尾久八幡神社 | 東京都荒川区

尾久八幡神社

尾久八幡神社は上尾久村・下尾久村・船方村の鎮守。創建年代は不詳だが、南北朝時代の至徳2年(1385)の棟札が残っており、それ以前の創建と考えられる。明治45年(1912)王子電気軌道(現在の都電荒川線)が通るまでは、現在の都電通りも当社の境内に含まれていたという。

正式名称 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕
通称 尾久八幡神社〔おぐ はちまんじんじゃ〕
御祭神 応神天皇 〈相殿〉経津主命 伊邪那美命 天照皇大神 天御中主神 倉稲魂命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都荒川区西尾久3-7-3 [Mapion|googlemap]
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目次

尾久八幡神社の御朱印

尾久八幡神社の御朱印
(1)
尾久八幡神社の御朱印
(2)

(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は「八幡神社印」。

(2)平成28年拝受の御朱印。中央の朱印は「八幡神社印」、左下の印は「尾久八幡神社参拝證」。

御由緒

尾久八幡神社は上尾久・下尾久・船方の三ヶ村の鎮守。旧別当は真言宗の幅弓山願勝寺(廃寺)であった。

当社には至徳2年(1385)・明徳4年(1393)・応永28年(1421)・永享5年(1432)・文明12年(1480)・寛永15年(1638)・万治3年(1660)・元禄4年(1691)・嘉永5年(1853)の棟札が残っている。創建年代は不詳だが、南北朝時代の至徳2年(1385)以前の創建であることは間違いない。小具郷(尾久一帯)の地が鶴岡八幡宮に寄進された正和元年(1312)に遡るのではないかともいわれる。

かつては王子・上中里・田端・日暮里と流れる用水が当社を取り囲み、八幡堀と称していた。現在の西尾久三丁目4号あたりを経て荒川(現在の隅田川)に注ぎ、川を往復する船が八幡堀まで入って交易で賑わったという。

また、境内も現在より広く、電車通りも含んでいた。しかし明治45年(1912)王子電気軌道の電車が通ることになり(現在の都電荒川線)、境内が二分されてしまった。

明治5年(1972)村社に列格(ただし、東京公文書館の情報検索システムで見ると、それ以前に郷社とされた時期があるかもしれない)。明治11年(1878)村内の稲荷神社二社、鹿島神社、神明社、胡録神社、熊野神社、調神社を合祀した。

昭和20年(1945)空襲で社殿を焼失したが、昭和30年(1955)現在の社殿が再建された。

写真帖

鳥居
鳥居
手水舎
手水舎
社号額
社号額
厳島神社
厳島神社
拝殿
拝殿
本殿
本殿

尾久八幡神社の概要

名称 八幡神社
通称 尾久八幡神社
御祭神 応神天皇〔おうじんてんのう〕
〈相殿〉
経津主命〔ふつぬしのみこと〕
伊邪那美命〔いざなみのみこと〕
天照皇大神〔あまてらすおおみかみ〕
天御中主神〔あめのみなかぬしのかみ〕
倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕
鎮座地 荒川区西尾久三丁目7番3号
創建年代 不詳
社格等 旧村社
例祭 8月第1土・日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月節分/節分祭
6月30日/大祓式
12月31日/大祓式
※『平成「祭」データ』による

メモ

都電荒川線宮ノ前駅、早稲田方面のホームに立つと、目の前に尾久八幡神社の鳥居が見える。鳥居から社殿まで奥行きがないようだが、もともとホームがある場所も八幡神社の境内だったようである。初めて御朱印をいただいたときにはなかなか御縁がなく、3回目の参拝でようやくいただくことができた。

交通アクセス

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