社伝によれば、天平2年(730)峡田稲置らが大年神・日本武尊を上野忍ヶ岡に奉祀したことに始まるという。寛永寺の造営に伴って上野山下に遷され、さらに延宝8年(1680)下谷の広徳寺門前に遷座した。地下鉄銀座線の駅名になった「稲荷町」は当社が鎮座することに由来する。
正式名称 | 下谷神社〔したやじんじゃ〕 |
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御祭神 | 大年神 〈相殿〉日本武尊 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都台東区東上野3-29-8 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://shitayajinja.or.jp/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「下谷神社」、右上は抱き稲の神紋、左下は「下谷神社社務所之印」。
(2)平成28年拝受、7月1日・8月1日限定の御朱印。揮毫・朱印ともに平成17年のものと同じだが、青墨を使っている。左上、右下に狐のスタンプ。
(3)平成30年、例大祭の御朱印。横山大観の龍と神輿が印刷された台紙を使っている。
末社・隆栄稲荷神社の御朱印
(1)平成28年拝受の御朱印。7月1日・8月1日限定のもので、文字は青墨、左上・右下に狐のスタンプ。
昔の御朱印
(1)昭和11年の御朱印。上の印は「峡田稲置等忍岡上尓伊都岐奉大年神倭建命神(峡田稲置らが忍岡上に斎き奉る大年神、倭建命神)」。右上は「東京下谷稲荷町 郷社 下谷神社」。下の印は「下谷神社々務所印」で、現在使われている印と同じもののようである。
御由緒
天平2年(730)、峡田稲置らが大年神・日本武尊を上野忍ヶ岡に奉祀し、天慶3年(940)、藤原秀郷が平将門追討の報賽として社殿を造営したと伝えられる。
寛永4年(1627)、寛永寺の造営に当たって社地を上野山下に移された。さらに延宝8年(1680)、広徳寺の門前に遷座し、現在に至る(ただし昭和3年、震災後の土地区画整理により、やや南東の現社地に移動した)。地下鉄銀座線の稲荷町駅の名称は、下谷神社の旧称・正一位下谷稲荷社に因み、この地域を稲荷町と称したことによる。
旧別当は天台宗の慈雲山正法院(現在は豊島区西巣鴨に移転)であった。江戸時代の祭礼はなかなか盛んで、赤坂氷川社に比するべきものであったという(『下谷区史』)。寛政10年(1798)に江戸で初めての寄席が行われたことから、境内に「寄席発祥の地」の石碑がある。
明治5年(1872)下谷神社と改称し、村社に列格、翌6年(1873)郷社に昇格。
現在の社殿は、関東大震災による被災の後、昭和9年(1934)に完成したもので、旧来の朱塗りの社殿から白木造の社殿となった。第二次大戦の戦禍を受けることなく、当時の姿をそのまま残す。
写真帖
メモ
浅草通りから少し南に入ったところに鎮座する。入り口には大きな朱の鳥居が立つ。社殿は戦前の建造になる風格ある木造建築で、拝殿天井絵の「龍」は横山大観の作。当社のオリジナル御朱印帳もこの龍が描かれている。
下谷神社の概要
名称 | 下谷神社 |
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通称 | 下谷稲荷 |
旧称 | 下谷稲荷社 |
御祭神 | 大年神〔おおとしのかみ〕 〈相殿〉 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都台東区東上野三丁目29番8号 |
創建年代 | 天平2年(730) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 5月11日に近い金・土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月2日/新年祭 2月3日/節分祭 2月11日/紀元祭 2月15日/祈年祭 3月11日/隆栄稲荷神社例祭 6月30日/夏越大祓 9月15日/敬老祭 11月15日/新嘗祭 12月31日/年越大祓 |
巡拝 | 東京下町八社福参り |
交通アクセス
□東京メトロ銀座線「稲荷町駅」より徒歩2分
□都営大江戸線「新御徒町駅」より徒歩5分
□JR山手線・京浜東北線「上野駅」より徒歩6分