歴代天皇陵の現代の御陵印と過去に用いられた旧御陵印を紹介する。ここでは第18代反正天皇から第38代天智天皇まで20の御陵印を取り上げる(第37代斉明天皇は第35代皇極天皇が重祚しているため21代で20となる)。各御陵は宮内庁治定のものである。
なお、旧御陵印は私の手許の資料によるが、御陵によっては御陵印を作り替えることがあったため、ここで紹介するもの以外にも存在したことがわかっている。ネット上で紹介されているものについてはリンクを貼っておく。
百舌鳥耳原北陵(反正天皇)
御陵名:百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)
被葬者:第18代 反正天皇
陵形:前方後円
所在地:堺市堺区北三国ヶ丘町2丁 [Mapion|googlemap]
陵印保管:古市陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「反正天皇百舌鳥耳原北陵」。
(2)時期不詳、昭和10年頃か。印文は「反正天皇百舌鳥耳原北陵」。
惠我長野北陵(允恭天皇)
御陵名:恵我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)
被葬者:第19代 允恭天皇
陵形:前方後円
所在地:大阪府藤井寺市国府1丁目 [Mapion|googlemap]
陵印保管:古市陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「允恭天皇惠我長野北陵」。
(2)昭和10年代。印文は「恵我長野北陵」。
※おかもと氏の「昔の集印帖」には、上の御陵印より以前に使われたと思われる印が掲載されている。
https://www.shuincho.tk/ryoin/osakafu/eganonaganonokitanomisasagi/
菅原伏見西陵(安康天皇)
御陵名:菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ)
被葬者:第20代 安康天皇
陵形:方丘
所在地:奈良県奈良市宝来4丁目 [Mapion|googlemap]
陵印保管:畝傍陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「安康天皇菅原伏見西陵」。
(2)昭和10年代。印文は「安康天皇」「菅原伏見西陵」。方形の菊は陵形(方丘)に因むと思われる。
丹比高鷲原陵(雄略天皇)
御陵名:丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)
被葬者:第21代 雄略天皇
陵形:円丘
所在地:大阪府羽曳野市島泉8丁目 [Mapion|googlemap]
陵印保管:古市陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「雄略天皇丹比高鷲原陵」。
(2)昭和10年代。印文は「丹比高鷲原陵」。
河内坂門原陵(淸寧天皇)
御陵名:河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)
被葬者:第22代 清寧天皇
陵形:前方後円
所在地:大阪府羽曳野市西浦6丁目 [Mapion|googlemap]
陵印保管:古市陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「清寧天皇河内坂門原陵」。
(2)昭和10年代。印文は「清寧天皇河内坂門原陵」。
傍丘磐坏丘南陵(顯宗天皇)
御陵名:傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)
被葬者:第23代 顕宗天皇
陵形:前方後円
所在地:奈良県香芝市北今市 [Mapion|googlemap]
陵印保管:畝傍陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「顯宗天皇傍丘磐坏丘南陵」。
(2)昭和5年。枠は前方後円墳の形で第7代孝霊天皇の印と同形、印文は「顯宗天皇傍丘磐坏丘南陵」。
(3)時期不詳、昭和10年頃か。(2)とほぼ同じだが細部に違いがあり、印を新調したものと思われる。
埴生坂本陵(仁賢天皇)
御陵名:埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)
被葬者:第24代 仁賢天皇
陵形:前方後円
所在地:大阪府藤井寺市青山3丁目 [Mapion|googlemap]
陵印保管:古市陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「仁賢天皇埴生坂本陵」。
(2)昭和10年代。印文は「仁賢天皇埴生坂本陵」。
傍丘磐坏丘北陵(武烈天皇)
御陵名:傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)
被葬者:第25代 武烈天皇
陵形:山形
所在地:奈良県香芝市今泉 [Mapion|googlemap]
陵印保管:畝傍陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「武烈天皇傍丘磐坏丘北陵」。
(2)昭和5年。枠は前方後円墳の形で第7代孝霊天皇・第23代顕宗天皇の印と同形、印文は「武烈天皇傍丘磐坏丘北陵」。
(3)時期不詳、昭和10年頃か。印文は「武烈天皇傍丘磐坏丘北陵」。
三嶋藍野陵(繼體天皇)
御陵名:三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)
被葬者:第26代 継体天皇
陵形:前方後円
所在地:大阪府茨木市太田3丁目 [Mapion|googlemap]
陵印保管:桃山陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「繼體天皇三島藍野陵」。
(2)昭和11年。印文は「繼體天皇三島藍野陵」。
古市高屋丘陵(安閑天皇)
御陵名:古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)
被葬者:第27代 安閑天皇・継体天皇皇女神前皇女(墓)
陵形:前方後円
所在地:大阪府羽曳野市古市5丁目 [Mapion|googlemap]
陵印保管:古市陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「安閑天皇古市高屋丘陵」。
(2)昭和10年代。印文は「安閑天皇古市高屋丘陵」。
身狹桃花鳥坂上陵(宣化天皇)
御陵名:身狹桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)
被葬者:第28代 宣化天皇・宣化天皇皇后橘仲皇女
陵形:前方後円
所在地:奈良県橿原市鳥屋町 [Mapion|googlemap]
陵印保管:畝傍陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「宣化天皇同皇后身狹桃花鳥坂上陵」。
(2)昭和10年代。印文は「宣化天皇身狹桃花鳥坂上陵」。
(3)かつては「橘仲皇女身狭桃花鳥坂上陵」としての御陵印もあったようである。昭和16年のもの。印文は「橘仲姫皇女身狭桃花鳥坂上陵」。
檜隈坂合陵(欽明天皇)
御陵名:桧隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)
被葬者:第29代 欽明天皇
陵形:前方後円
所在地:奈良県高市郡明日香村大字平田 [Mapion|googlemap]
陵印保管:畝傍陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「欽明天皇檜隈坂合陵」。
(2)時期不詳、昭和10年頃か。印文は「欽明天皇檜隈坂合陵」。
河内磯長中尾陵(敏達天皇)
御陵名:河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)
被葬者:第30代 敏達天皇
御陵名(合葬):磯長原陵(しながのはらのみささぎ)
被葬者:欽明天皇皇后石姫皇女(※敏達天皇の御母)
陵形:前方後円
所在地:大阪府南河内郡太子町大字太子 [Mapion|googlemap]
陵印保管:古市陵墓監区事務所
※敏達天皇と石姫皇女が合葬されており、敏達天皇の御陵としては河内磯長中尾陵、石姫皇女の御陵としては磯長原陵と称する。
(1)現在の御陵印。印文は「河内磯長中尾陵磯長原陵」。
(2)昭和5年。印文は「敏達天皇河内磯長中尾陵石姫皇女磯長原陵」、右上に「第三十代 敏達天皇」。
(3)時期不詳、昭和10年頃か。印文は「敏達天皇河内磯長中尾陵」
(4)かつては石姫皇女磯長原陵としての御陵印もあったようだ。昭和16年のもの。印文は「欽明天皇皇后 石姫皇女 磯長原陵」。
河内磯長原陵(用明天皇)
御陵名:河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)
被葬者:第31代 用明天皇
陵形:方丘
所在地:大阪府南河内郡太子町大字春日 [Mapion|googlemap]
陵印保管:古市陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「用明天皇河内磯長原陵」。
(2)昭和10年代。印文は「用明天皇河内磯長原陵」。
※おかもと氏の「昔の集印帖」に、上の御陵印以前に使われたと思われる印が掲載されている。「梅鉢御陵(磯長谷古墳群の四基の天皇陵と聖徳太子墓を梅の花弁に見立てて梅鉢御陵と総称する)」に因み、梅の花の形をしている。
https://www.shuincho.tk/ryoin/osakafu/kochinoshinaganoharanomisasagi/
倉梯岡陵(崇峻天皇)
御陵名:倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)
被葬者:第32代 崇峻天皇
陵形:円丘
所在地:奈良県桜井市大字倉橋 [Mapion|googlemap]
陵印保管:畝傍陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「崇峻天皇倉梯岡上陵」。
(2)昭和5年。印文は「崇峻天皇倉梯岡上陵」。
(3)昭和10年頃。印文は「倉梯岡上陵」。
磯長山田陵(推古天皇)
御陵名:磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)
被葬者:第33代 推古天皇・竹田皇子(墓)
陵形:方丘
所在地:大阪府南河内郡太子町大字山田 [Mapion|googlemap]
陵印保管:古市陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「推古天皇磯長山田陵」。
(2)昭和10年代。印文は「推古天皇磯長山田陵」。
押坂内陵(舒明天皇)
御陵名:押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)
被葬者:第34代 舒明天皇・敏達天皇皇子押坂彦人大兄皇子妃糠手姫皇女(押坂墓)
※糠手姫皇女は敏達天皇の皇女で舒明天皇の生母
陵形:上円下方(八角墳)
所在地:奈良県桜井市大字忍阪 [Mapion|googlemap]
陵印保管:畝傍陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「舒明天皇押坂内陵」。
(2)昭和5年。印文は「舒明天皇押坂内陵」。
(3)時期不詳、昭和10年頃か。印文は「押坂内陵」。
大阪磯長陵(孝德天皇)
御陵名:大阪磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)
被葬者:第36代 孝徳天皇
陵形:円丘
所在地:大阪府南河内郡太子町大字山田 [Mapion|googlemap]
陵印保管:古市陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「孝徳天皇大阪磯長陵」。
(2)時期不詳、昭和10年頃か。印文は「孝徳天皇大阪磯長陵」。
越智崗上陵(皇極天皇・齊明天皇)
御陵名:越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)
被葬者:第37代 斉明天皇(第35代 皇極天皇が重祚)・孝徳天皇皇后間人皇女・天智天皇皇子建王(墓)
※建王は生まれつき話すことが不自由で、8才で夭折した。建王を寵愛した斉明天皇はその死を非常に悲しみ、自分の陵に合葬するよう命じた。間人皇女は斉明天皇の皇女である。
陵形:円丘
所在地:奈良県高市郡高取町大字車木 [Mapion|googlemap]
陵印保管:畝傍陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「齊明天皇孝徳天皇皇后越智崗上陵」。
(2)昭和10年代。印文「齊明天皇越智崗上陵」。
山科陵(天智天皇)
御陵名:山科陵(やましなのみささぎ)
被葬者:第38代 天智天皇
陵形:上円下方
所在地:京都市山科区御陵上御廟野町 [Mapion|googlemap]
陵印保管:月輪陵墓監区事務所
(1)現在の御陵印。印文は「天智天皇山科陵」。
(2)昭和10年代。印文は「天智天皇山科陵」。