御田八幡神社

御田八幡神社

御田八幡神社は式内社・薭田神社の論社で、和銅2年(709)无邪志国牧岡(白金三田のあたり)に東国鎮護の神として奉斎されたと伝えられる。嵯峨源氏渡辺党の氏神として尊崇され、渡辺綱の産土神であったことから「綱八幡」と呼ばれたという。寛永5年(1628)現社地に遷座。明治2年(1869)社号を薭田神社とするが、同7年(1674)三田八幡神社と改称、さらに同30年(1897)御田八幡神社と改めた。

正式名称 御田八幡神社〔みたはちまんじんじゃ〕
御祭神 誉田別尊 〈相殿〉天児屋根命 武内宿禰命
社格等 旧郷社 式内論社
鎮座地 東京都港区三田3-7-16 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 泉岳寺(都営浅草線)
田町(JR)
三田(都営浅草線・都営三田線)
公式サイト http://mitahachiman.net/
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御由緒

御田八幡神社は、三田の総鎮守。旧別当は天台宗の八幡山宝蔵寺(後に眺海山無量院と改称)であった。

和銅2年(709)牟邪志国牧岡(白金三田の辺り)に東国鎮護の神として奉斎されたという。延喜式神名帳所載の薭田神社に比定される(ただし、他の有力な論社に大田区蒲田鎮座の薭田神社、同六郷鎮座の六郷神社などがある)。

寛弘8年(1011)御田郷(後の麻布領)久保三田(現在の三田1丁目の辺り)に遷座し、嵯峨源氏渡辺党の氏神として尊崇されたという。源頼光の四天王の一人である渡辺綱の産土神とされることから「綱八幡」と呼ばれた。

現社地に遷ったのは江戸時代の初め。元和5年(1619)僧快尊によって造営が始まり、寛永5年(1628)芝・田町七丁目の現社地に遷座。寛文8年(1668)大火で社殿等全焼するが、同12年(1672)細川越中守(熊本藩第3代藩主・細川綱利)によって再建された。

明治の神仏分離により別当は復飾して神職となった。明治2年(1869)薭田神社と称し、同5年(1872)郷社に列格。同7年(1874)、三田八幡神社と改め、さらに同30年(1897)三田を御田の旧称に復し、御田八幡神社とした。

昭和20年(1945)5月、空襲のために社殿等全焼したが、昭和29年(1954)再建された。

御朱印

  • 御田八幡神社の御朱印

    (1)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「武蔵国 御田郷 御田八幡宮」。左下は「芝御田八幡神社社務所印」。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 境内社

    五光稲荷神社・御嶽神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

国道15号線(第一京浜)沿いに鎮座する。参道を進み、石段を登ると正面に社殿がある。周囲にはオフィスビルが建ち並び、平日の昼などは近くに勤める人たちの憩いの場になっているようだ。

御田八幡神社の概要

名称 御田八幡神社
旧称 三田八幡宮 薭田神社 三田八幡神社 御田八幡神社 綱八幡 薭田八幡 箕田八幡
御祭神 誉田別尊〔ほんだわけのみこと〕
〈相殿〉
天児屋根命〔あめのこやねのみこと〕
武内宿禰命〔たけしうちのすくねのみこと〕
鎮座地 東京都港区三田三丁目7番16号
創建年代 和銅2年(709)
社格等 旧郷社 式内論社
延喜式 武蔵國荏原郡 薭田神社
例祭 8月13~15日(※8月第1日曜日前後に変更されている模様)
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月3日/元始祭
1月15日/釜鳴神事
2月3日/節分祭・星祭厄除祈祷始め
2月初午日/初午祭
2月二の午日/二の午祭
2月11日/紀元祭
2月17日/祈年祭
3月3日/桃の節供
3月春分/春季皇霊祭
4月29日/昭和祭
5月5日/端午の節句
5月15日/釜鳴神事・末社五光稲荷神社大祭
6月30日/大祓式(夏越の大祓)
9月9日/重陽の節句
9月秋分/秋季皇霊祭
10月17日/神嘗祭奉祝祭
11月3日/明治祭
11月8日/鞴祭り
11月23日/新嘗祭
12月冬至/冬至祭
12月31日/大祓式・除夜祭

交通アクセス

□泉岳寺駅(都営浅草線)より徒歩5分
□田町駅(JR)より徒歩8分
□三田駅(都営浅草線・都営三田線)より徒歩8分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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