正式名称 | 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
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通称 | 赤羽八幡神社〔あかばね はちまんじんじゃ〕 |
御祭神 | 品陀和気命 帯中津日子命 息長帯比売命 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都北区赤羽台4-1-6 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://ak8mans.com/ |
【由緒概要】
赤羽八幡神社は古来、岩淵郷5ヶ村の総鎮守として崇敬を受ける。社伝によれば、延暦3年(784)坂上田村麻呂が東征に際し、当地に八幡三神を勧請して戦勝を祈願したことに始まると伝えられる。源頼光や頼政、太田道灌をはじめとする太田一族が深く崇敬し、社殿の造営や社領の寄進がたびたびであった。江戸時代には徳川家光より朱印地7石を賜った。
赤羽八幡神社の御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は「八幡神社」、左下の印は「八幡神社社務所之印」。
(2)平成23年拝受の御朱印。中央下の朱印は「八幡神社」、その上に社頭風景のスタンプ。左下は「八幡神社社務所之印」、右下は白抜きで「勝」のようである。
赤羽八幡神社について
名称 | 八幡神社 |
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通称 | 赤羽八幡神社 |
旧称 | 赤羽山八幡宮 |
御祭神 | 品陀和気命〔ほんだわけのみこと〕 帯中津日子命〔たらしなかつひこのみこと〕 息長帯比売命〔おきながたらしひめのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都北区赤羽台四丁目1番6号 |
創建年代 | 延暦3年(784) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 9月15日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月15日/祈年祭 6月30日/大祓 11月28日/新嘗祭 12月25日/大祓 |
御由緒
赤羽八幡神社の創建に関して文献などは残ってないが、延暦3年(784)坂上田村麻呂が東征の途次、当地に陣を張り、八幡三神を勧請して戦勝を祈願したことに始まると伝えられている。
長徳年間(995~99)源頼光が社殿を再興。久寿年間(1154~56)源頼政がまだ兵庫頭であった頃、立願するところがあって神領を寄進し、社殿を修造したという。
その後荒廃したが、応永・正長の頃(1394~1429)太田資清が社領を寄進、文明元年(1469)には太田道灌が社殿を再建した。さらに天文20年(1551)太田康資(道灌の曾孫)の八幡禰宜・朝日与五右衛門に宛てた寄進状が現存しているなど、太田一族による崇敬が篤かったと伝えられる。
江戸時代には岩淵郷5ヶ村(赤羽根村・下村・袋村・稲付村・岩淵宿)の総鎮守とされ、慶安2年(1649)徳川家光より朱印地7石を寄せられた。当時の別当は医王山宝幢院であった。
明治5年(1872)村社に列する。昭和6年(1931)社殿を改築、翌7年(1932)郷社に昇格した。
写真帖
メモ
赤羽駅の北約500mほどの小高い山の上に鎮座する。境内の東には東北本線・京浜東北線が走り、境内の下を東北・上越新幹線、埼京線のトンネルが抜けている。そのため、境内の南の端からは北に向かう新幹線がトンネルに入る様子を間近に見ることができる。
境内にある赤羽招魂社は、かつて神社の裏手にあった陸軍工兵第一大隊の兵舎内の招魂社を遷座したもので、陸軍工兵隊の戦没者と赤羽出身の戦没者が祀られている。