霞関山 太宗寺

太宗寺閻魔像

太宗寺は内藤新宿を代表する名刹で、太宗という僧が結んだ庵を起源とし、領主・内藤氏(信濃高遠藩主)の菩提寺とされた。江戸六地蔵の閻魔像は文化11年(1814)の安置と伝えられ、高さは1丈8尺(約5.5m)、江戸第一の巨像であった。

名称 霞関山 本覚院 太宗寺
御本尊 阿弥陀如来
札所本尊 閻魔大王
所在地 東京都新宿区新宿2-9-2 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 新宿御苑前(丸ノ内線)
新宿三丁目(丸ノ内線・南北線・都営新宿線)
目次

縁起・沿革

太宗寺は、慶長元年(1596)頃、太宗という僧がこの地に建てたといわれる庵を起源とする。太宗は土地の人々の信望を集め、庵は誰いうとなく太宗が庵と呼ばれるようになった。徳川家康江戸入府に際してこの辺りを屋敷地として拝領した内藤家(後の信濃高遠藩主)の帰依も得た。

『文政寺社書上』によれば、太宗は念誉故心学玄大徳と号し、慶長2年(1597)に遷化した。二代目の本蓮社覚誉理轍和尚の時、庵室が一寺に取り立てられたため、中興とするという。

寛永6年(1629)庵主が内藤正勝の葬儀を取り仕切り、墓所もここに置いたことから、寛文8年(1668)内藤重頼が寺地を寄進して伽藍を建立、内藤家の菩提寺となった。よって重頼を開基とする。

山号の「霞関山」は四谷大木戸一帯が「霞ヶ関」と呼ばれていたことに因み、院号の「本覚院」は内藤正勝の法名による。

内藤新宿を代表する寺であり、閻魔堂をはじめ、江戸六地蔵や三日月不動・塩かけ地蔵などがあり、大いに江戸庶民の信仰を集めた。新宿山ノ手七福神の布袋尊の札所でもある。

当寺の閻魔大王は「内藤新宿のお閻魔さん」と呼ばれ、同じく閻魔堂内に祀られた「しょうづかの婆さん(奪衣婆)」とともに広く信仰を集めた。

総高約5.5mの巨大な像で、『四谷区史』(昭和9年)には「一丈八尺であって、蔵前華徳院の丈六の像に勝ること二尺であって、江戸第一の巨像である」とある。文化11年(1814)に安置されたと伝えられるが、数度の火災等のためにたびたび補修されているため、制作当時のままなのは頭部のみとされる。

弘化年間(1844~47)閻魔像の眼球が水晶だという噂を信じ、片目を抜き取った者がいた。これが錦絵に描かれるほどの評判となり、さらに有名になったという。

奪衣婆は閻魔大王に仕え、三途の川を渡る亡者の衣服をはぎ取るとされる。明治3年(1870)の作と伝えられ、像の高さは約2.4m。衣をはぐということから、内藤新宿の伎楼の商売神としても信仰された。

かつて1月と7月の藪入りには縁日が出て非常に賑わったという。現在でも7月15・16日には御開帳が行われる。

納経(御朱印)

  • 太宗寺閻魔王の御朱印

平成20年拝受の御朱印。中央の揮毫は「閻魔王」、脇に「本地 地蔵菩薩」。中央の朱印は地蔵菩薩の種字「カ」、右は地蔵菩薩の御影(江戸六地蔵の御朱印と同じ)、左下は「太宗寺」。

写真帖

  • 閻魔堂

    閻魔堂

  • 奪衣婆

    奪衣婆

メモ

新宿2丁目の一角にある。意外に広い境内に、モダンなデザインの本堂や一般寺院の本堂並みの風格を持つ木造の不動堂が建っている。閻魔堂は江戸六地蔵の銅造地蔵菩薩坐像と並んでいる。中には巨大な閻魔大王の像と、恐ろしい顔をした奪衣婆の像が祀られている。普段は格子越しに見るしかできないが、1月と7月の16日には御開帳される。

太宗寺の概要

山号 霞関山〔かかんざん〕
寺号 太宗寺〔たいそうじ〕
院号 本覚院〔ほんがくいん〕
御本尊 阿弥陀如来
札所本尊 閻魔大王
所在地 東京都新宿区新宿二丁目9番2号
創建年代 寛文8年(1668)
開山 念誉故心学玄和尚
宗派等 浄土宗
巡拝 江戸六地蔵 江戸三大閻魔 新宿山ノ手七福神(布袋尊)

交通アクセス

□新宿御苑駅(丸ノ内線)より徒歩1分
□新宿三丁目駅(丸ノ内線・南北線・都営新宿線)より徒歩4分

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