麻布氷川神社は麻布の総鎮守で、古くは麻布明神とも呼ばれた。旧地は麻布一本松のあたりで、天慶5年(942)源経基が創建したとも、文明年間(1469~85)太田道灌が勧請したとも伝えられる。江戸時代は江戸七氷川の一として崇敬されたという。
正式名称 | 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕 |
---|---|
通称 | 麻布氷川神社〔あざぶ ひかわじんじゃ〕 |
御祭神 | 素盞嗚尊 日本武尊 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都港区元麻布1-4-23 [Mapion|googlemap] |
巡拝等 | 港七福神(毘沙門天) |
御朱印
(1)平成17年に拝受した御朱印.朱印は「麻布氷川神社」。
(2)平成29年拝受の御朱印。中央の朱印は「麻布氷川神社」だが新しいものになっている。右下の印は「麻布 六本木」。
(3)平成30年拝受、戌年新年の御朱印。
(4)港七福神・毘沙門天の御朱印。平成19年拝受。
御朱印
(1)昭和10年の御朱印。右上の朱印は神代文字(アヒルクサ文字)で「ひかはのみやしろ(氷川の御社)」。下のスタンプは社殿と矛に「麻布郷社 氷川神社」。
(2)昭和10年、麻布稲荷七福神(現・港七福神)の毘沙門天の御朱印。中央は毘沙門天の御姿だが、通常の毘沙門天が唐風の武人の姿をしているのに対し、こちらは古代日本の武人の姿をしている。右上の印は「麻布稲荷七福神」、左下は「氷川神社境内 應恭稲荷」。
御由緒
御祭神
■素盞嗚尊
■日本武尊
明治の神社明細帳を見ると、相殿神として次の神々が挙げられている。
・天照大御神 ・豊受大神
・大国主大神 ・金刀比羅大神
・稲荷大神 ・天満宮
・日枝大神 ・稲荷大神
・三峯大神 ・秋葉大神
・厳島大神 ・稲荷大神
御由緒
麻布氷川神社は麻布の総鎮守。元禄の江戸図には麻布明神と記されているという。赤坂氷川神社・渋谷氷川神社・千石の簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、崇敬を集めた。旧別当は真言宗の冥松山徳乗寺であったが、明治の神仏分離の後廃寺とされた。
社伝によれば、源経基が天慶5年(938)、武蔵国豊島郡谷盛庄浅布の冠の松(現社地から250mほど北にある一本松の地)に勧請したとされる。この由緒により、一本松は当社の神木とされてきた。旧・麻布宮村町の名は、かつて当社が鎮座していた名残とされる。
一方、『江戸砂子』などには、文明年間(1469~85)太田道潅が大宮の氷川神社より御分霊を勧請したとある。
往時は2,000坪余りという広大な境内を有していた。ところが万治2年(1659)増上寺の本誉露白が氷川神社の社地を隠居地として請い受けたため、麻布本村町の現社地に遷座した。
明治5年(1872)郷社に列格。昭和20年(1945)空襲で社殿が焼失し、戦後再建された。
境内社
■應恭稲荷・高尾稲荷
江戸時代、仙台藩伊達氏の下屋敷内に祀られたことに始まる。江戸時代の切絵図「東都麻布絵図」には「イナリ」と記されている。明治以降、麻布竹谷町で祀っていたが、昭和の初めに氷川神社境内に遷座した。
写真帖
メモ
仙台坂を登り、少し北に向かうと麻布氷川神社の鳥居が見える。社殿の背後には、元麻布ヒルズ・フォレストタワーの一風変わった姿がある。いかにも都市の神社という景観なのが少々残念だが、境内そのものは手入れが行き届き、すっきりとした雰囲気の空間だ。
麻布氷川神社の概要
名称 | 氷川神社 |
---|---|
通称 | 麻布氷川神社 |
旧称 | 麻布明神 |
御祭神 | 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都港区元麻布一丁目4番23号 |
創建年代 | 天慶5年(942) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 9月17日に近い土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 2月17日/祈年祭 11月23日/新嘗祭 12月31日/除夜祭 |
巡拝 | 港七福神(毘沙門天) |
交通アクセス
□麻布十番駅(都営大江戸線)より徒歩7分
□麻布十番駅(南北線)より徒歩8分
□六本木駅(日比谷線・都営大江戸線)より徒歩10分
コメント
[…] ・本氷川神社(港区赤坂/赤坂氷川神社に合祀) ・麻布氷川神社(港区元麻布) ・白金氷川神社(港区白金) ・簸川神社(文京区千石) […]