名称 | 慈雲山 瑞輪寺 |
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通称 | 谷中瑞輪寺 |
祖師像 | 安産飯匙の祖師 |
所在地 | 東京都台東区谷中4-2-5 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://jiunzan.zuirinji.nichiren-shu.jp/ |
【略縁起】
開山の慈雲院日新上人は身延山久遠寺の第17世で、徳川家康が幼少時の学問の師であった。天正19年(1582)家康が日本橋馬喰町に寺地を寄進、大久保主水の外護により開創した。その後、神田を経て慶安2年(1649)現在地に移転した。身延山末の江戸触頭三ヶ寺の一で、かつては塔頭15ヶ寺を数えたという。平成18年(2006)本山(由緒寺院)に昇格。祖師像は「安産飯匙の祖師」と称し、厄除・安産救護の霊験で信仰を集める。
瑞輪寺の御首題
御題目の両脇に「如説修行」「功徳甚多」。中央上の朱印は三ツ葉葵に「東京谷中 徳川家康公創建 瑞輪寺」、下は七曜紋に「東京 谷中 七面山」、左下は「日蓮宗 慈雲山 瑞輪寺」。
瑞輪寺について
山号 | 慈雲山(じうんざん) |
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寺号 | 瑞輪寺(ずいりんじ) |
院号 | - |
通称 | 谷中瑞輪寺 |
御本尊 | 三宝尊 |
祖師像 | 安産飯匙祖師 |
所在地 | 東京都台東区谷中四丁目2番5号 |
創建年代 | 天正19年(1591) |
開山 | 慈雲院日新上人 |
開基 | 徳川家康公 |
宗派等 | 日蓮宗 本山(由緒寺院) |
覚え書き
開山の慈雲院日新上人は、徳川家康が幼少の頃、学問の師であった。天正6年(1578)身延山の第17世となる。
天正10年(1582)織田信長とともに甲州の武田氏を討った徳川家康は身延山に参拝し、日新に弘通所を寄進することを約束した。その後、江戸へ移った家康は、同19年(1591)その約束を果たして日本橋馬喰町に寺地を寄進、大久保主水の外護により瑞輪寺が創建された。その後、慶長元年(1596)に火災のため焼失、同6年(1601)神田に移転、さらに慶安2年(1649)現在地に移転した。
江戸時代は下谷の宗延寺(現在は杉並区堀ノ内)、善立寺(現在は足立区梅田)とともに身延山久遠寺の江戸触頭であった。また潮師法縁(六牙院日潮上人を縁祖とし、飯高檀林から発生した日蓮宗最大の法縁)の縁頭寺である。
明治元年(1968)上野戦争のために堂宇等灰燼に帰し、その後、歴代住職によって再建復興された。かつては15坊の塔頭があったというが、現在は5院のみである。平成18年(2006)本山(由緒寺院)に昇格。
江戸十大祖師に数えられる安産飯匙祖師は、もともと感応寺(現在の天王寺)に伝えられていたものである。
文永11年(1274)佐渡流罪を赦された日蓮聖人が佐渡から鎌倉に向かう途中、武蔵国粂川のあたりを通りかかった時、関善左衛門という者が難産の妻の救いを求めた。そこで日蓮聖人は飯匙に題目をしたためて妊婦の腹をさすり、抱かせて祈念すると、無事に安産したという。善左衛門一家は一家を挙げて日蓮聖人に帰依し、その尊像を謹刻して谷中に善性寺を建立した。以来、厄除・安産救護の霊験により信仰を集めたという。
その後、祖師像は感応寺に伝えられた。しかし、元禄11年(1698)幕府による不受不施派の弾圧により感応寺が天台宗に改宗させられた際、瑞輪寺に遷された。現在は境内東側の通りに面した祖師堂に祀られている。