素盞雄神社は延暦14年(795)役行者の高弟・黒珍が素盞雄大神・飛鳥大神の託宣を受け、一祠を建てて祀ったと伝えられる。その後、それぞれの社殿を造営したが、享保3年(1718)に社殿が類焼したため、享保12年(1727)両神を相殿として祀る社殿を造営した。近郷61ヶ町の総鎮守で、荒川区内でもっとも広い氏子区域を誇る。
正式名称 | 素盞雄神社〔すさのおじんじゃ〕 |
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御祭神 | 素盞雄大神 飛鳥大神(事代主神) |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都荒川区南千住6-60-1 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.susanoo.or.jp/ |
素盞雄神社の御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに「素盞雄神社」。
御由緒
素盞雄神社は小塚原町・中村町・三之輪村・町屋村・三河島村などの総鎮守で、千住天王の名で知られる。江戸時代以前は飛鳥権現牛頭天王合社、小塚原天王宮などと称し、別当は本山派修験の茨石山神翁寺能圓坊(廃寺)であった。
社伝によれば、平安時代の初め、当地に住んでいた僧・黒珍(神翁寺の初代)が、住居の東方にある塚の上の奇岩が毎夜奇光を発しているのを見て、日夜礼拝していた。
延暦14年(795)4月8日、その奇岩が瑞光を発し、二人の老翁が現れて「吾れは素盞雄大神(牛頭天王)飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い、幸福を増し、永く此の郷土を栄えしめん」と託宣した。そこで黒珍は祠を建てて両神を祀ったのが創祀という。
その後、黒珍は西向きの社殿を建立して素盞雄大神を、南向きの社殿を建立して飛鳥大神を遷し祀った。4月8日の疫神祭は両神示現の日であり、6月3日の天王祭、9月15日の飛鳥祭はそれぞれの神を遷座した日に因むものである。
両神が現れた霊岩を「神影面瑞光荊石(瑞光石)」と称し、これに因んで寺号を荊石山、寺号を神翁寺と称した。また、霊岩がある塚は「小塚」と呼ばれ、小塚原の地名の元となった。
享保3年(1718)社殿類焼し、享保12年(1727)本殿の再建に当たって両社合祀された。弘化2年(1845)別当神翁寺能圓坊は聖護院の直末になっている。
明治の神仏分離にあたり、別当が復飾して神職となった。明治5年(1872)郷社に列格。昭和20年(1945)米軍の空襲により社殿が焼失、同32年(1957)再建された。
例大祭は天王祭と呼ばれ、重量千貫という本社神輿を長柄日本で左右にもむ神輿振りで知られる。
写真帖
メモ
南千住駅から約500mの日光街道沿いに鎮座する。江戸時代には飛鳥の杜として名高かったという。現在は、瑞光石を祀る塚と周囲に茂る木々にその名を残すようだ。
拝殿は南面しているが、日光街道に向かう東側側面にも向拝がある。幕には飛鳥大神の三つ巴と素盞雄大神(牛頭天王)の祇園守の二つの神紋が染め抜かれている。
緑の多い境内は近所の人々の憩いの場になっているようで、社頭を通る人が手を合わせていく姿も多いように思われる。
素盞雄神社の概要
名称 | 素盞雄神社 |
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通称 | 千住天王 |
旧称 | 飛鳥権現牛頭天王合社 小塚原天王宮 |
御祭神 | 素盞雄大神〔すさのおのおおかみ〕 飛鳥大神〔あすかのおおかみ〕(事代主神) |
鎮座地 | 東京都荒川区南千住六丁目60番1号 |
創建年代 | 延暦14年(795) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 6月3日(天王祭) |
神事・行事 | 1月元旦/歳旦祭 2月節分/節分祭 4月8日/疫神祭 6月30日/夏越しの祓 8月5日/日枝神社例祭 9月15日/飛鳥祭 10月15日/熊野神社例祭 12月31日/年越しの祓 |
交通アクセス
□JR・東京メトロ千代田線・筑波エクスプレス「南千住駅」より徒歩約8分。
□京成線「千住大橋駅」より徒歩約8分。
□都電荒川線「三ノ輪橋」より徒歩約10分。
更新情報
2006.01.29.公開
2008.05.11.改訂、画像追加。
2017.06.26.更新、WPへ移行。
2024.06.30.更新、交通アクセス等追加。