新宿山ノ手七福神

経王寺

経王寺本堂にて

新宿山ノ手七福神は、新宿区内の神楽坂から大久保、新宿を巡る七福神霊場である。

■善国寺:毘沙門天
■経王寺:大黒天
■抜弁天厳島神社:弁財天
■永福寺:福禄寿
■法善寺:寿老人
■太宗寺:布袋和尚
稲荷鬼王神社:恵比寿神

以上の2社5ヶ寺、計7ヶ所の寺社で構成されている。神楽坂や歌舞伎町、新宿といった繁華街からスタートするのだが、途中には落ち着いた住宅街もある。周辺には寺院が多く、寺町が形成されているなど、新宿の多様な側面に触れることができるのも魅力の一つだろう。

目次

新宿山ノ手七福神について

新宿山ノ手七福神の始まりについては詳らかでない。『江戸東京札所事典』によれば昭和9年(1934)大久保の人である中村正策の発案とも、大正年間(1912~26)ほてい屋呉服店(昭和10年に伊勢丹が吸収合併)の人形研究家・有坂与太郞の発案ともいわれるとする。経王寺の公式サイトは昭和中頃の創設であろうとする。新宿区の資料は昭和9年もしくは昭和初期としているようだ。

昭和4年(1929)の『昭和人事総覧』に「東京近郊の七福神は向島(隅田川七福神)・亀戸(亀戸七福神)・谷中(谷中七福神)・目黒(元祖山ノ手七福神)の4ヶ所」とあるので、これ以降であることは間違いないだろうと思われる。

新宿山ノ手七福神の創設年代を考える時、その手がかりとなるのが「新宿山ノ手」という名称である。

この七福神霊場を戦前の区で見ると、牛込区(善国寺・経王寺)、淀橋区(厳島神社・永福寺・法善寺・稲荷鬼王神社)、四谷区(太宗寺)の3区にまたがっている。

牛込区・四谷区・淀橋区が合併して新宿区となったのは昭和22年(1947)である。それ以前、新宿といえば四谷区内の旧内藤新宿町(新宿一~三丁目あたり)と淀橋区内の新宿駅周辺を指す地名であった。

一方、戦前の山ノ手は旧小石川区・本郷区・牛込区・四谷区と麹町区の番町・麹町地域、淀橋区の東大久保あたりを指し、特に神楽坂は山ノ手一の繁華街として知られていた(昭和に入って新宿駅周辺が取って代わるようになる)。つまり、戦前の創設であれば、この七福神霊場がある地域の総称は「新宿」より「山ノ手」が相応しかったと考えられる。

以上のことから考えると、昭和9年に「山ノ手七福神」として創設されたが、目黒の山手七福神(元祖山手七福神)と区別するため、戦後「新宿」を冠するようにするのが妥当ではないだろうか。因みに目黒の山手七福神に「元祖」を冠するようになったのも新宿の山ノ手七福神と区別するためとされている。

もし戦後の創設であれば「山ノ手」ではなく「新宿七福神」になっていたのではないかと思われる。

新宿山ノ手七福神は、七福神霊場としてはそれほど古いわけではないが、江戸三大毘沙門天の善国寺、江戸六弁天の抜弁天厳島神社、江戸三大閻魔や江戸六地蔵があることで知られる太宗寺など、古くから庶民の信仰を集めてきた寺社が名を連ねている。

この七福神の御朱印は、神名や種字ではなく、それぞれの福神に因む徳目になっているのが珍しい。

新宿山ノ手七福神公式サイト

巡拝情報

新宿山ノ手七福神は、年間を通して御朱印や授与品の対応をしている。対応時間は9時から17時である。ただし、抜弁天厳島神社での対応は1月1日~7日のみで、それ以外の期間は西向天神社(抜弁天厳島神社から徒歩4分ほど)で対応している。

御開帳については、寺社ごとに異なっている。

■善国寺:1月の寅の日と5月・9月の最初の寅の日。
■経王寺:1月1日~7日と年6回の甲子の日
■抜弁天厳島神社・稲荷鬼王神社:御開帳は行わない。

巡拝ルートは特に決められておらず、好きなところから廻ればよい。ただ、構成する寺社が神楽坂から新宿に向かって並んでいるので、神楽坂から新宿方面に向かうか、逆に新宿から神楽坂方面に向かうのが一般的である。

所要時間は約2時間半だが、御朱印の待ち時間によって大きく変わる可能性があるので注意が必要である。バス・電車利用で約90分とのことだが、あまり便利ではないと思われる。

なお、公式サイトのモデルコースでは新宿方面の起点・終点を稲荷鬼王神社にしているのだが、太宗寺にした方が少し距離が短くなるのではないかと思われる。西武新宿駅を使うのであれば稲荷鬼王神社のほうが便利だが、新宿駅からだと太宗寺から始めることをお勧めする。

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善国寺(毘沙門天)

善国寺本堂

本堂

鎮護山 善國寺
通称:神楽坂毘沙門天
御本尊:三宝尊
札所本尊:毘沙門天
創建年代:文禄4年(1595)
開基:徳川家康/開山:佛乗院日惺上人
宗派:日蓮宗
所在地:東京都新宿区神楽坂5-36 [Mapion|googlemap]
公式サイト:https://www.kagurazaka-bishamonten.com/

略縁起

善国寺山門

山門

善国寺は神楽坂の毘沙門さまとして名高く、江戸三大毘沙門天に数えられる。

開山の佛乗院日惺上人は関白二条昭実の子で、徳川家康と親交があった。日惺が池上本門寺貫首に迎えられてから9年後の天正18年(1590)、徳川家康が江戸城に入った。日惺はさっそく祖父伝来の毘沙門天の前で天下泰平の祈祷を修した。これを聞いた家康は日本橋博労町に寺地を寄進し、自ら鎮護山善國寺と名付けて開基となった。

水戸光圀もこの毘沙門天を深く崇敬し、寛文10年(1670)に善国寺が焼失すると、麹町に再建した。その後、寛政4年(1792)の大火により神楽坂の現在地に移転、以来、神楽坂の毘沙門さまとして広く信仰を集めた。界隈は善国寺の門前町として賑わい、明治の初期には花街もできた。また、東京で縁日の露店が出るようになったのも善国寺が発祥とされる。

毘沙門天は本堂内、向かって左側に祀られている。正月の初寅・二の寅、5月と9月の初寅の日に御開帳され、御祈祷を受けることができるとのこと。新宿区の文化財に指定されている。

毘沙門天と虎とのゆかりは、物部守屋征討の戦勝祈願をした聖徳太子が、寅の年の寅の日の寅の刻に毘沙門天を感得したという信貴山の伝承による。このことから、毘沙門天を祀る寺院には狛犬の代わりに虎の像を置くことが多く、善国寺の本堂前にも立派な虎の石像がある。

御朱印

善国寺毘沙門天の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「長完功名(長く功名を完うす)」。右上の印は「毘沙門天」。左下は「譱國寺」で、「譱(羊+言+言)」は「善」の正字。

アクセス

□経王寺(大黒天)より徒歩15分

□東京メトロ有楽町線・大江戸線「飯田橋駅」より徒歩5分
□JR中央総武線「飯田橋駅」より徒歩7分
□東京メトロ東西線「神楽坂駅」より徒歩6分
□都営大江戸線「牛込神楽坂駅」より徒歩6分

経王寺(大黒天)

経王寺大黒天

庫裏

大乗山 経王寺
御本尊:三宝尊
札所本尊:開運大黒天
創建年代:寛永7年(1630)以前
開山:尊重院日静上人
宗派:日蓮宗
所在地:東京都新宿区原町1-14 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.kyoouji.gr.jp/

略縁起

経王寺

経王寺全景

経王寺は、尊重院日静上人により市谷田町に創建された。明暦の大火により焼失し、寛文8年(1668)市谷川田久保町に移転、さらに天和2年(1682)現在地に移った。その後も火災によって何度も堂宇が焼失したが、その度に再建されたという。

札所本尊の開運大黒天は、日蓮聖人の高弟で中老僧の日法上人作と伝えられ、日静上人が身延より移してきたものである。日法上人は優れた仏師・建築家として知られている。たびたびの火災から焼失を免れたため「火伏せの大黒天」として江戸庶民の信仰を集めたという。

正月期間中は本堂脇の庫裏で御開帳されており、御朱印もそこでいただくことができる。年6回ある甲子の日にも御開帳がある。

御朱印

経王寺大黒天の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「自守其有(自らその有を守る)」。右上の印は「大黒天」、左下は「經王寺」。

アクセス

□善国寺(毘沙門天)より徒歩15分
□抜弁天厳島神社(弁財天)より徒歩13分

□都営大江戸線「牛込柳町駅」より徒歩すぐ
□東京メトロ東西線「早稲田駅」より徒歩15分
□都営新宿線「曙橋駅」より徒歩15分

抜弁天厳島神社(弁財天)

抜弁天厳島神社

本殿

厳島神社
通称:抜弁天
御祭神:市杵島姫命(弁財天)
創建年代:伝・寛治年間(1087~94)
社格等:旧無格社
鎮座地:東京都新宿区余丁町8-5 [Mapion|googlemap]

御由緒

抜弁天厳島神社

境内

抜弁天の通称で知られる厳島神社は、不忍池(谷中七福神)や冬木(深川七福神)の弁財天とともに江戸六弁天の一に数えられる。

社伝によれば、後三年の役で奥州に向かう八幡太郎源義家がこの地に陣を張り、安芸国の厳島神社の弁財天に戦勝を祈願した。無事に奥州を平定した義家が凱旋の途中、奉賽として当地に厳島神社の御分霊を勧請したのが始まりとされる。

境内を南北に通り抜けられることから「抜弁天」と呼ばれ、義家の故事にあやかって「苦難を切り抜ける」弁財天として信仰を集めた。

御朱印

御朱印は、1月1日~7日は抜弁天厳島神社で、それ以外の期間は西向天神社でいただくことができる。

抜弁天厳島神社の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「幽貞之操」、「幽貞」は淑やかで物静かなこと。右上の印は「辨財天」、左下は「嚴島神社」。

アクセス

□経王寺(大黒天)より徒歩13分
□永福寺(福禄寿)より徒歩2分
□法善寺(寿老人)より徒歩2分

□西向天神社へ徒歩4分

□都営大江戸線「若松河田駅」より徒歩5分
□東京メトロ副都心線・都営大江戸線「東新宿駅」より徒歩6分
□東京メトロ丸ノ内線・副都心線・都営新宿線「新宿三丁目駅」より徒歩11分

永福寺(福禄寿)

永福寺福禄寿

福禄寿の祠

大久保山 永福寺
御本尊:釈迦如来
札所本尊:福禄寿
創建年代:江戸時代の初め
開基:貴雲尊悦/開山:桂屋瑞漱
宗派:曹洞宗
所在地:東京都新宿区新宿7-11-2 [Mapion|googlemap]

略縁起

永福寺

本堂

大久保山永福寺は、古くは大窪山と号したという。開基の貴雲尊悦は慶長15年(1610)入寂、開山の桂屋瑞漱は万治2年(1659)入寂ということなので、それ以前の創建であろう。

境内に入ると金銅の大日如来と地蔵菩薩の像があるが、どちらも元は抜弁天の旧別当・二尊院にあったもので、明治初めに同院が廃寺となった際、永福寺に遷された。

永福寺の福禄寿は境内の祠に祀られている。祠の中に福禄寿の像と、福禄寿に似た形の石が祀られているのだが、これについては次のような話がある。

嘉永年間(1848~54)植木屋の鈴木源蔵が信州善光寺に参拝した折、犀川で福禄寿に似た石を見つけた。源蔵はこれを自宅に持ち帰って家宝とし、毎日礼拝供養していたところ、日ごとに家が栄えたという。新宿山ノ手七福神が開かれた際、源蔵の子孫が世の人々のためにこの家宝を公開することとし、豊香園(植木屋)より永福寺に遷し祀られたという。

御朱印

永福寺福禄寿の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「遊君子間(君子の間に遊ぶ)」。右上の印は「福禄寿」、左下は「永福寺」。

アクセス

□抜弁天厳島神社(弁財天)より徒歩2分
□法善寺(寿老人)より徒歩3分
□稲荷鬼王神社(恵比寿神)より徒歩8分

□東京メトロ副都心線・都営大江戸線「東新宿」より徒歩5分
□都営大江戸線「若松河田駅」より徒歩6分
□東京メトロ丸ノ内線・副都心線・都営新宿線「新宿三丁目駅」より徒歩13分

法善寺(寿老人)

法善寺庫裏

庫裏

春時山 光清院 法善寺
御本尊:三宝尊
札所本尊:寿老人
創建年代:不詳/中興:貞享年間(1684~88)
開山:実相院日相上人/中興開基:池田綱清
宗派:日蓮宗
所在地:東京都新宿区新宿6-20-16 [Mapion|googlemap]

略縁起

法善寺

本堂

法善寺は、江戸で最初に七面明神を勧請した寺として知られ、『江戸名所図会』にも大久保七面宮として描かれている。貞享年間(1684~88)実相院日相上人が鳥取藩二代藩主・池田綱清の外護を受け、荏原郡大森村にあった寺を移転再興する形で開創した。

甲斐の七面山に鎮まる七面明神は七面天女・七面大菩薩とも称する。身延山の鎮守であり、法華経守護の神として信仰を集めた。当寺に祀られた七面明神は仏像彫刻の名手として名高い中正院日護上人の作で、池田綱清が篤く信仰していた像と伝えられる。極彩色の典型的な江戸時代の七面明神像とのことで、新宿区の有形文化財に指定されている。

『江戸名所図会』には、その昔、駿河国大久保に三沢某が勧請し、万治年間(1658~61)当寺に移した、或いは延宝年間(1673~81)身延山から遷された、とある。

寿老人の像は本堂脇の庫裏に祀られており、御朱印もそちらでいただくことができる。

御朱印

法善寺寿老人の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「避名利全天寿(名利を避け、天寿を全うす)」。右上の印は「壽老人」、左下は「法善寺」。

アクセス

□抜弁天厳島神社(弁財天)より徒歩2分
□永福寺(福禄寿)より徒歩3分
□太宗寺(布袋尊)より徒歩12分
□稲荷鬼王神社(恵比寿神)より徒歩10分

□東京メトロ副都心線・都営大江戸線「東新宿駅」より徒歩7分
□都営大江戸線「若松河田駅」より徒歩7分
□東京メトロ丸ノ内線・副都心線・都営新宿線「新宿三丁目駅」より徒歩13分

太宗寺(布袋和尚)

太宗寺布袋和尚

布袋和尚像

霞関山 本覚院 太宗寺
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:布袋和尚
創建年代:寛文8年(1668)
開山:念誉故心学玄和尚
宗派:浄土宗
所在地:東京都新宿区新宿2-9-2 [Mapion|googlemap]

略縁起

太宗寺不動堂

不動堂

太宗寺は慶長元年(1596)頃、太宗という僧がこの地に建てたという太宗庵を起源とする。太宗は土地の人々の信望を集め、徳川家康江戸入府に際してこの辺りを屋敷地として拝領した内藤家(後の信濃高遠藩主)の帰依も得た。

寛永6年(1629)太宗が内藤正勝の葬儀を取り仕切り、墓所もここに置いたことから、寛文8年(1668)内藤重頼が寺地を寄進して寺を建立。正勝の法名から本覚院、太宗庵主に因んで太宗寺と号し、内藤家の菩提寺となった。

境内には江戸三大閻魔に数えられる「内藤新宿のお閻魔さま」と「しょうづかのばあさん」と呼ばれる奪衣婆像をはじめ、江戸六地蔵第二番の大金銅地蔵、三日月不動、塩かけ地蔵などが祀られ、大いに江戸庶民の信仰を集めた。東京都の有形文化財に指定されている銅造地蔵菩薩坐像をはじめ、文化財も多い。

布袋和尚の像は三日月不動を祀る不動堂で御開帳される。

御朱印

太宗寺布袋尊の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「遊戯三昧」。禅の言葉で、何事にもとらわれることなく仏の境地に遊ぶこと、あるいは嫌なことでも、やることそのものを楽しむことの意。右上の印は「布袋和尚」、肥大下は「太宗寺」。

アクセス

□法善寺(寿老人)より徒歩12分
□稲荷鬼王神社(恵比寿神)より徒歩13分

□東京メトロ丸ノ内線「新宿御苑駅」より徒歩2分
□東京メトロ丸ノ内線・副都心線・都営新宿線「新宿三丁目駅」より徒歩5分
□JR山手線・中央線「新宿駅」より12分

稲荷鬼王神社(恵比寿神)

稲荷鬼王神社三島神社

三島神社(恵比寿神社)

稲荷神社
通称:稲荷鬼王神社
御祭神:宇賀能御魂命・鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)
創建年代:承応2年(1653)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都新宿区歌舞伎町2-17-5 [Mapion|googlemap]

御由緒

稲荷鬼王神社

稲荷鬼王神社拝殿

稲荷鬼王神社は、承応2年(1653)当地一帯の総鎮守であった諏訪村の諏訪神社の末社・福瑳稲荷を勧請し、西大久保村新田町の鎮守としたものである。鬼王権現は宝暦2年(1752)百姓の田中清右衛門という者が紀州から勧請して自宅に祀っていたが、天保2年(1831)当社に合祀したと伝えられる。

恵比寿神は境内末社の三島神社(恵比寿神社)に祀られている。この御神像は松平出雲守から同家の祈願所であった東大久保村の二尊院(抜弁天厳島神社の旧別当)に奉納されたものと伝えられる。嘉永6年(1853)二尊院が火災に遭ったため、同院の別当を兼ねていた大乗院(当社の別当で、明治の神仏分離後に復飾して社家となった)に遷し、その後、現在の場所に祀られたという。

御朱印

恵比寿神の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「不貪権勢(権勢を貪らず)」。恵比寿神は福を表す鯛と、その福を釣る釣竿を持つことから商売繁盛の神とされるが、釣竿は「釣りして網せず」すなわち暴利を貪らない清い心を表すとされる。右上の印は「恵比寿」、左下は「鬼王神社」。

アクセス

□永福寺(福禄寿)より徒歩8分
□法善寺(寿老人)より徒歩10分
□太宗寺(布袋和尚)より徒歩13分

□東京メトロ副都心線・都営大江戸線「東新宿駅」より徒歩2分
□西武新宿線「西武新宿駅」北口より徒歩7分
□東京メトロ丸ノ内線・都営新宿線「新宿三丁目駅」より徒歩10分
□JR山手線・中央線他「新宿駅」より徒歩12分

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