
比々多神社は相模国の三宮で、かつては三宮大明神、三宮明神社などと呼ばれた。『吾妻鏡』には「三宮冠大明神」とある。源頼朝は北条政子の安産を祈願して神馬を奉納し、徳川家康が朱印地10石を寄進するなど武門の崇敬が篤かった。相模国府祭に参加する六社の一で、暴れ神輿は国府祭名物の一つである。
正式名称 | 比々多神社〔ひびたじんじゃ〕 |
---|---|
御祭神 | 豊斟渟尊 天明玉命 稚日女尊 日本武尊 〈相殿〉大酒解神 小酒解神 |
社格等 | 式内社 相模国三宮 旧郷社 |
鎮座地 | 御鎮座地の住所 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | https://hibita.jp/ |

御朱印



(1)平成18年拝受の御朱印。中央下の朱印は「相模國三之宮比々多神社」、上の印は丸に三つ引両の紋。
(2)令和4年拝受の御朱印。朱印は(1)と同じ。
(3)令和4年拝受、元宮の御朱印。朱印は「比々多神社元宮」。揮毫は社号等の文字ではなく、山と鳥居を描く。元宮の所在地を示すものであろう。


(4)令和4年拝受、国府祭の限定御朱印。朱印は(1)と同じ。台紙には国府祭で奉納される「鷺の舞」が描かれている。毎年、国府祭の限定御朱印は、国府祭に参加する6社共通で授与されている。国府祭当日は現地で、当日以外は各神社で授与される。令和4年はコロナ禍で神職による神事のみが執り行われたため、各神社での授与のみであった。
(5)令和7年拝受、国府祭の限定御朱印。国府祭当日、神揃山の斎場で拝受したもの。台紙の図柄は国府祭の六所神社における「七度半迎神の儀」と「道清め」の様子。
昔の御朱印

(6)昭和8年(1933)の御朱印。上の朱印は「相模國三之宮比々多神社」、下は「比々多神社々務所」。
比々多神社について

御祭神
■豊斟渟尊(豊国主尊とも)
■天明玉命
■稚日女尊
■日本武尊
配祀
■大酒解神(大山祇神)
■小酒解神(木花咲耶姫)
『新編相模国風土記稿』は豊国主尊・天明玉命・稚日孁尊の三座で大酒解神・小酒解神を相殿に祀るとする。『特選神名牒』は大酒解神・小酒解神の二座とし、偽風土記の説ではあるが、注進状に当社は「いと古き瓶二つ」を神体にすると伝えるので根拠がないとは言えず、これに従うとする。
また、『新編武蔵風土記稿』は、社頭の鐘(先の大戦中の金属供出のため現存せず)の銘に、三宮大明神は天平年中に鎌倉鎮将太郎太夫時忠の霊を祀ったと記されていることを紹介している。この時忠について、大山縁起に良弁(東大寺の初代別当で雨降山大山寺の開山)の父として記される染谷太郎太夫時忠のこととした上で、この銘文は延宝4年(1676)の撰であり、現在の社伝ともまったく違っているので信用しがたいとしている。
御由緒

比々多神社は相模の霊山・大山の麓に鎮座する。このあたりには極めて古くから人が住んでいたようで、境内や近隣から縄文時代や弥生・古墳時代の遺跡が見つかっている。中でも縄文時代中期の環状配石は祭祀遺構と考えられ、この地が太古からの聖地であったことを伺わせる。
延喜式神名帳所載の比比多神社に比定され(ただし上粕屋の子易明神も比比多神社を称している)、中世には相模国三宮として崇敬された。そのため、江戸時代以前には三宮大明神、三宮明神社とも呼ばれ、『吾妻鏡』には「三宮冠大明神」として記されている。
天保5年(1834)に記された『社伝記』によると、神武天皇6年(B.C.655)大山を神体山として、豊斟渟尊を「日本国霊」として祀ったことに始まるという。崇神天皇7年(B.C.91)神戸を賜った。
創建当初は現社地の北西400mほどの高台、「埒面〔らちめん〕」と呼ばれるところにあった。現在は元宮が鎮座している。
大化元年(645)大酒解神・小酒解神を合祀した際、「鶉甕〔うずらみか〕」という須恵器が奉納され、朱鳥6年(692)には相模の国司・布施朝臣色布知により木造狛犬一対が奉納されたという。どちらも社宝として現存し、鶉甕は神奈川県の重要文化財に、狛犬は伊勢原市の文化財に指定されている。
天長9年(832)国司・橘朝臣峰継を勅使として当国総社「冠大明神」の神号を賜った。
元暦元年(1184)源頼朝は大規模な社殿改修を行い、文治元年(1185)国土泰平祈願のための御願書を奉ったという。建久3年(1192)には北条政子の安産祈願のため、神馬を奉納した。
しかし、南北朝・室町時代に至ると神領の大部分を失い、さらに明応(1492~1501)の頃よりしばしば兵火にかかって社殿を焼失、社人・供僧も離散して社頭は衰微した。天正(1573~92)の初め、現社地に小社を建立して遷座した。
天正19年(1591)徳川家康より社領10石が寄進され、社頭の復興を見た。
明治6年(1873)郷社に列格。
4月に行われる例大祭には暴れ神輿や三基の山車が登場し、多くの人出で賑わうという。
国府祭

比々多神社は相模国府祭に参加する六社の一つである。
国府祭は端午祭とも称し、かつて相模の国衙が置かれた中郡大磯町国府本郷の神揃山と麓の大矢場の祭場に一宮寒川神社、二宮川勾神社、三宮比々多神社、四宮前鳥神社、一国一社八幡宮・平塚八幡宮の神輿が集まり、総社・六所神社に御分霊を奉納する神事を行う。
特に神揃山で行われる寒川神社と川勾神社の神職が上座を争う座問答が名高い。一宮・寒川神社の神職が虎の皮を敷いて座を取ると、二宮・川勾神社の神職がより上の場所に虎の皮を敷いて座を取る。これを三度ずつ繰り返すと、三宮・比々多神社の宮司が「いずれ明年まで」と仲裁する。往古、相武(さがむ)と磯長(しなが)の国を合わせて相模国が成立した時、相武の一宮の寒川神社と磯長の一宮の川勾神社の間で国の主神が争われた時の模様を儀式化したものとされる。

また、比々多神社の神輿は暴れ神輿として知られる。他の五社の神輿が湘南でよく見られる「どっこい、どっこい」のかけ声で甚句を歌いながら担ぐのに対し、「イヤートォサーセー、ヨイトコラサーセー」という独特のかけ声とともに左右に振りながら担ぐ。神輿が地面につくほど傾けると、大きな拍手が湧く。
かつて、他の四社の神輿が街道筋を通って往還したのに対し、ほとんど道らしいところは通らず、田畑はもちろん、山坂や川もいとわず道中の村人によって順次渡されながら進んだという。『新編武蔵風土記稿』には「大綱二條、小綱二條を神輿に結わえ付け、山川田畑の嫌いなく、道なき所を舁き超ゆるを例とす」とある。特に南金目から千須谷への血むせ峠は難所として知られ、大綱の一方を神輿の蕨手に、一方を丘の上の木に掛けて断崖を引きずりあげたという。
三宮の神輿が田畑を通ると作物がよく取れると信じられ、不作であった耕地を通っていただくよう願い出るものもあったとも伝えられる。
写真帖
平成18年の参拝時は雨、令和4年の参拝時は夕方で逆光となったため、ここでは平成20年の参拝時(御朱印は拝受せず)の写真を主に掲載する。

社頭風景。木造の鳥居が建つ。

手水舎。

鳥居から社殿の方向を見る。巨木がそびえる森厳な印象の境内である。

鐘楼。神奈川県の神社には鐘楼が残っている神社が多い。ただし江戸時代初期のものという元の宮鐘は先の大戦の金属回収で供出された。現在の宮鐘は、戦後、人間国宝の香取秀真に依頼して新たに鋳造されたものである。

御神木・相生の欅。

境内社。左から白山神社、弁天社、神明社、東照権現社、稲荷神社。

秋葉神社。

神輿殿。

拝殿。左右に「三之宮冠大明神」の幟が立つ。

本殿。
元宮
令和4年の参拝時、元宮まで足を延ばした。

社殿の背後、北西400mほどの高台にある果樹園の中に元宮が鎮座している。天正年間に現社地に遷るまでは、埒面〔らちめん〕と呼ばれるこのあたりに社殿があったという。

元宮の石祠。昭和55年(1980)所有者より奉納の意を受け、元宮として祀ったという。

元宮からの眺望。
メモ
初めての参拝は平成18年9月、一日で相模国六社巡りをした時。六社で最後の参拝となったが、朝から怪しかった天気がここに来て雨となった。二度目の参拝は平成20年10月、大山に参拝した帰途、写真を撮影するために立ち寄った。三度目の参拝は令和4年、再度相模国六社巡りをした時で、この時も最後の参拝となった。天候はよかったのだが、社殿が南東を向いているため逆光となり、写真撮影は難しかった。
境内には御神木の杉や欅など巨木が多く、社殿も大きく豪壮で古社に相応しい風格ある。歴史家の石野瑛は、かつて国府がこの付近にあったと主張し、「社伝記」などを根拠として、その頃は比々多神社が総社であったと考えた。現在、比々多神社は総社であったとは主張していないが、社宝や境内及び近隣の遺跡など、そう考えられても納得できる神社である。
[ac]
比々多神社の概要
名称 | 比々多神社 |
---|---|
旧称 | 三宮大明神 三宮明神社 冠大明神 |
御祭神 | 豊斟渟尊〔とよくもぬのみこと〕 天明玉命〔あめのあかるたまのみこと〕 稚日女尊〔わかひるめのみこと〕 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 〈相殿〉 大酒解神〔おおさかとけのかみ〕(大山祇神) 小酒解神〔こさかとけのかみ〕(木花開耶姫) |
鎮座地 | 神奈川県伊勢原市三ノ宮1472 |
創建年代 | 伝・神武天皇6年(B.C.655) |
社格等 | 式内社 相模国三宮 旧郷社 |
延喜式 | 大住郡 比比多神社 |
例祭 | 4月21日・22日(三宮祭) |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭・元旦祈禱祭 1月2日/招魂社慰霊祭 1月14日/どんど焼き・古札焼納祭 2月立春の前日/節分追儺祭 2月17日/祈年祭 5月5日/国府祭 5月第3土・日曜日/まが玉祭 6月30日/大祓 10月17日近くの日曜日/正祭・慰霊祭 11月中旬/酒祭 11月23日/新穀勤労感謝祭 12月31日/大祓 |
文化財 | 〈県重要文化財〉うずらみか〈県無形民俗文化財〉国府祭 |
交通アクセス
□小田急小田原線「伊勢原駅」よりバス
■神奈中バス栗原行き「比々多神社」下車徒歩すぐ
■神奈中バス鶴巻温泉駅行き「神戸」下車徒歩約12分
■神奈中バス殿村・石倉橋経由伊勢原車庫行き「三の宮」下車徒歩約5分
□小田急小田原線「鶴巻温泉駅」よりバス
■神奈中バス伊勢原駅北口行き「神戸」下車徒歩約12分
■神奈中バス伊勢原車庫行き「神戸」下車徒歩約12分
参考資料
・比々多神社公式サイト・由緒書
・『特選神名牒』教部省
・『府県郷社明治神社誌料 上』明治神社誌料編纂所(明治45年)
・大日本地誌大系第38巻『新編相模国風土記稿』(昭和8年)
・『伊勢原町勢誌』伊勢原町勢誌編纂委員会(昭和38年)
・『相模の古社』菱沼勇・梅田義彦(昭和46年)
・『武相叢書 考古 第3編』石野瑛(昭和48年)
・『神奈川県史 通史編2』神奈川県県民部県史編集室(昭和56年)
・『若者仲間の歴史』多仁照広(昭和59年)
更新履歴
・2007.03.25.公開
・2009.03.09.更新、画像追加
・2025.06.16.改訂、Wordpressへ移行、御朱印と画像を追加。
