
前鳥神社は延喜式神名帳に記載された相模国十三座の一。御祭神は菟道稚郎子命。中世には相模国四宮とされ、5月5日に行われる国府祭にも参加する。武門の崇敬が篤く、源頼朝は北条政子の安産祈願のために神馬を奉献し、徳川家康は朱印地10石を寄進している。末社・奨学神社は御祭神の師・阿直岐と王仁、さらに菅原道真を祀り、学問の神として広く信仰を集めている。
正式名称 | 前鳥神社〔さきとりじんじゃ〕 |
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御祭神 | 菟道稚郎子命 〈合祀〉大山咋命 〈配祀〉日本武尊 |
社格等 | 式内社 相模国四宮 旧郷社 |
鎮座地 | 神奈川県平塚市四之宮4-14-26 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | https://sakitori.jp/ |

御朱印


(1)平成18年拝受の御朱印。揮毫は「相模國四之宮 前鳥神社」。朱印は「前鳥神社」。
(2)令和4年拝受の御朱印。揮毫は「相模國四之宮 前鳥神社」。朱印は「前鳥神社」だが、印は新しいものになっているようだ。


(3)令和4年拝受、国府祭の限定御朱印。朱印は(2)と同じ。台紙には国府祭で奉納される「鷺の舞」が描かれている。毎年、国府祭の限定御朱印は、国府祭に参加する6社共通で授与されている。国府祭当日は現地で、当日以外は各神社で授与される。令和4年はコロナ禍で神職による神事のみが執り行われたため、各神社での授与のみであった。
(4)令和7年拝受、国府祭の限定御朱印。国府祭当日、神揃山の斎場で拝受したもの。台紙の図柄は国府祭の六所神社における「七度半迎神の儀」と「道清め」の様子。
境内社の御朱印


(5)境内社・神戸神社の御朱印、令和4年拝受。揮毫は「國土平安 神戸神社」。中央の朱印は「神戸神社」、右の印は「前鳥神社境内社」。
(6)境内社・奨学神社の御朱印、令和4年拝受。揮毫は「勧學興國 奨學神社」。中央の朱印は「奨學神社」、右の印は「前鳥神社境内社」。
前鳥神社について

御祭神
■菟道稚郎子命
『新編相模国風土記稿』によれば、御神体は一尺五寸の束帯木像という。
応神天皇の末子。『日本書紀』によると、百済から貢上された阿直岐と王仁を師として典籍を学び、応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられた。しかし、応神天皇崩御の後、兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)と位を譲り合い、3年間も空位が続いたため、長らくの空位が続くことを憂いて自害した。大鷦鷯尊が遺体に招魂の術を施すと蘇生したが、同母妹の八田皇女を皇后とするよう遺言して再び薨じたという。
菟道稚郎子命を主神とする神社は珍しく、式内社では京都市宇治市の宇治神社と当社のみという。
論語や千字文などの漢籍を我が国で最初に学ばれた方であることから、古くより修学の神、学問の神、就職の神として古くから信仰を集めている。
合祀
■大山咋命
明治43年(1910)に合祀された村内の無格社・日枝神社の御祭神
配祀
■日本武尊
前鳥神社には日本武尊の面とされる木面が社宝として伝えられている。
地元の伝承によれば、日本武尊は足柄峠を越えて大山に登った後、下山して相模野に入り、賊のために「野火の難」に遭った。窮地を脱して悪賊を討った後、「サキトリ」の地で憩ったという。後に尊の曾孫に当たる菟道稚郎子命を当地に祀った時、その由縁をもって木面を作り、神社に奉納したと伝えられる。
毎年2月の節分祭と9月の例祭には、この面をつけて日本武尊の舞が奉納される。
御由緒

前鳥神社は延喜式神名帳所載の相模国十三座の一。中世には相模国四宮とされたことから、四之宮明神とも呼ばれた。『新編相模国風土記稿』には「四ノ宮明神社」として記載されている。
当社の社号である「さきとり」の名は天平7年(735)の相模国封戸租交易帳に「大住郡埼取郷」として記載があり、『和名抄』には「前取郷」が見える。延喜式神名帳には「前鳥神社」とある。よって地名の「サキトリ」が奈良時代以前からあったことは確実である。
一説には相模川に沿った地形名から生じ、それを社号としたともいい、あるいは前鳥神社の社号に因んで地名がついたともいうが、『平塚市文化財調査報告書 第15集』(昭和55年)は「社号が先か、地名が先か、たやすく断定することはできない」とする。
古くから「埼取」「前鳥」「前取」あるいは「左喜登利」などと表記され、『吾妻鏡』には「四宮前取大明神」と記されるが、現在は延喜式神名帳に基づいて「前鳥神社」とする。
創建等について、明治42年(1909)の四之宮大火で社家が類焼し、縁起書及び古文書を焼失したため詳らかではないという。
附近からは弥生時代中期の土器が出土し、古墳群が散在していることから、古くから集落が発生していたことがわかる。また、国衙跡と思われる遺跡も発掘されている。
社伝によれば、大鷦鷯尊(仁徳天皇)の招魂の施術によって蘇生した菟道稚郎子命は、妹の八田皇女を皇后とすることを大鷦鷯尊に伝えた後、一族を率いて東国に下り、曾祖父・日本武尊ゆかりの「サキトリ」の地に宮居を定めたという(公式サイトでは、御祭神を「氏の上」とする氏人が移り住んだとしている)。
昭和43年(1968)に創祀千六百年式年大祭を行っていうことなので、仁徳天皇56年(368)創建という社殿があるのだろうか。
延喜の制では小社に列する。相模国の四宮とされ、毎年5月5日に行われる端午祭(国府祭)には一宮・寒川神社などともに参加する。
建久3年(1192)源頼朝は妻・北条政子の安産を祈願して神馬を奉献した。建暦2年(1212)鎌倉幕府により将軍家祈願書とされた。
天正19年(1591)徳川家康は朱印地10石を寄進し、併せて社地2100余坪を除地とした。
江戸時代には古義真言宗の雪霜山鏡智院が別当として祭祀を司り、他に供僧として祈願山定光院があった。
明治維新の神仏分離により鏡智院は復飾して神職となり、定光院は廃寺となった。
明治6年(1873)郷社に列格。明治43年(1910)村内の無格社・日枝神社を合祀した。
大正12年(1923)関東大震災で本殿・幣殿・拝殿等が半壊したが、氏子の浄財寄付により復旧した。しかし昭和7年(1932)暴風雨で境内のスギの大木が倒れて本殿が大破、昭和11年(1936)改築された。
昭和43年(1968)創祀千六百年式年大祭が行われ、境内社・奨学神社が創建された。
平成30年(2018)御鎮座千六百五十年式年大祭が行われ、一の鳥居の建立など境内・社殿の整備が行われた。
境内社
■神戸神社

昭和53年(1978)境内の神明神社と八坂神社を合祀し、当地の字名である「神戸」を社名として造営された。御祭神は天照皇大神と素盞嗚尊。
■奨学神社

昭和43年(1968)創祀千六百年式年大祭を記念して創建された。御祭神は菟道稚郎子命の師である阿直岐命と王仁命で、境内社・天満宮(御祭神・菅原道真命)を合祀する。学問の神として広く信仰を集めている。
社殿は校倉造りを模した耐震耐火建築で、平塚出身の書道家・田中真州氏が自筆の千字文一巻と論語十巻、五体千字文五冊一帙を献納した。
■祖霊社
昭和53年(1978)創建。歴代宮司と氏子総代・副総代、崇敬会会長を祀る。
■厄除稲荷社
御祭神は宇迦之御魂神。境内の鎮守として文化5年(1808)伏見稲荷より勧請された。
■御嶽社
御祭神は櫛真知命。江戸時代から続く四之宮御嶽講の中心となるお社で、毎年代参者3名が東京都青梅市の武蔵御嶽神社に参拝する慣わしが今も続いている。
国府祭

端午祭とも称し、かつて相模の国衙が置かれた中郡大磯町国府本郷の神揃山と麓の大矢場の祭場に一宮寒川神社、二宮川勾神社、三宮比々多神社、四宮前鳥神社、一国一社八幡宮・平塚八幡宮の神輿が集まり、総社・六所神社に御分霊を奉納する神事を行う。
特に神揃山で行われる寒川神社と川勾神社の神職が上座を争う座問答が名高い。
祭典が行われる神揃山と大矢場の祭場には御仮屋が設けられ、参拝者には粽が授与される。
写真帖

一の鳥居。平成30年(2018)御鎮座1650年を記念して建立された。向かって右に「延喜式内社 相模國第四宮 前鳥神社」の社号標、左に「学問の宮 奨学神社」の社号標が建っている。

平成18年(2006)初めて参拝した時はまだ鳥居がなく、参道入口にコンクリート製の神橋があった。

参道を進むと朱塗りの神橋の欄干がある。以前、参道入口にあった神橋を移転したものと思われる。参道の敷石も平成30年に整備されたもののようだ。

四之宮東町稲荷社。参道脇に鎮座する。

鐘楼。鐘は創祀千六百年式年大祭で復元されたもので、「勧学の鐘」と称する。

忠魂碑。

二の鳥居。

花供養の碑。大野花き部会(花の栽培生産者会)による花の御霊を慰め奉る碑。

書家・近藤雪竹の功績をたたえて弟子の田中真州らが建立した碑。近藤雪竹は明治から大正にかけて活躍した書家で、近代芸術としての書の確立に尽力した。

祖霊社。昭和53年(1978)創建で歴代宮司と氏子総代・副総代、崇敬会会長を祀る。

西参道の鳥居。

西参道の社号標。「相模國十三座之内 前取神社」とある。『新編相模国風土記稿』に「社前に相模國十三座之内、前取神社と彫りたる石標を建つ」とあるが、同じものであろうか。

前鳥神社の境内。

御神木の大欅。樹齢300年といわれ、境内の欅の巨木の中でも随一の樹高と枝振りを誇る。

手水舎。

神楽殿。昭和天皇の御即位を記念して建てられたものという。

奨学神社。御祭神は菟道稚郎子命の師である阿直岐と王仁博士で、菅原道真を合祀する。社殿内には合格祈願のだるま祈禱で祈願成就しただるまが多数奉納されている。

神戸神社。昭和53年(1978)境内の神明神社と八坂神社を合祀し、当地の字名である「神戸」を社号として造営された。

弟橘媛命の碑。弟橘媛命が日本武尊を救うために入水された時に詠まれた歌を刻む。

厄除稲荷社。文化5年(1808)境内の鎮守として伏見稲荷より勧請された。

御嶽社(右)と稲荷社(左)。御嶽社は江戸時代から続くとされる四之宮御嶽講の中心となるお社という。今も毎年三名の代参者が青梅市の武蔵御嶽神社に御神札を受けに参拝し、講中の家内安全と地域の安寧・発展を祈願している。

拝殿。

拝殿内の扁額「左喜登利神社」。
メモ
相模川にほど近い鬱蒼とした鎮守の森に鎮座する。境内には石碑や境内社など見どころが多い。
初めての参拝は平成18年9月、相模国六社巡りにて。二度目は令和4年5月、同じく相模国六社巡りとして。その間、平成30年に御鎮座1650年で境内の整備が行われたようで、特に正面参道は敷石が敷かれ、一の鳥居が立てられるなどかなり雰囲気が変わっていた。
交通アクセス
□JR東海道本線「平塚駅」よりバス
■神奈中バス本厚木駅南口行き・大神工業団地行き・田村車庫行き「前鳥神社前」下車徒歩約3分
□小田急小田原線「本厚木駅」よりバス
■神奈中バス平塚駅行き「前鳥神社前」下車徒歩約3分
参考資料
・前鳥神社公式サイト・ブログ
・『府県郷社明治神社誌料』
・『大野誌』大野誌編集委員会(昭和33年)
・『平塚の歴史と文化財めぐり』平塚市教育委員会(昭和44年)
・『新平塚風土記稿』高瀬慎吾(昭和45年)
・『相模の古社』菱沼勇・梅田義彦(昭和46年)
・『平塚市文化財調査報告書 第15集』平塚市文化財保護委員会(昭和55年)
・『日本武尊の伝説をたずねて』平塚市教育委員会(昭和60年)
・日本歴史地名大系『神奈川県の地名』
・『平成「祭」データ』
・Wikipedia
更新履歴
2007.06.17.公開
2009.03.22.更新、画像を追加
2025.06.21.改訂、御朱印と画像を追加
