下谷七福神

下谷七福神英信寺

英信寺

下谷七福神は、旧下谷区(第二次大戦後、浅草区と合併して台東区となった)の根岸・下谷・竜泉・三ノ輪を巡る七福神霊場である。

元三島神社:寿老神
■真源寺(入谷鬼子母神):福禄寿
■英信寺:三面大黒天
■法昌寺:毘沙門天
■弁天院:朝日弁財天
■正宝院(飛不動):恵比寿神
■寿永寺:布袋尊

以上の1社6ヶ寺で構成されている。ほぼ東京メトロ日比谷線の入谷駅と三ノ輪駅の間にあり、徒歩1時間ほどで手軽に回ることができる。周辺は昭和の面影を残す下町情緒豊かな地域で、震災や戦災を免れた建物も残っている。七福神の札所以外にも由緒ある寺社が多く、街の探索を楽しみながら、のんびり巡るのもよいだろう。

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下谷七福神について

下谷七福神は、昭和52年(1977)に開創され、翌年1月1日から巡拝が始まったという比較的新しい七福神霊場である。それ以前は個々に御開帳を行っていたが、七社寺揃って開帳日を定め、七福神巡りを始めたという。

因みに同じ年に地域内の鷲神社などを加えて浅草名所七福神が加えて再興されている。前年には日本橋七福神、翌年には亀戸七福神が再興されており、都内の七福神巡りが盛んになる中で、新しい七福神霊場として発足したのだろう。

江戸で最も古いとされる谷中七福神と、人気の観光地として多くの人を集める浅草名所七福神にはさまれ、知名度ではそれらに劣るものの、構成する寺社の由緒でも、下町情緒溢れる巡拝ルートでも両者に劣らぬ魅力があり、新春の風物詩として定着している。

巡拝情報

各社寺揃っての御開帳期間は1月1日~7日とのことだが、その後の対応はそれぞれの対応によるようだ。私が参拝したのは1月10日だったが、まだ開帳しているところが多かった(平成22年参拝時)。飛不動尊の公式サイトによれば、巡拝期間以降の御朱印対応は各社寺によって異なるとのことだが、通年対応しているところが多いのではないかと思われる。

札所は比較的コンパクトにまとまっているので所要時間は1時間程度だが、参拝や御朱印の待ち時間によって大きく違ってくるので注意が必要。

参拝の順番は決まってないが、札所がほぼ南北に並んでおり、元三島神社もしくは真源寺(入谷鬼子母神)から北に向かうか、寿永寺から南に向かうのが一般的。南から北へ向かう場合、JR鶯谷駅を使うのであれば元三島神社、東京メトロ入谷駅を使うのであれば入谷鬼子母神から始めるのが便利だろう。北から南に向かう場合、最寄り駅は東京メトロの三ノ輪駅になるが、JR常磐線の南千住駅も利用可能である。

元三島神社(寿老神)

下谷七福神元三島神社

■元三島神社
御祭神:大山祇命・伊弉冉尊・和足彦命・身島姫命・上津姫命・下津姫命
札所本尊:寿老神
創建年代:弘安4年(1281)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都台東区根岸1-7-11 [Mapion|googlemap]

御由緒

下谷七福神元三島神社

元三島神社は、JR鶯谷駅のすぐそばに鎮座する。

弘安4年(1281)元寇に際して河野道有は氏神である伊予国一宮・大山祇神社に戦勝を祈願し、霊験を得て大いに戦功を上げることができた。帰国後、大山祇神が夢に現れて「武蔵国に我を祀れ」と告げたため、武蔵国豊島郡の上野山内の館に祀ったことに始まると伝えられる。

寛永寺の造営に際して金杉村に遷座、さらに浅草小揚町に遷されたが(本社三島神社)、氏子地域から離れているため、根岸の氏子が協議し、熊野神社に御分霊を勧請した。元三島という社号は、かつての遷座の際、一時的に御神体を安置していたことに因むという。

札所本尊の寿老神は本殿に祀られているとのことだが、拝見することはできないようだ。

御朱印

元三島神社下谷七福神寿老神の御朱印

平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は長寿を表す桃に寿老神の御姿と「下谷寿老人」「元三島神社」、右上の印は「東都下谷寿老神」、左下は「元三島神社社務所」。

アクセス

□入谷鬼子母神・真源寺(福禄寿)より徒歩7分
□英信寺(三面大黒天)より徒歩7分

□JR山手線・京浜東北線「鶯谷駅」より徒歩約2分
□東京メトロ日比谷線「入谷駅」より徒歩約9分

入谷鬼子母神・真源寺(福禄寿)

下谷七福神真源寺福禄寿

■仏立山 真源寺
通称:入谷鬼子母神
御本尊:三宝尊・鬼子母神
札所本尊:福禄寿
創建年代:万治2年(1659)
開山:高運院日融上人
宗派:法華宗本門流
所在地:東京都台東区下谷1-12-16 [Maoin|googlemap]

略縁起

下谷七福神真源寺

真源寺は俗に入谷鬼子母神と呼ばれ、大田南畝の「恐れ入谷の鬼子母神」という洒落言葉で広く知られる。この鬼子母神像は大本山・光長寺(静岡県沼津市)の開山・日法上人の作で、その師・日蓮聖人が開眼したと伝えられる(日法上人は中老僧の筆頭で、彫刻の名手としても知られる)。

万治2年(1659)光長寺20世の高運院日融上人がこの鬼子母神像を奉じて江戸に赴き、真源寺を開いた。雑司ヶ谷の法明寺、本所の本仏寺(もしくは中山法華経寺)とともに江戸の三大鬼子母神として信仰を集めた。

下谷七福神真源寺福禄寿

下谷七福神の福禄寿は、境内のお堂に祀られている。ちょっとズングリとした可愛らしい感じの御尊像である。

御朱印

真源寺下谷七福神福禄寿の御朱印

平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は提灯に福禄寿の御姿と「下谷」「福禄寿」「入谷鬼子母神」。右上の印は「東都下谷福禄寿」、左上は石榴に「おそれ入谷の鬼子母神」、左下は「入谷鬼子母神」。

アクセス

□元三島神社(寿老神)より徒歩約7分
□英信寺(三面大黒天)より徒歩約3分

□東京メトロ日比谷線「入谷駅」より徒歩約2分
□JR山手線・京浜東北線「鶯谷駅」より徒歩約5分

英信寺(三面大黒天)

下谷七福神英信寺三面大黒天

■紫雲山 常倫院 英信寺
通称:坂本大黒堂
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:三面大黒天
創建年代:慶長年間(1596~1615)
開山:雄誉霊巌上人
宗派:浄土宗
所在地:東京都台東区下谷2-5-14 [Maoin|googlemap]

略縁起

下谷七福神英信寺

英信寺は、古くから坂本大黒堂の英信寺と呼ばれ、深川・霊巌寺の開山で知恩院の第32世となった霊巌上人が慶長年間(1596~1615)に開いたと伝えられる。当時は草庵のようなもので、紫雲庵と称したという。

明暦2年(1656)丹波篠山藩主・松平康信の子・英信が逝去し、当寺に葬られた。その姉であった豊後杵築藩主・松平英親の奥方は深く悲しみ、英信の木造を造って安置するとともに、寺号を英信寺と改めた。本堂は安永年間(1772~81)の建立で、関東大震災や先の大戦の戦火も免れて昭和48年(1973)大改修、現在に至る。

下谷七福神英信寺三面大黒天

札所本尊は右に弁財天、左に毘沙門天の顔を持つ三面大黒天。弘法大師の御作と伝えられる尊像で、本堂脇の拝所に奉安されている。

御朱印

英信寺下谷七福神大黒天の御朱印

平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は小槌に三面大黒天の御姿と「下谷」「三面大黒天 英信寺」。右上の印は「東都下谷大黒天」、左上は「坂本大黒堂」、左下は「英信寺印」。

アクセス

□入谷鬼子母神・真源寺(福禄寿)より徒歩約3分
□元三島神社(寿老神)より徒歩約7分
□法昌寺(毘沙門天)より徒歩約2分

□東京メトロ日比谷線「入谷駅」より徒歩約4分
□JR山手線・京浜東北線「鶯谷駅」より徒歩約5分

法昌寺(毘沙門天)

下谷七福神法昌寺毘沙門天

■日照山 法昌寺
御本尊:三宝尊
札所本尊:毘沙門天
創建年代:慶安元年(1648)
開山:泰運院日韶上人
宗派:法華宗本門流
所在地:東京都台東区下谷2-10-6 [Maoin|googlemap]

略縁起

法昌寺は、慶安元年(1648)大本山光長寺の23世・泰運院日韶上人によって下谷御切手町(現在の上野7丁目・下谷1丁目のあたり)に開かれたと伝えられる。元文2年(1737)現在地に移転した。現在の本堂は昭和58年(1983)落成。

境内には「たこ地蔵」が祀られている。昭和60年(1985)、元プロボクサーでコメディアンであったたこ八郎さんを偲び、由利徹・赤塚不二夫・山本晋也などの各氏によって建立されたものである。たこ八郎さんのトレードマークであったノの字の前髪や欠けた右耳が再現され、正面には本人の筆跡で座右の銘の「めいわくかけてありがとう」が刻まれている。

下谷七福神法昌寺毘沙門天

札所本尊の毘沙門天は日蓮聖人が現世安穏を祈願して開眼されたものと伝えられ、境内の毘沙門堂に祀られている。

御朱印

法昌寺下谷七福神毘沙門天の御朱印

平成22拝受の御朱印。中央の朱印は輪宝に毘沙門天の御姿と「下谷七福神 毘沙門天」「法昌寺」。右上の印は「東都下谷七福神」。左上は栗に「おたのみ下谷の毘沙門天」、左下は「日照山 法昌寺」。

アクセス

□英信寺(三面大黒天)より徒歩約2分
□弁天院(朝日弁財天)より徒歩約7分

□東京メトロ日比谷線「入谷駅」より徒歩約2分
□JR山手線・京浜東北線「鶯谷駅」より徒歩約7分

弁天院(朝日弁財天)

下谷七福神朝日弁財天

■朝日山 弁天院
通称:朝日弁財天
御本尊:釈迦牟尼仏・朝日弁財尊天
創建年代:寛永年間(1624~44)
開基:水谷伊勢守勝隆
宗派:曹洞宗
所在地:東京都台東区竜泉1-15-9 [Maoin|googlemap]

略縁起

下谷七福神朝日弁財天弁天池

弁天池

朝日山弁天院は、不忍池弁天堂(谷中七福神の弁財天)を建立した下館藩主(後の備中松山藩主)水谷勝俊によって創建された。

寛永寺が創建された時、勝俊は天海僧正と相談して不忍池に中之島を築き、弁天堂を建立した。同時に、水の谷の下屋敷にあった池(弁天池)にも弁財天を祀り、これを姉妹弁天として、西方の不忍池を夕日、当方の水の谷を朝日弁財天と称したと伝えられる。

かつて、この弁天池は約8,000平方メートルもある深い池で、弁天堂のあった琵琶の形の中之島は松や柏の大木が鬱蒼と茂っていたという。しかし、大正12年(1923)の関東大震災の後、当局によって焼土の処分場として埋め立てられ、その名残としてわずかに小さな池を残すのみとなっている。

御本尊の朝日弁財天は頭上に宇賀神をいただいた八臂弁財天で、本堂内に祀られている。

御朱印

朝日弁財天下谷七福神の御朱印

平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は琵琶に弁財天の御姿と「朝日弁財天」「下谷弁天院」。下の印は「朝日弁財天」、左は「東都下谷弁財天」、左下は「朝日弁財天奉賛会印」。

アクセス

□法昌寺(毘沙門天)より徒歩約7分
□飛不動尊・正宝院(恵比寿神)より徒歩約7分

□東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」より徒歩約7分
□東京メトロ日比谷線「入谷駅」より徒歩約10分

飛不動尊・正宝院(恵比寿神)

下谷七福神正宝院恵比寿

■龍光山 三高山 正宝院
通称:飛不動尊
御本尊:不動明王
札所本尊:恵比寿神
創建年代:享禄3年(1530)
開山:正山上人
宗派:天台系単立
所在地:東京都台東区竜泉3-11-11 [Maoin|googlemap]
公式サイト:http://tobifudo.jp/

略縁起

下谷七福神正宝院

正宝院は、飛不動尊の通称で知られる修験系の寺院である。

寺伝によれば、享禄3年(1530)大峰山で修行した正山上人が当地に留錫したとき、夢に一筋の光とともに立ち昇る龍の姿を見た。そこで、村人の息災延命と自身の旅の安全を祈願し、不動尊を刻んで奉安したことに始まるという。

ある時、住職が修行のため、本尊の不動尊を笈で背負い、大峰山へと赴いた。江戸の信者達が本尊の御分身を携えて一心に祈願してたところ、不動尊が一夜にして江戸に飛び帰り、信者の願いを叶えた。以来、飛不動として広く信仰を集めるようになったという。

下谷七福神正宝院恵比寿

札所本尊の恵比寿神は「きく恵比寿」と称し、境内のお堂に祀られている。縁日の10月10日は「すべての願い事をキク」菊恵比寿の日として、「願い事がよくキクように」菊の花を供えてお参りするという。

御朱印

正宝院下谷七福神恵比寿の御朱印

平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は鯛に恵比寿神の御姿と「下谷恵比寿」「正宝院」。右上の印は「東都下谷恵比寿」、左下は「正宝院」。

アクセス

□弁天院(朝日弁財天)より徒歩約7分
□寿永寺(布袋尊)より徒歩約5分

□東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」より徒歩約7分

寿永寺(布袋尊)

下谷七福神寿永寺布袋尊

■正覚山 得生院 寿永寺
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:布袋尊
創建年代:寛永7年(1630)
開山:天蓮社暁誉位産上人/開基:得生院寿永法尼
宗派:浄土宗
所在地:東京都台東区三ノ輪1-22-15 [Maoin|googlemap]

略縁起

下谷七福神寿永寺

寿永寺は得生院寿永法尼を開基とし、増上寺22世の暁誉位産上人を開山として開創された。

寿永尼は徳川秀忠夫人の崇源院(お江)に仕えた後に出家し、秀忠の菩提を弔うために一寺を建立した。当時伝通院の住持であった位産上人に請うて開山とし、自らは開基・第二世となった。

第七世の真如敬首は高徳の僧として名高く、増上寺の走誉大僧正はその徳光を伝えるために奏聞を経て浄土律院とし、敬首を中興としたという。

下谷七福神寿永寺布袋尊

境内には石の布袋尊像が安置されている。また、巡拝期間中は本堂内でも布袋尊の像が祀られるようだ。

御朱印

寿永寺下谷七福神布袋尊の御朱印

平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は袋に布袋尊の御姿と「寿永寺」「下谷 布袋尊」。左上の印は「東都 下谷布袋尊」。左下は「金杉寿永」かとも思うが判読できない。

アクセス

□飛不動尊・正宝院(恵比寿神)より徒歩約5分

□東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」より徒歩約2分
□JR常磐線・東武スカイツリーライン「南千住駅」より徒歩約10分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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