正式名称 | 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕 |
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御祭神 | 素盞嗚尊 稲田姫命 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都板橋区氷川町21番8号 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://hikawa-jinja.sakura.ne.jp/ |
【由緒概要】
社伝によれば、元久3年(1206)頃、領主の豊島左衛門尉経泰が大宮の氷川神社から御分霊を勧請したことに始まるという。豊島氏の没落後は板橋宿の鎮守として土地の人々の崇敬を受けた。明治22年(1989)の火災で社殿が全焼、翌年再建された社殿も昭和20年(1945)の空襲で焼失。現在の社殿は昭和33年(1958)に再建されたものである。
氷川神社の御朱印
平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「氷川神社」。右上の印は「板橋町鎮座」、左下は「氷川神社々務所」。
氷川神社について
名称 | 氷川神社 |
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御祭神 | 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 稲田姫命〔いなだひめのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都板橋区氷川町21番8号 |
創建年代 | 元久3年(1206) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 9月第2土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/除夜祭・歳旦祭 1月10日/新年初祈祷 2月節分/節分祭 3月上午の日/初午祭 3月10日/祈年祭 5月10日/正五九の中の祭 6月30日/大祓 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓 |
御由緒
氷川町(元の下板橋村)に鎮座する氷川神社は、社伝によれば元久3年(1206)頃、この辺りの領主であった豊島左衛門尉経泰が、大宮の氷川神社の御分霊を勧請したことを起源とする。石神井川畔の景勝地である当地に鎮斎し、代々篤く崇敬していたという。
豊島氏が没落した後は、中山道の第一の宿場である板橋宿の鎮守として尊崇された。ただし『板橋町誌』(大正13年)は板橋宿のうち中宿と平尾(下宿)の鎮守とする(根村と上宿の鎮守は根村氷川神社)。江戸時代は平尾の如意山観明寺(板橋3、真言宗)が別当として奉仕していた。
明治の神仏分離により観明寺の住職が復飾して当社の神職となる。明治5年(1872)村社に定められ、翌6年(1873)郷社に列格した。
明治22年(1889)火災により社殿をはじめ境内の建物が全焼、文書や社宝も烏有に帰した。翌23年(1890)総檜神明造の社殿を再建するが、昭和20年(1945)空襲で再び焼失した。
現在の社殿は鉄筋コンクリート造の流造、昭和33年(1958)に落成したものである。
境内の富士塚に鎮座する天祖神社は天祖・八幡・北野の三神を祀り、もともと加賀藩下屋敷の邸内社であったと伝えられる。文化年間(1804~18)下板橋村字平尾の鎮守となった。大正の御大典を記念して氷川神社境内に奉遷したという。
写真帖
メモ
国道17号線(中山道)の西沿いに石神井川を背にして鎮座する。石神井川にかかる旧中山道の板橋(板橋の名の由来)に近く、古くから板橋の中心であったことをうかがわせる。
※平成28年現在、御朱印の対応はしていないようである。