駒込富士神社

駒込富士神社

駒込富士神社は、天正2年(1547)本郷村の名主・木村万右衛門と牛久保隼人が駿河国の富士浅間社を勧請したことに始まる。寛永6年(1628)社地が加賀藩前田家の上屋敷の敷地となったため、駒込の富士塚に遷座・合祀された。江戸における富士信仰の中心の一つとなり、多くの講社が結ばれたという。今も6月30日~7月2日の山開きは多くの参詣者で賑わう。

正式名称 富士神社〔ふじじんじゃ〕
御祭神 木花咲耶姫命
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都文京区本駒込5-7-20 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 駒込(JR・東京メトロ南北線)
本駒込(東京メトロ南北線)
千石(都営三田線)
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御由緒

富士神社の社伝によれば、すでに南北朝時代の延文2年(1357)には当地に「富士塚」と呼ばれる大きな塚があったといい、『慶長見聞集』によれば、慶長年間(1596~1615)の末には富士塚の頂上に祠が祀られていたという。

寛永5年(1628、あるいは同6年とも)豊島郡本郷村の富士社をここに遷座・合祀した(※遷座の年を寛永6年とする資料が多いが、『平成「祭」データ』所載の富士神社の由緒では寛永5年または同6年とも、とする)。

天正元年(1573)本郷村の名主・木村万右衛門、同牛久保隼人の二人が、霊夢により本郷村内に浅間大神影向の地を発見し、翌2年(1547)駿河国の富士浅間社を勧請したと伝えられる。この年の6月1日、当社の境内をはじめとして江戸市中に時ならぬ雪が降ったため、広く信仰を集めるようになったという伝承がある。

寛永6年(1628)本郷村の鎮座地が加賀藩前田家の屋敷内になったため、駒込の富士塚に遷座した。富士講が盛んになると、江戸における富士信仰の中心の一つとなり、多くの講社が結ばれた。特に山開きの期間に頒布される麦わら蛇は縁起物として人気を博した。

江戸時代は別当の瑞光院が祭祀を司っていたが、明治の神仏分離以後は駒込天祖神社の宮司が兼務している。

当社には地元駒込の有志を中心として多くの講社があり、昭和5年(1930)全国の富士講をまとめようとしたが、同7年(1932)地元で神苑講を結成し、護持するようになった。さらに戦後、新たに富士講を組織。同36年(1961)には現在の社殿を造営した。

御朱印

  • 駒込富士神社の御朱印

    (1)

  • 駒込富士神社の御朱印

    (2)

(1)平成23年に拝受した御朱印。朱印・揮毫ともに「富士神社」。

(2)平成24年拝受の御朱印。中央上の朱印は富士に桜の神紋。右は平成23年のものと同じ「富士神社」、左下は「駒込富士神社之印」。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 下浅間神社

    下浅間神社

  • 奉納石碑群

    奉納石碑群

  • 駒込富士講社祠

    駒込富士講社祠

  • 曽我御霊社

    曽我御霊社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

  • 山開き

    山開きの賑わい

メモ

「富士社」の扁額がかかる鳥居をくぐると、広場になった境内の先に富士塚があり、その頂上に社殿が鎮座する。この塚は前方後円墳であったともいわれる。社殿のあるあたりが後円部で、東側の一段低くなった前方部と思われる部分に駒込富士講社祠・曽我御霊社がある。
社殿の正面は石段になっており、その脇には富士講社などによって奉納された数多くの石碑が建つ。また、御胎内や小御嶽神社の石碑もある。
御朱印は山開きの期間にいただくことができる。

駒込富士神社の概要

名称 富士神社
通称 駒込富士神社
旧称 富士社 富士浅間社
御祭神 木花咲耶姫命〔このはなのさくやひめのみこと〕
鎮座地 東京都文京区本駒込五丁目7番20号
創建年代 天正2年(1574)
社格等 旧無格社
例祭 6月30日~7月2日(山開き)
神事・行事 2月節分/節分祭
8月28日・29日/鎮火祭

交通アクセス

□JR山手線・東京メトロ南北線「駒込駅」より徒歩約12分
□都営三田線「千石駅」より徒歩約12分
□東京メトロ南北線「本駒込駅」より徒歩約13分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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