七福神寿老神の御朱印

 

平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は「神璽」。右上の印は「ぼけ封じ」、右下は「千寿七福神」、左下は「元宿神社」。

アクセス

□大川町氷川神社(布袋尊)より徒歩約10分
□千住神社(恵比寿天)より徒歩約14分

□JR常磐線・東京メトロ・東武スカイツリーライン他「北千住駅」より徒歩約20分
□京成本線「千住大橋駅」より徒歩約22分

千住神社(恵比寿天)

千寿七福神千住神社願かけ恵比寿

■千住神社
御祭神:宇迦之御魂命・須佐之男命
札所本尊:恵比寿天
創建年代:延長4年(926)千代崎稲荷神社/弘安2年(1279)氷川神社
社格等:旧郷社
鎮座地:東京都足立区千住宮元町24-1 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://senjujinja.kachoufuugetu.net/

御由緒

千住神社は、千寿七福神開創時からの札所である。

千住一・二丁目の鎮守。明治6年(1873)千住宿の西にある通称・西の森に祀られていた千崎稲荷神社と氷川神社を合祀して西森神社と称し、大正4年(1915)千住神社と改めた。足立区内で郷社に列格したのは当社のみである。

千崎稲荷神社は延長4年(926)伏見稲荷大社からの勧請、氷川神社は弘安2年(1279)大宮の氷川神社からの勧請と伝えられる。

千寿七福神千住神社幸福神社

末社 幸福神社(中央)

当社では江戸時代から末社の幸福神社に恵比寿神が祀られていたという。札所本尊の恵比寿天は幸福神社の前に安置された願かけ恵比寿(回転する恵比寿天の石像)だが、七福神の期間中は幸福神社の恵比寿神像も御開帳されている。

千寿七福神千住神社恵比寿天像

幸福神社の恵比寿神像

御朱印

千住神社千寿七福神恵比寿天の御朱印

 

平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は抱き稲に三つ巴の神紋。右上の印は「願かけ」、左下は「千住神社」。

アクセス

□元宿神社(寿老神)より徒歩約14分
□白幡八幡神社(毘沙門天)より徒歩約3分

□JR常磐線・東京メトロ・東武スカイツリーライン他「北千住駅」より徒歩約13分
□京成本線「千住大橋駅」より徒歩約8分

白幡八幡神社(毘沙門天)

千寿七福神白幡八幡神社毘沙門天

■八幡神社
通称:白幡八幡神社
御祭神:誉田別尊
札所本尊:毘沙門天
創建年代:不詳/明治41年(1908)現社地に社殿建立
社格等:旧無格社
鎮座地:東京都足立区千住宮元町3-8 [Mapion|googlemap]

御由緒

千寿七福神白幡八幡神社

白幡八幡神社は、平成20年(2008)新たに千寿七福神に参加した4社の一つである。

社伝によれば、源義家が奥州征討に向かう途中、渡裸〔とら〕川の渡し場(現在の千住大橋のやや上流)に白幡を立て、戦勝を祈願した。その白幡が白幡八幡として祀られたことを起源とする。元和2年(1615)仲町氷川神社が掃部宿の鎮守となると、名主の庄左衛門が先祖伝来の白幡を奉納、白幡八幡社として合祀された。

明治41年(1908)現社地に社殿を建立して分祀、仲町氷川神社の境外末社となった。昭和20年(1945)戦災で社殿を焼失したが、昭和34年(1954)再建された。

札所本尊の毘沙門天は境内に祀られた石像で、旧札所の勝専寺から遷されたものである。

御朱印

白幡八幡神社千寿七福神毘沙門天の御朱印

平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は判読できない。右上の印は「威光成就」、右下は「千寿 千住宿 七福神」、左下は「白幡八幡宮」。

アクセス

□千住神社(恵比寿天)より徒歩約3分
□河原稲荷神社(福禄寿)より徒歩約4分

□JR常磐線・東京メトロ・東武スカイツリーライン他「北千住駅」より徒歩約12分
□京成本線「千住大橋駅」より徒歩約5分

河原稲荷神社(福禄寿)

千寿七福神河原稲荷神社福禄寿

■稲荷神社
通称:河原稲荷神社
御祭神:倉稲魂神
札所本尊:福禄寿
創建年代:不詳
社格等:旧村社
鎮座地:東京都足立区千住河原町10-13 [Mapion|googlemap]

御由緒

河原稲荷神社

平成20年(2008)新たに千寿七福神に参加した4社の一つである。

河原町の鎮守であるとともに、神田・駒込の市場とともに江戸三大市場に数えられたかつての千住青物市場(やっちゃ場)の守護神でもあった。創建年代は不詳だが、千住市場の開かれた天正年間(1573~93)まで遡るのではないかと考えられている。

境内には市場の関係者から奉納された鳥居や狛犬、天水桶などがあり、かつての市場の繁栄が偲ばれる。特に明治39年(1906)に建立された千住青物市場創立三百三十年の記念碑は、高さ4mもある見事なものである。

札所本尊の福禄寿は境内に安置された石像で、旧札所の不動院から遷されたものである。

御朱印

河原稲荷神社千寿七福神福禄寿の御朱印

 

平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は「神璽」。右上の印は「開運」、左上は「千住 千住宿 七福神」、左下は「稲荷神社」。

アクセス

□白幡八幡神社(毘沙門天)より徒歩約4分
□仲町氷川神社(弁財天)より徒歩約5分

□JR常磐線・東京メトロ・東武スカイツリーライン他「北千住駅」より徒歩約14分
□京成本線「千住大橋駅」より徒歩約4分

仲町千住神社

千寿七福神仲町氷川神社江島神社

■千住神社
通称:仲町氷川神社
御祭神:素盞嗚尊
札所本尊:弁財天(千寿弁財天)
創建年代:延喜年間(901~923)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都足立区千住仲町48-2 [Mapion|googlemap]

御由緒

仲町氷川神社

仲町千住神社は、千寿七福神開創時からの札所である。

社伝によれば、延喜年間(901~23)牛田寄の元宮に勧請された。元和2年(1616)現社地に遷座し、改めて大宮の氷川神社より御分霊を勧請して掃部宿(後の千住中組、現在の千住仲町・千住河原町・千住橋戸町・千住関屋町など)の鎮守とされた。

境内に鎮座する関屋天満宮は東都七天神に数えられる。

千寿七福神仲町氷川神社千寿弁財天

千寿七福神の弁財天は、境内末社の江島神社として祀られている岩屋に納められた石像である。この弁財天の石像は元禄2年(1689)に造立された庚申塔で、上部に日月、中央に剣と宝珠を持った弁財天、下部に「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が彫られている。弁財天を主尊とする庚申塔は大変珍しく、足立区の登録有形民俗文化財に指定されている。

御朱印

仲町氷川神社千寿七福神弁財天の御朱印

 

平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は剣と宝珠を持った弁財天の御姿。右上の印は「福徳」、左上は「千寿 千住宿 七福神」、左下は「掃部宿氷川神社」。

アクセス

□河原稲荷神社(福禄寿)より徒歩約5分
□千住本氷川神社(大黒天)より徒歩約13分

□JR常磐線・東京メトロ・東部スカイツリーライン他「北千住駅」より徒歩約9分
□京成本線「千住大橋駅」より徒歩約9分

コメント

タイトルとURLをコピーしました