御朱印についての基本的なことがらをまとめました。
ここに書いていることの大半は私の独自研究です(御朱印についての研究はほとんどなされてないため)。根拠はきちんとありますが、引用する際には、その点にご注意ください。
御朱印はいつ頃登場したか
何をもって御朱印のはじまりとするかにもよりますが、現在の御朱印の原型といえるものが登場するのは18世紀の初頭です。
かつて、日本全国六十六ヶ国を巡り、各国を代表する寺社1ヶ所ずつに法華経を納経する六十六部廻国聖という人たちがいました(略して六十六部または六部という)。
この人たちは納経の証明として「納経請取状」というものを受け取っていたのですが、18世紀の初め頃から「納経帳」を携帯し、記帳押印してもらうという形に変わりました。これが現在の御朱印の直接の起源です。
これを西国三十三所や四国八十八ヶ所の巡礼者が真似するようになり、さらに一般庶民に広がっていきました。
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「御朱印」と呼ばれるようになったのは?
江戸時代には、現在の御朱印に当たるものも「納経」と呼んでいました。今でも四国八十八ヶ所ではその習慣が残っています。因みに「納経印」というのは、誤解を避けるために使われるようになった、ごく新しい呼び方です。たぶんインターネットが普及してからではないかと思います。
現在のように、寺社に参拝した証しとして記帳押印していただいたものを「御朱印」と呼ぶようになったのは昭和の初めの頃のようです。
大正13年(1924)に朝日新聞社から発行された『神社山陵参拝記』は、朝日新聞の記者8名が東西2チームずつ4チームを作り、それぞれ東日本と西日本を代表する神社と天皇陵を巡拝し、御朱印をいただくという企画の道中記をまとめたものです。
これを見ると、いわゆる御朱印のことを「印顆」「社印」「御印」「御判」などと詠んでいますが、「朱印」「御朱印」といった表現はありません。つまり、大正時代の終わり頃には「御朱印」とは呼ばれていなかったことがわかります。
寺社の印を「御朱印」と呼んでいるのがはっきり確認できるのが、昭和10年(1935)に野ばら社が児童年鑑・学友年鑑・昭和年鑑の共通別冊として発行した『集印帖』で、冒頭に「著名社寺御朱印集」があります。
大正末から昭和10年までの間に「御朱印」という名称が使われるようになったとみて間違いないでしょう。
千社札と御朱印
昔、四国や西国の巡礼者は木や金属の納札を持参し、御堂の壁や柱に打ち付けていました。今でも四国や西国の霊場寺院を「札所」と呼び、札所に参拝することを「札を打つ」というのは、これに由来しています。
本来、六十六部たちは法華経の写経を青銅の経筒に納めて埋経または納経していたのですが、次第に簡略化して写経の代わりに納札を納めるようになりました。
この納札が板から紙になり、寺社の壁などに貼り付けるようになったのが千社札です。そのため、千社札を貼るときには御朱印をいただくのが正式な作法なのだそうです。
ただし、現在では美観を損ねたり、建物を傷めるといった理由から、千社札の貼り付けを禁止する寺社が多くなっています。
スタンプラリーと御朱印
よく「御朱印はスタンプラリーではない」と言われます。しかし、それは御朱印とスタンプラリーに共通点がある、御朱印にスタンプラリー的な要素があるということでもあります。
それは当然のことで、スタンプラリーは御朱印が元になっているからです。横文字なので海外の文化のように錯覚している人が多いのですが、御朱印をベースとする日本独自の文化です。
シャチハタのスタンプラリー研究所には、次のように書いています。
スタンプラリーの成立は1970年代と考えられますが、その原点は室町時代の霊場巡拝にまでさかのぼります。
四国88カ所霊場巡拝や西国33所霊場巡拝など、社寺へと巡回し写経を奉納した証として 寺院側で発行したのが「御朱印」や「納経印」であり、『納経帳』にまとめて保持しています。 こうした行為に、スタンプラリーの原点を見いだすことができます。
昭和の初め頃に一大スタンプブームが起こり、スタンプ蒐集家が登場しました。この人たちの中には郵便局の風景印や駅スタンプ、観光地その他の記念スタンプの一種として、寺社の朱印を収集する人たちが少なくなかったようです。
これに対し、寺社の朱印を特別に「御朱印」と呼ぶようになり、一般の記念スタンプとは違う宗教的価値を持ったものという位置づけが明確化されたものと思われます。
御朱印をいただくという伝統的な習慣から、宗教的な要素を除いたのがスタンプラリーと考えてよいでしょう。言い換えれば、参拝をするか否かが御朱印かスタンプラリーかの違いです。
御朱印をいただく際にはきちんと参拝するようにしましょう。
日蓮宗の「御首題」
御朱印と似たものに、日蓮宗・法華宗の御首題があります。御首題とは、「南無妙法蓮華経」のお題目(御首題)を墨書し、朱印を押したものです。風格や力強さを感じさせることから日蓮宗以外の人にも人気があります。
本来、御首題は日蓮宗・法華宗の信徒に信仰の証しとして書くもので、他宗派の人には絶対に書きませんでした。江戸時代以来、他宗派の人への納経・御朱印と信徒への御首題は分けていました。
現在ではそこまで厳格ではなくなり、他宗派の人に書かないということはありません。御朱印をお願いすると御首題を書いてくれるところもあります。しかし、伝統を守り、他宗派の御朱印が混じった御朱印帳には御首題を書かないという寺院も少なからずあります。
そういう寺院では、お題目の代わりに「妙法」と書くことが多いのですが、その寺院にゆかりの文言(信仰の対象となっている神仏や祖師像の名、縁起にまつわる文言など)を書くところもあります。
御首題をいただくのであれば、専用の御首題帳を準備するようにしましょう。
浄土真宗は御朱印を授与しない?
浄土真宗の大半を占める「本願寺派(西本願寺)」と「大谷派(東本願寺)」では、御朱印を授与しないというのを宗派の方針にしています。そのため、観光地として有名な寺院でも御朱印を授与していないところが多いようです。
ただ、浄土真宗が伝統的に御朱印を授与しないというのは歴史の捏造で、江戸時代以来御朱印を授与していました。御朱印の授与をやめたのは昭和60年代から平成初めの頃のことで、せいぜい30年ほどのことでしかありません。
浄土真宗の諸派のうち、本願寺派・大谷派以外では、特に御朱印についてのこだわりはないところが多く、本山や有名寺院では普通に授与されています。また、本願寺派や大谷派の寺院でも、授与している寺院は少なくありません。
歴代天皇陵の「御陵印」
神武天皇の畝傍山東北陵から昭和天皇の武蔵野陵に至る歴代天皇の御陵では「御陵印」をいただくことができます。
昭和天皇は第124代ですが、北朝の天皇を含むこと、37代斉明天皇と48代称徳天皇が重祚であること、合葬陵や隣接する御陵をまとめた印があることから、現時点での御陵印は93個となっています。
元は各御陵ごとに管理されていましたが、現在は全国5ヶ所の陵墓監区事務所で保管されています。
- 多摩陵墓監区事務所(東京都八王子市長房町1833)
- 桃山陵墓監区事務所(京都市伏見区桃山町古城山)
- 月輪陵墓監区事務所(京都市東山区泉涌寺山内町34-2)
- 畝傍陵墓監区事務所(奈良県橿原市大久保町71-1)
- 古市陵墓監区事務所(大阪府羽曳野市誉田6-11-3)
戦前には、皇后や追尊天皇の御陵、皇子や皇女の墓の印もありましたが、現在は日向三代(瓊々杵尊、彦火火出見尊、彦波瀲武盧茲草葺不合尊)の印が残るのみです。
お城の「御朱印」
一部のお城では観光記念として寺社の御朱印に似た朱印を押しています。これを「御朱印」と呼ぶ人も少なくないようです。
しかし、お城の朱印は観光地で押されていた記念印(スタンプ)の一種です。お城の他にも山岳や温泉地、旧跡などで寺社の朱印に似た記念印が押されていました。これらと区別するために神社や寺院で授与する印を「御朱印」と呼ぶようになったのです。
そういう経緯から考えれば、お城の記念印を「御朱印」と呼ぶのは不適切ではないかと思います。
「御朱印」が「参拝の証し」である以上、御朱印と呼ぶのは神社・寺院及び他の宗教施設・礼拝施設に限定すべきでしょう。