第53番 須賀山 圓明寺 | 愛媛県松山市

53番円明寺

天平年間(729~49)聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝えられている。元は和気西山にあり、海岸山円明寺と号した。後に弘法大師が伽藍を整備したという。以来、寺運は興隆したが、戦火により衰微。寛永10年(1633)地元の豪族・須賀重久が現在地に移転再興した。

名称 須賀山 正智院 円明寺
御本尊 阿弥陀如来
本尊真言 おん あみりた ていせい からうん
御詠歌 来迎の弥陀の光の圓明寺 照りそふ影は夜な夜なの月
所在地 愛媛県松山市和気町1-182 [Mapion|googlemap]
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目次

円明寺の納経(御朱印)

53番円明寺の納経
(1)
53番円明寺の納経
(2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「阿弥陀如来」。中央の宝印は法輪。右上の印は「五十三番」、左下は「金剛幡院」。

(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印とも平成元年のものと同じ。

昔の納経

天保11年の納経
(3)
天保12年の納経
(4)
明治38年の納経
(5)

(3)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納」「本尊阿弥陀如来」「豫州須賀山」「円明密寺」。中央の宝印は勅願所であることを示す十六八重菊と五三桐の御紋。右上は「四国第五十三番」、左下は「金院」。

(4)天保12年(1841)の納経。「奉納」「本尊阿弥陀如来」「円明寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

(5)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊阿弥陀仏」「須賀山 円明寺」。中央の宝印は法輪、右上の印は「五十三番」、左下は「金剛幡院」で現在のものとほぼ同じ。

略縁起

天平年間(729~49)聖武天皇の勅願により行基菩薩が和気西山の海岸に一寺を建立し、海岸山円明寺と号した。後、弘法大師が四国巡錫の際に訪れ、四国霊場に定めたという。

その後、寺運は隆盛したが戦国時代に兵火で焼失。寛永10年(1633)に地元の豪族・須賀重久が現在地に移転再建、その功を賞して仁和寺の覚深法親王より須賀山の山号を賜った。

仁王門をくぐると左手に大師堂、正面には「遍照金剛」の額が掲げられた中門がある。中門をくぐると本堂がある。大正13年(1924)シカゴ大学のスタール博士が、本堂の厨子に打ち付けられた銅板の納め札を発見した。慶安3年(1650)京都の住人家次の銘があり、四国遍路の歴史を知る上で大変貴重な資料である。

また、大師堂の傍にはキリシタン灯籠がある。高さ40cmほどで、昔の鍵穴のようなしており、合掌する女性(聖母マリアと考えられている)の浮彫がある。

奥之院は和気西山の旧寺地にある海岸山円明寺で、十一面観音を祀る観音堂がある。

写真帖

山門
山門(八脚門)
本堂
本堂
キリシタン灯籠
キリシタン灯籠

メモ

伊予和気駅の近く、古くからの町並みに溶け込んでいる。境内もお堂も小ぶりだが、風格のあるたたずまいである。

円明寺の概要

山号 須賀山(すがざん)
寺号 円明寺(えんみょうじ)
院号 正智院(しょうちいん)
旧称 海岸山円明寺
御本尊 阿弥陀如来
所在地 愛媛県松山市和気町一丁目182番地
創建年代 天平勝宝元年(749)
開山 行基菩薩
宗派等 真言宗智山派
文化財 〈県有形文化財〉八脚門 厨子 木造阿弥陀三尊像のうち両脇侍像

交通アクセス

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