千住神社は千住一・二丁目の鎮守である。延長4年(926)創建と伝えられる千代崎稲荷神社と弘安2年(1279)勧請とされる氷川神社を、明治6年(1873)に合祀し、西森神社と称した。両社は二ツ森あるいは西の森と呼ばれた現社地に並んで鎮座していた。大正4年(1915)千住神社と改称した。
正式名称 | 千住神社〔せんじゅじんじゃ〕 |
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御祭神 | 宇迦之御魂命 須佐之男命 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都足立区千住宮元町24-1 [Mapion|googlemap] |
アクセス | 北千住駅(JR・東武・東京メトロ・つくばエクスプレス)より徒歩約12分 千住大橋駅(京成)より徒歩8分 |
公式サイト | http://senjujinja.kachoufuugetu.net/ |
千住神社の御由緒
千住神社は、西森あるいは二の森と呼ばれていた森に鎮座していた千崎稲荷神社と氷川神社を明治6年(1873)に合祀して西森神社と称したことが、直接の起源である。
千崎稲荷神社は延長4年(926)土地の鎮守として伏見稲荷から御分霊を勧請したことに始まるという。永承6年(1051)源義家は奥州征伐に向かう途中、当地に陣を敷き、神前に戦勝を祈願したと伝えられる。
氷川神社は弘安2年(1279)大宮の氷川神社より御分霊を勧請し、千崎稲荷の傍に祀ったことを創祀とする。
以来、千崎稲荷・氷川の両社が鎮座することから、当地を「二ツ森」と称するようになったという。また、千住宿が成立すると、宿場の西方にあることから「西の森」とも呼ばれるようになり、両社は千住一丁目・二丁目の鎮守とされた。
明治5年(1872)両社ともに村社に列格。翌6年(1873)稲荷神社を氷川神社に合祀して西森神社となり、郷社に昇格した。足立区内の旧郷社は当社のみ。大正4年(1915)千住神社と改称した。
昭和20年(1945)戦災で社殿等すべての建物が焼失。現在の社殿は昭和33年(1958)の再建である。
千住神社の御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「千住神社」、右上は「東京足立区千住西森鎮座」。
(2)平成28年拝受の御朱印。中央の朱印は「千住神社」。右上に「東京足立区千住西森鎮座」、右下に「奥の細道」。
(3)千寿七福神・恵比寿天の御朱印、平成23年拝受。中央の朱印は抱き稲に三つ巴の神紋。右上の印は「願かけ」、左下は「千住神社」。
写真帖
メモ
国道4号線(現在の日光街道)から100mほど西に入ったところに鎮座する。旧日光街道からは300mほど西になる。
境内には芭蕉の句碑や富士塚、末社が並ぶ。かつて鬱蒼と木が繁って昼も暗いほどであったというが、周囲の開発や戦災のためにほとんど失われたという。戦後、氏子有志の尽力により、緑の繁る境内が蘇ったとのことである。
千寿七福神の恵比寿天は「願かけ恵比寿」と称する、廻転する恵比寿様の石像であるが、もともと恵比寿様は江戸時代から末社の幸福神社に祀られていたという。願かけ恵比寿の斜め後ろにある末社の中央が幸福神社で(向かって左が八幡神社、右が三峯神社)、千寿七福神の期間中はご開帳されるようである。
千住神社の概要
名称 | 千住神社 |
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旧称 | 西森神社(稲荷神社・千崎稲荷神社/氷川神社) |
御祭神 | 宇迦之御魂命〔うかのみたまのみこと〕 須佐之男命〔すさのおのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都足立区千住宮元町24番1号 |
創建年代 | 千崎稲荷神社:延長4年(926) 氷川神社:弘安2年(1279) 明治6年(1873)合祀/西森神社 |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 9月15日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分祭追儺式 6月30日/大祓式 2月上午の日/初午祭 12月31日/大祓式・除夜祭 |
巡拝 | 千寿七福神(恵比寿天) |