勅祭社

勅使
勅使参進(明治神宮)

天皇陛下の遣わされた勅使を迎えて執り行われる祭祀を勅祭と呼び、例祭など恒例として勅祭が行われる神社を勅祭社(勅使参向の神社)という。ただし、年5回の大祭に勅使が遣わされる伊勢神宮は別格とされ、勅祭社には数えられない。現在、勅祭社は16社ある。

現行の勅祭社は天皇陛下の思し召しによるもので、法律などに基づく制度ではないため厳密な意味での社格ではない。しかし、いずれも皇室と格別の縁を持つ神社であり、事実上の社格として尊重されている。

なお、勅祭社の御朱印は「勅祭社の御朱印」(古今御朱印覚え書き)で紹介している。

目次

勅祭社一覧

神社名 例祭日 治定 鎮座地 旧社格
賀茂別雷神社 5月15日 ※1 明治16年 京都府 官幣大社
賀茂御祖神社 5月15日 ※1 明治16年 京都府 官幣大社
石清水八幡宮 9月15日 ※2 明治16年 京都府 官幣大社
春日大社 3月13日 ※3 明治19年 奈良県 官幣大社
氷川神社 8月1日 明治25年 埼玉県 官幣大社
熱田神宮 6月21日 大正6年 愛知県 官幣大社
出雲大社 5月14日 大正6年 島根県 官幣大社
橿原神宮 2月11日 大正6年 奈良県 官幣大社
明治神宮 11月3日 大正9年 東京都 官幣大社
平安神宮 4月15日 昭和20年 京都府 官幣大社
近江神宮 4月20日 昭和20年 滋賀県 官幣大社
靖国神社 4月22日・10月18日 明治2年 東京都 別格官幣社
鹿島神宮 9月1日 ※4 昭和17年 茨城県 官幣大社
香取神宮 4月14日 ※4 昭和17年 千葉県 官幣大社
宇佐神宮 (3月18日)※5 大正14年 大分県 官幣大社
香椎宮 (10月29日)※5 大正14年 福岡県 官幣大社
(朝鮮神宮)※6 10月17日 大正14年 朝鮮 官幣大社
(台湾神宮)※7 10月28日 昭和19年? 台湾 官幣大社

※1 賀茂祭、通称:葵祭。三勅祭の一。
※2 石清水祭、旧称:石清水放生会。三勅祭の一。
※3 春日祭。三勅祭の一。
※4 6年に一度勅使参向。
※5 10年に一度勅使参向、例祭とは別に臨時奉幣祭が行われる。
※6 昭和20年11月廃社。
※7 昭和20年3月発行の『仰ぐ御光』(藤樫準二著)の勅祭社一覧に台湾神社がある。昭和20年11月廃社。

勅祭社の歴史

勅使(靖国神社、戦前の絵はがき)
勅使参向(靖国神社、戦前の絵はがき)

前史

勅祭社は中世の二十二社の制に倣ったものとされる。

律令制下においては神祇官の神名帳に掲載された全国の神社が祈年の班幣に預かっていた(式内社)。しかし律令制の衰退に伴って廃れ、それに代わって畿内周辺の有力な神社への奉幣が行われるようになった。これが二十二社の制だが、室町時代後期にはこれも中断された。

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江戸時代に入ると勅使による奉幣の再興が図られ、伊勢例幣使(伊勢神宮)・日光例幣使(日光東照宮)や賀茂祭(上賀茂神社・下鴨神社)・石清水放生会(石清水八幡宮)・春日祭(春日大社)の三勅祭、甲子の年の上七社(伊勢神宮・石清水八幡宮・上賀茂神社・下鴨神社・松尾大社・平野神社・伏見稲荷大社・春日大社)及び宇佐神宮・香椎宮への奉幣などが行われた。

伊勢例幣使は伊勢神宮の神嘗祭に幣帛を奉献するために遣わされるもので、応仁の乱により中絶していたが、正保4年(1647)日光例幣使を出すことと引き換えに、徳川幕府の協力を得て再興された。

賀茂祭・石清水放生会も応仁の乱で中絶していたが、石清水放生会は延宝7年(1679)、賀茂祭は元禄7年(1694)に再興された。春日祭も江戸時代に祭儀の復興が進められ、幕末の元治2年(1865)、孝明天皇の思し召しによる旧儀再興により勅使(上卿)が差遣された。この賀茂祭・石清水祭・春日祭を三勅祭と呼ぶ。

また、甲子の年は戊辰・辛酉とともに「三革」と呼ばれて変事の多い年とされ、二十二社のうちの上七社と宇佐宮・香椎宮へ奉幣使を差遣し、国家の安泰を祈願した。しかし七社奉幣使は嘉吉2年(1442)、宇佐・香椎奉幣使は元亨元年(1321)を最後に中断していた。これを延享元年(1744)に再興し、以後、甲子の年の大奉幣使として文化元年(1804)、元治元年(1864)にも発遣されている。

これらが近代の勅祭社のベースとなっていると考えられる。

近代社格制度成立以前

明治元年(1868)3月、全国の神社は白川・吉田家等諸家の執奏配下を廃され、神祇事務局の支配下に入り、神祇官の再興とともにその附属となった。そして同年5月、「伊勢両宮ならびに大社、勅祭神社」を除く神社はすべて府藩県の支配下に置かれることとなったが、この時点での「大社、勅祭神社」は明確に定められたものではなかった。

同年10月、明治天皇は大宮の氷川神社を武蔵国の鎮守、勅祭社と定め、10月28日に御親祭された。これが近代における勅祭社の初めであり、翌11月には神祇官直支配社について勅祭社・直支配社・准勅祭社の三等の社格が定められた。

神祇官直支配社の範囲については、明治3年(1870)3月の度会県からの問い合わせに対し、神祇官の4月8日付けの回答がある。この回答による神祇官勅祭社・神祇官直支配社・神祇官准勅祭社は以下の通り。

神祇官勅祭社・神祇官直支配社・神祇官准勅祭社
勅祭社
名称 現在の社号 鎮座地 旧社格・二十二社・勅祭社
伊勢両宮 皇大神宮・豊受大神宮 三重県 神宮・上七社
石清水 石清水八幡宮 京都府 官幣大社・上七社・勅祭社
加茂上下 賀茂別雷神社
賀茂御祖神社
京都府 官幣大社・上七社・勅祭社
官幣大社・上七社・勅祭社
大原野 大原野神社 京都府 官幣中社・中七社
吉田 吉田神社 京都府 官幣中社・下八社
八阪 八坂神社 京都府 官幣大社・下八社
松尾 松尾大社 京都府 官幣大社・上七社
北野 北野天満宮 京都府 官幣中社・下八社
平野 平野神社 京都府 官幣大社・上七社
稲荷 伏見稲荷大社 京都府 官幣大社・上七社
梅宮 梅宮大社 京都府 官幣中社・下八社
武蔵 氷川 氷川神社 埼玉県 官幣大社・勅祭社
直支配社
名称 現在の社号 鎮座地 旧社格・二十二社
日吉 日吉大社 滋賀県 官幣大社・下八社
住吉 住吉大社 大阪府 官幣大社・中七社
熱田 熱田神宮 愛知県 官幣大社・勅祭社
杵築 出雲大社 島根県 官幣大社・勅祭社
宇佐 宇佐神宮 大分県 官幣大社・勅祭社
阿蘇 阿蘇神社 熊本県 官幣大社
太宰府 太宰府天満宮 福岡県 官幣中社
豊前 英彦山 英彦山神宮 福岡県 官幣中社
金刀比羅 金刀比羅宮 香川県 国幣中社
日前國懸 日前神宮
國懸神宮
和歌山県 官幣大社
官幣大社
熊野三山 熊野本宮大社
熊野速玉大社
熊野那智大社
和歌山県 官幣大社
官幣大社
官幣中社
三輪 大神神社 奈良県 官幣大社・中七社
大倭 大和神社 奈良県 官幣大社・中七社
龍田 龍田大社 奈良県 官幣大社・中七社
石上 石上神宮 奈良県 官幣大社・中七社
廣瀬 廣瀬大社 奈良県 官幣大社・中七社
摂津 廣田 廣田神社 兵庫県 官幣大社・下八社
諏訪 諏訪大社 長野県 官幣大社
戸隠 戸隠神社 長野県 国幣小社
鹿島 鹿島神宮 茨城県 官幣大社・勅祭社
香取 香取神宮 千葉県 官幣大社・勅祭社
出雲 日御碕 日御碕神社 島根県 国幣小社
出雲 熊野 熊野大社 島根県 国幣大社
白岑 白峯神宮 京都府 官幣大社
鎌倉宮 鎌倉宮 神奈川県 官幣中社
准勅祭社(東京十二社)
名称 現在の社号 鎮座地 旧社格
日枝 日枝神社 東京都 官幣大社
根津 根津神社 東京都 府社
芝神明 芝大神宮 東京都 府社
神田 神田神社 東京都 府社
白山 白山神社 東京都 郷社
亀戸 亀戸天神社 東京都 府社
品川貴船 品川神社 東京都 郷社
富岡八幡 富岡八幡宮 東京都 府社
王子 王子神社 東京都 郷社
赤坂氷川 赤坂氷川神社 東京都 府社
府中六所 大國魂神社 東京都 官幣小社
鷲宮 鷲宮神社 埼玉県 県社

なお、准勅祭社(東京十二社)はこの年の9月に社格停止となり、各府県の管轄となっている。

明治3年2月、太政官より神祇官へ「二十九社奉幣祭典御再興ニ付式目委細取調」るようとの御沙汰があった。これら二十九社は勅祭社とされ、大中小祭・大中小奉幣の区分があった。いくつかの資料には明治時代には勅祭社が29社あったとするものがあるが、この二十九社奉幣を指していると思われる。

二十九社は以下の通り。なお、この時点で伊勢神宮は別格とされたようで、二十九社には含まれていない。

二十九社奉幣
名称 現在の社号 鎮座地 旧社格・二十二社・勅祭社
大奉幣
出雲大社 出雲大社 島根県 官幣大社・勅祭社
熱田 熱田神宮 愛知県 官幣大社・勅祭社
宇佐 宇佐神宮 大分県 官幣大社・勅祭社
鹿島 鹿島神宮 茨城県 官幣大社・勅祭社
香取 香取神宮 千葉県 官幣大社・勅祭社
大祭
加茂上下 賀茂別雷神社
賀茂御祖神社
京都府 官幣大社・上七社・勅祭社
官幣大社・上七社・勅祭社
一ノ宮 氷川 氷川神社 埼玉県 官幣大社・勅祭社
石清水 石清水八幡宮 京都府 官幣大社・上七社・勅祭社
春日 春日大社 奈良県 官幣大社・上七社・勅祭社
中奉幣
香椎 香椎宮 福岡県 官幣大社・勅祭社
宗像 宗像大社 福岡県 官幣大社
日吉 日吉大社 滋賀県 官幣大社・下八社
三輪 大神神社 奈良県 官幣大社・中七社
大和 大和神社 奈良県 官幣大社・中七社
中祭
八阪 八坂神社 京都府 官幣大社・下八社
北野 北野天満宮 京都府 官幣中社・下八社
小奉幣
太宰府 太宰府天満宮 福岡県 官幣中社
廣瀬 廣瀬大社 奈良県 官幣大社・中七社
龍田 龍田大社 奈良県 官幣大社・中七社
石上 石上神宮 奈良県 国幣大社・中七社
廣田 廣田神社 兵庫県 官幣大社・下八社
住吉 住吉大社 大阪府 官幣大社・中七社
小祭
松尾 松尾大社 京都府 官幣大社・上七社
大原野 大原野神社 京都府 官幣中社・中七社
吉田 吉田神社 京都府 官幣中社・下八社
平野 平野神社 京都府 官幣大社・上七社
稲荷 伏見稲荷大社 京都府 官幣大社・上七社
梅宮 梅宮大社 京都府 官幣中社・下八社
貴船 貴船神社 京都府 官幣中社・下八社

ただし二十九社奉幣の実施に当たっては多くの困難があり、同年の奉幣は見合わせという神社も少なくなかった。しかも翌明治4年(1871)には近代社格制度が実施され、結局、二十九社奉幣は実現を見ることなく廃止となった。

近代社格制度の成立

明治4年(1871)5月14日に太政官布告「官社以下定額及神官職員規則」が公布され、近代社格制度の基本が定められた。これにともなって勅祭社の制度は廃止された。

全国の神社は官社(官幣社・国幣社)と諸社(府県社以下)に分けられ、官幣社・国幣社はそれぞれ大社・中社・小社の区分があった。

明治4年時点での官社は官幣社35社(官幣大社29社・官幣中社6社)、国幣社62社(国幣中社45社・国幣小社17社)で、官幣小社・国幣大社は存在していなかった。官幣小社は明治5年(1872)に国幣小社から昇格した札幌神社(北海道神宮)が最初である。また、同じく明治5年には新たな社格として別格官幣社が設けられ、湊川神社が列格した。

明治4年5月時点での官国幣社については下記リンク先を参照。

近代社格制度発足当初、官幣諸社には式部寮官員が勅使として参向し、奉幣が行われていた(国幣社は地方官が幣帛供進使として参向)。よって、その時点では官幣社はすべて勅祭社だったと言いうる。

しかし明治6年(1873)2月15日の太政官布告によってこれが廃され、伊勢神宮以外の一般官国幣社はすべて地方官が参向することとなった。これによって、名実ともに制度(社格)としての勅祭社は消滅した。

勅祭社の復活

賀茂祭の勅使(戦前の絵はがき)
賀茂祭(葵祭)の勅使(戦前の絵はがき)

現在に続く勅祭社は賀茂祭・石清水祭(当時の名称は男山祭)の旧儀再興により、賀茂別雷神社・賀茂御祖神社・石清水八幡宮(当時は男山八幡宮)が勅祭社に治定されたことに始まる。

賀茂両社の賀茂祭(葵祭)、石清水八幡宮の石清水祭(古くは石清水放生会)、春日大社の春日祭は三祭(三勅祭)と称され、古くから勅使が参向していた。室町時代に中断するが、江戸時代になって再興された。しかし、明治維新後、旧儀は行われなくなり、さらに明治6年2月15日の太政官布告によって他の官幣諸社とともに地方官が執行することとなったため、勅祭の伝統は断絶した。

明治16年(1883)4月、太政官から宮内省に対し、即位礼・大嘗祭は京都で行われることと定められたため、宮殿(京都御所)保存を取り計らうように申し渡された。同年9月、宮内省は賀茂両社の賀茂祭・石清水八幡宮の男山祭(石清水祭)の旧儀を再興し、翌17年から執行したいと太政官に上申して裁可された。これによって両社に勅使が差遣されることとなった。

明治17年(1884)5月15日に賀茂祭が、同年9月15日に男山祭が旧儀によって行われ、それぞれ勅使が参向奉幣した。

翌明治18年(1885)3月、宮内省は春日神社(春日大社)の春日祭についても旧儀再興し、翌19年から執行したいと上申し、裁可された。さらに氷川神社についても明治25年(1892)8月1日の例祭に勅使を差遣し、旧儀により東遊を奉納した。これ以後、4社の勅祭は恒例となり、現在まで継続している。

これが現在に続く勅祭社の始まりだが、天皇陛下の思し召しによるものであり、当時においても法律などに基づく制度ではなかった。そのため、近代社格制度成立以前の勅祭社とは違い、厳密な意味での社格とは言えない。

大正6年(1917)2月、熱田神宮・出雲大社・橿原神宮が勅祭社に治定され、同年の例祭から勅使が参向した。また大正9年(1920)の明治神宮、大正14年(1925)の朝鮮神宮の御鎮座に当たってはその年の例祭から勅使が参向奉幣している。

大正13年(1924)は甲子の年であり、60年毎の宇佐使・香椎使の差遣される年であったが、翌大正14年(1925)2月に勅使参向の治定があり、以後、両社には10年毎に勅使が差し遣わされることとなった。

昭和17年(1942)1月には鹿島神宮と香取神宮が勅祭社に治定された。また、昭和19年(1944)には台湾神宮が勅祭社に治定されたと思われる。詳細は後述。

昭和20年(1945)11月、朝鮮神宮と台湾神宮は廃社となる。

同年12月15日、GHQより神道指令が出る直前に平安神宮と近江神宮が勅祭社に治定された。これが現時点における最後の勅祭社で、以後、現在に至る。

近代社格制度下の勅祭社

春日大社勅祭上卿(勅使)
春日祭の上卿(勅使)(戦前の絵はがき)

現在の勅祭社は例祭に宮内庁の掌典が勅使として赴くだけだが(※宇佐神宮と香椎宮は例祭とは別に、10年に1度臨時奉幣祭が行われる)、近代社格制度の下ではより細かな規定があった。

一般の官国幣社では、三大祭とされる祈年祭・新嘗祭・例祭に地方長官が幣帛供進使として参向し、祝詞を奏上した。これに対し、三大祭のうち例祭に勅使が参向し、御祭文を奏上するのが勅祭社である。よって、戦前の資料の中には、十年に一度勅使が参向し、臨時奉幣祭を行う宇佐神宮と香椎宮を勅祭社に含めないものもあるが、そういった資料でも両社を勅祭社と同等、あるいは勅祭社に準ずる神社として扱っている。

勅祭には、通例は宮内省の掌典が勅使として差遣されたが、例外もあった。

三勅祭とされる賀茂祭・石清水祭(旧・石清水放生会)・春日祭は、旧儀再興により江戸時代以前の伝統が再興され、賀茂祭には勅使が、石清水祭・春日祭には上卿が差遣された。中でも賀茂祭の勅使と石清水祭の上卿は京都在住の華族が任じられた。

朝鮮神宮は5年毎に掌典次長が勅使として参向し、他の年は朝鮮総督が勅使として参向するのが例となっており、鹿島神宮・香取神宮についても5年毎に掌典が勅使として参向し、他の年は地方長官を勅使として参向させることとなっていた。戦後は地方長官を勅使とすることが不可能になったため、鹿島神宮・香取神宮の12年毎の式年神幸祭に合わせ、6年毎の参向となっている。

月山神社官幣大社昇格奉告祭
月山神社官幣大社昇格奉告祭の勅使参向(戦前の絵はがき)

なお、一般の官国幣社においても、臨時の大祭である大嘗祭当日祭をはじめ、鎮座祭・昇列格奉告祭・臨時奉幣祭には掌典または地方長官を勅使として差遣することになっていた。

台湾神宮

これまで台湾神宮(昭和19年に台湾神社から改称)を勅祭社とする資料は見たことがなかったのだが、今回この記事を書くに当たって調べていくうちに、昭和20年3月発行の『仰ぐ御光』(藤樫準二著)の勅祭社一覧に台湾神社があるのを見つけた。

昭和17年に別の出版社から発行された同著者の同名書籍(内容はほぼ同じ)の勅祭社一覧には名前がないため記述ミスとは考えられず、この間に勅祭社として治定されたことが推測できる。

昭和19年6月に天照大神の増祀と台湾神宮への改称が内務省から告示されており、同年10月に新社殿での鎮座祭が行われる予定であった。これに合わせて勅祭社に治定されたのではないかと考えられる。

しかし鎮座祭直前の10月23日に旅客機が境内に墜落し、新社殿が炎上してしまった。このため旧社殿で祭神増祀祭と例祭のみが行われたようであり、翌20年8月には終戦を迎えているため、実際に勅使が差遣されたかどうかは確認できない。昭和20年11月廃社。

靖国神社

勅使(靖国神社)
勅使参進(靖国神社)

靖国神社は他の勅祭社と違った特殊な歴史をたどっている。

明治2年(1969)旧暦6月29日、靖国神社は勅命により東京招魂社として創建された。この時、勅使として弾正大弼・五辻安中が差遣されたのが勅使参向の始めである。

同年7月12日、招魂社を管理する兵部省は、正月3日(鳥羽・伏見戦争勃発の日)・5月15日(上野彰義隊壊滅の日)・5月18日(箱館の旧幕軍幸福の日)・9月22日(会津藩降伏の日、ただし同日は天長節に当たるため21日に変更、さらにその後23日に改められた)を例祭と定め、同17日勅祭を経て決定した。

同年9月21日、例大祭に勅使参向があるが、同年10月19日、年4回の例祭日のうち、正月3日を特に大祭日として勅使参向・奉幣を行うことと定められた。

明治6年(1883)2月18日、太陽暦への改暦により、例祭日を1月31日・6月9日・11月12日に改め、勅使は11月の例祭に参向することとなる(さらに同9年5月、例祭日は1月27日・7月4日・11月6日に改められている)。

当初、東京招魂社は軍の管轄で一般の神社とは異なる存在とされた。しかし、次第に神社としての面目が整い、専任の神官がいないなどの不安定要素があったため、陸軍省は太政官に対し、社格を付与して正式の神社とし、専任神官を置くよう要請した。

明治12年(1879)6月4日、東京招魂社は靖国神社と改称して別格官幣社に列格し、内務・陸軍・海軍三省の管理下に置かれることとなった。これに伴って大祭日を5月6日・11月6日に改め、11月の祭典に勅使が参向することと定められた。

この時点では三勅祭の旧儀再興も行われておらず、伊勢神宮以外では唯一の勅使参向の神社であった。

大正元年(1912)12月3日、例大祭を4月30日(日露戦役陸軍凱旋観兵式の日)・10月23日(同海軍凱旋観艦式の日)に改定し、春秋両日に勅使が参向することになる。ただし改定後最初の例大祭である大正2年4月30日は明治天皇の諒闇中であったため勅使の差遣はなく、10月23日の例大祭より参向があった。

昭和20年(1945)10月23日の例大祭を最後に、勅使の参向が途絶える。ただし、その後も例大祭には皇族・元皇族が参拝されている。

昭和21年(1946)10月11日、春秋の例大祭を4月22日・10月18日に改めた。

昭和28年(1953)10月18日、終戦後初の勅使参向があった。以後、再び春秋の例大祭に勅使が参向し、現在に至る。

参考資料

「明治初年の社格と准勅祭社」竹岡勝也(『國學院雑誌』大正14年2月号)
『神社行政』児玉九一(昭和9年、常磐書房)
『神祇制度大要』岡田包義(昭和11年、岡田包義)
『神祇に関する制度・作法解説』矢部善三(昭和14年、照林堂書店)
『神祇史大系』宮地直一(昭和16年、明治書院)
『明治天皇の御敬神』神祇院 編(昭和16年、内閣印刷局)
『神祇問答二百題』河田晴夫(昭和16年、河田晴夫)
『神祇に関する制度作法事典』神祇学会(昭和17年、光文堂)
『仰ぐ御光』藤樫準二(昭和17年、大道書房)
『神社法(地方行政全書)』武若時一郎(昭和18年、良書普及会)
『仰ぐ御光』藤樫準二(昭和20年、桜菊書院)
『神宮・明治百年史 下巻』(昭和45年、神宮司庁文教部)
『靖国神社略年表』(昭和48年、靖国神社社務所)
『神道要語集 祭祀篇1』國學院大學日本文化研究所(昭和49年、神道文化会)
『日枝神社史』(昭和54年、日枝神社御鎮座五百年奉賛会)
『靖国神社百年史 資料篇 中』(昭和58年、靖国神社)
「東京招魂社から別格官幣社靖国神社へ」三橋健(『神道宗教』昭和61年3月号)
『近代日本社会と天皇制』磐井忠熊(昭和63年、柏書房)

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