胡録神社 | 東京都荒川区

胡録神社

正式名称 胡録神社〔ころくじんじゃ〕
御祭神 面足尊 惶根尊
社格等 旧村社
鎮座地 東京都荒川区南千住8-5-6 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://korokujinja.mikosi.com/

【由緒概要】
胡録神社は橋場村汐入の鎮守で、古くは第六天社と称した。永禄4年(1561)上杉謙信の家臣・高田嘉左衛門というものが仲間とともに当地に土着し、鎮守として祀ったと伝えられる。明治の神仏分離により、汐入の名産であった胡粉の「胡」と第六天の「六」に因み、胡録神社と改称した。

目次

胡録神社の御朱印

  • 胡録神社の御朱印

平成24年拝受の御朱印。書き置きで、朱印・揮毫ともに「胡録神社」。

胡録神社について

名称 胡録神社
旧称 第六天社
御祭神 面足尊〔おもだるのみこと〕
惶根尊〔かしこねのみこと〕
鎮座地 東京都荒川区南千住八丁目5番6号
創建年代 永禄4年(1561)
社格等 旧村社
例祭 6月第一週の日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月3日/元始祭
2月3日/節分祭
2月11日/紀元祭
2月17日/祈年祭
4月29日/昭和の日祭
6月30日/大祓式
9月15日/敬老の日祭
9月19日/秋季例祭
10月17日/神嘗祭
11月3日/明治祭
11月15日/七五三祭
11月23日/新嘗祭
12月31日/大祓式・除夜祭

御由緒

南千住の胡録神社は橋場町在方分字汐入の鎮守。かつての汐入は胡粉と汐入大根の生産で知られていた。神社の境内には、胡粉を挽いていた石臼があり、かつての歴史を物語っている。

社伝によれば、永禄4年(1561)8月、川中島の合戦で、上杉謙信の家臣で高田嘉左衛門というものが戦に敗れ、同志12名とともに関東に逃れてきた。そして、この汐入の地に土着し、9月19日に鎮守として面足尊・惶根尊を祀ったことに始まるという。

元は第六天社と称したが、明治2年(1869)神仏判然令に従って胡録神社と改めた。胡録の名は、往古、弓を携行するための道具を胡簶(やなぐい)といったこと、また、汐入で盛んに生産されていた胡粉の「胡」と第六天の「六」に因むという。昭和18年(1943)12月村社に昇格。

昭和の終わり頃から汐入地区の再開発が進められ、平成の初めには見られた木造建築の旧家も取り壊されて、高層住宅が建ち並ぶようになった。これに伴って胡録神社の境内も前方に移ることになり、平成15年(2003)社殿を現在の位置に移設、9月19日に遷座祭が執り行われた。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 境内社

    道祖神と刀塚

  • 石臼

    胡粉を挽いた石臼

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 拝殿

    拝殿

  • 社豪額と大提灯

    社豪額と大提灯

  • 本殿

    本殿

メモ

南千住駅の北東約1kmのあたりに鎮座する。背後は隅田川なので、高層住宅の中、胡録神社の境内のみ、ぽっかりと空が広がるような印象である。
創建時に面足尊・惶根尊を祀ったとされるが、元は第六天社といったように本来は第六天魔王を祀る社である。もともと第六天と称していた他の神社と同様に、明治の神仏分離以降、天神七代の第6代である面足尊・惶根尊を祀るようになったのであろう。
御朱印をいただいたのは平成24年の1月2日。社務所で宮守の方に書き置きのものをいただいた。公式サイトを見れば、その後、神職さんが常駐するようになったようだが、御朱印の対応については確認していない。

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