六本木天祖神社(龍土神明宮)

六本木天祖神社

六本木天祖神社は、至徳元年(1384)芝西久保の飯倉城山に創建されたと伝えられる。毎夜、品川沖から龍が燈明を献じたため、龍燈山と呼ばれるようになった。これが転じて龍土村の名が起こり、当社も龍土神明宮と呼ばれるようになった。元和年間(1615~24)江戸城改築のため、氏子とともに現在地へと遷座した。

正式名称 天祖神社〔てんそじんじゃ〕
通称 六本木天祖神社〔ろっぽんぎ てんそじんじゃ〕
龍土神明宮〔りゅうどしんめいぐう〕
御祭神 天照大神 伊邪那岐命 伊邪那美命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都港区六本木7-7-7 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://tensojinja.tokyo-jinjacho.or.jp/
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御由緒

六本木天祖神社は、社伝によれば、至徳元年(1384)芝西久保の飯倉城山(ホテル・ニューオークラの南あたり)に奉斎された。

毎夜、当社に龍が品川沖から灯明を献じたことから「龍燈山〔りゅうどうやま〕」と呼ばれたという。また太田道潅が社殿を再建し、神田を寄進したと伝えられる。

元和年間(1615~24)江戸城の改築のため、氏子の移転に伴って現社地に遷座。近辺は「龍灯」から龍土村と呼ばれるようになり(旧地の村名が「猟人村〔りゅうどむら〕」であったことによるという説もある)、当社も龍土神明宮と称された。

氏子は龍土町・六本木町・坂口町・材木町などと付近の武家地。当時の別当は天台宗の龍土山長泉寺であった。

歴代将軍を始め、近隣に屋敷を構えていた佐賀藩鍋島家(現在の国立新美術館のあたり)、長州藩毛利家(現在の東京ミッドタウンのあたり)や幕府の役人たちの崇敬も篤かった。江戸三ヶ所の神明、東都大神宮十八社の一にも数えられていたという。

明治になり、天祖神社と改める。旧社殿は江戸時代に建立された瓦葺きの権現造であったが、昭和20年(1945)米軍の空襲のために焼失。現在の社殿は同32年(1957)の再建である。

御朱印

  • 天祖神社(龍土神明宮)の御朱印

    (1)

  • 六本木天祖神社の御朱印

    (2)

  • 福禄寿の御朱印

    (3)

(1)平成17年に拝受した御朱印。朱印・揮毫ともに「天祖神社」。

(2)平成28年拝受の御朱印。中央の朱印は「天祖神社」。揮毫も「天祖神社」だが、墨に金粉が混ぜられている。右上に緑で「龍土」、朱の印で「六本木鎮座」。

(3)港七福神、福禄寿の御朱印。平成19年拝受。

※平成28年時点で、御朱印は辰の日のみの授与。社号は金粉の混じった墨で書いたもので、初穂料は1,000円。

写真帖

  • 社頭風景

    社頭風景

  • 鳥居

    鳥居

  • 満福稲荷社

    満福稲荷社

  • 手水舎

    手水舎

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

  • 社頭風景旧観

    社頭風景旧観(平成22年)

  • 境内旧観

    境内旧観(平成22年)

メモ

東京ミッドタウンと国立新美術館、六本木ヒルズに囲まれた一角に鎮座する。賑やかな表通りと違い、人通りは多いが騒がしい雰囲気はない。ビルの谷間に埋もれたような境内だが、かえって大通りの喧噪から遮断されているような感じである。社殿は木造の神明造の立派なもの。港七福神の福禄寿は、境内の満福稲荷に合祀されている。

天祖神社の概要

名称 天祖神社
通称 龍土神明宮 六本木天祖神社
旧称 神明宮 龍土神明宮
御祭神 天照大神〔あまてらすおおみかみ〕
伊邪那岐命〔いざなぎのみこと〕
伊邪那美命〔いざなみのみこと〕
鎮座地 東京都港区六本木七丁目7番7号
創建年代 至徳元年(1384)
社格等 旧村社
例祭 9月第4日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
4月15日/満福稲荷祭
6月30日/夏越の大祓式
12月31日/年越の大祓式
巡拝 港七福神(福禄寿)

交通アクセス

□六本木駅(都営大江戸線)より徒歩3分
□六本木駅(日比谷線)より徒歩5分
□乃木坂駅(千代田線)より徒歩5分


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