羽田七福いなりめぐり

穴守稲荷神社神狐

穴守稲荷神社の神狐

羽田七福いなりめぐりは、毎年1月1日から5日の間、東京都大田区の羽田地区に鎮座する七つの稲荷神社と別格の玉川弁財天、合わせて8ヶ所を巡拝する催し。

■壱番 萩中 東官守稲荷神社
■弐番 上田 妙法稲荷神社
■参番 大野 重幸稲荷神社
■四番 中村 高山稲荷神社
■五番 仲町 鴎稲荷神社
■別格 羽田 玉川弁財天
■六番 鷹取 白魚稲荷神社
■七番 東京羽田 穴守稲荷神社

以上の8ヶ所で構成される。東官守稲荷神社は萩中神社の境内社、高山稲荷神社は中村天祖神社の境内社、玉川弁財天は龍王院の境外仏堂になる。

七福神を祀るわけではないが、羽田七福という名称や正月限定の行事であることによるのか、以前から七福神霊場に準じて扱われることが多い。

目次

羽田七福いなりめぐりについて

羽田七福いなりめぐりは、昭和63年(1988)穴守稲荷神社の責任役員の発案により始まった。毎年1月1日から5日の間、京急空港線の糀谷駅から穴守稲荷駅の間に鎮座する稲荷神社七社と玉川弁財天を巡る。

穴守稲荷以外は、町の人々によって守られている小さなお堂や祠だが、それぞれ興味深い由緒を持つ。御朱印の対応も町会の方々がされているようである。

比較的知られている割に観光化されておらず、地元の方々の手作り・手弁当の正月行事という印象。回っている人も、他所から来た人も少なくないようだが、地元の人も多いようで、家族連れが自転車や徒歩で回っている姿がほほえましい。御朱印と一緒にいろいろな景品もいただくので、ちょっと申し訳ないぐらい。下町の正月を味わいたい方におすすめの巡拝コースである。

羽田七福いなりめぐり公式サイト穴守稲荷神社

巡拝情報

巡拝期間は1月1日から5日まで、各日9時から15時までの受付対応となります。穴守稲荷以外は町会による対応のため、巡拝期間以外の対応はない。専用の集印帳(色紙、初穂料200円)が準備されているが、自分で準備した御朱印帳や色紙に印をいただくこともできる。

各社には番号が当てられている(玉川弁財天は別格の扱い)。巡拝は京急空港線糀谷駅近くに鎮座する1番の東官守稲荷神社から番号順に7番穴守稲荷神社に向かうのが効率的。すべての御朱印をいただいて穴守稲荷に参拝すると、記念品をいただくことができる。

所要時間は1時間半から2時間程度。また大田区コミュニティサイクルの利用も可能である。

壱番 萩中 東官守稲荷神社《身体安全》

東官守稲荷神社

■東官守稲荷神社(萩中神社境内社)
御祭神:宇迦之御魂神
創建年代:不詳
御神徳:身体安全
鎮座地:東京都大田区萩中1-5-18 [Mapion|googlemap]

御由緒

東官守稲荷神社

東官守稲荷神社は萩中神社の境内社。「東官守(とうかんもり)」は「稲荷の森(いなりのもり=とうかのもり)」の転訛と思われる。

かつては旧萩中町7番地に鎮座していた。境内も広く、東の海に向かって建っていたという。当時、このあたりの人々は半農半漁の暮らしをしていたため、海上での仕事の安全を守護する神として信仰を集めていた。

大正6年(1917)の風水害で被災し、萩中神社の再建に際してその境内に遷された。さらに昭和20年(1945)4月の空襲で焼失したが、地元の人々によって再建されたという。

東官守稲荷神社・萩中神社拝殿

萩中神社

なお、東官守稲荷が鎮座する萩中神社は、正式には天祖神社と称し、天照皇大神と豊受姫大神を御祭神する。旧萩中村の鎮守で、古くは神明社と称したが、明治6年(1873)頃、天祖神社と改称したようである。

御朱印

東官守稲荷神社の御朱印

平成19年拝受の御朱印。印は白砂青松の砂浜に帆掛け船、鳥居と神狐の図に「萩中」「東官守稲荷神社」。

アクセス

□京急空港線「糀谷駅」より徒歩約5分

□弐番 妙法稲荷神社へ徒歩約7分

弐番 上田 妙法稲荷神社《招福厄除》

妙法稲荷神社

■稲荷神社
通称:妙法稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂命
創建年代:享和元年(1801)
御神徳:開運厄除
鎮座地:東京都大田区本羽田1-12-9 [Mapion|googlemap]

御由緒

妙法稲荷神社

上田の妙法稲荷神社は、享和元年(1801)9月、洪水の被害から復興するにあたり、伏見稲荷大社より御分霊を勧請したことに始まる。社殿は大松の下に建立されたが、この松には白蛇が住み、神様のお使いといわれていたことから「蛇稲荷」とも呼ばれていたという。

『新編武蔵風土記稿』の羽田村の項に字西馬場耕地の稲荷社があり(上田を西馬場耕地・東馬場耕地ともいう)、これが妙法稲荷神社のことと思われる。「小祠、東向き。本住寺の持ち」とあり、「妙法」の名は日蓮宗の本住寺が別当であったことによるのだろう。

妙法稲荷神社

大正12年(1923)9月、関東大震災のため社殿も大松も焼失。その後、有志が松の切り株の上に八角堂を建立、妙法稲荷と呼ばれて信仰を集めるようになった。この八角堂も昭和20年(1945)の戦災で焼失したが、昭和31年(1956)現在の社殿が再建された。

御朱印

妙法稲荷神社の御朱印

平成19年拝受の御朱印。朱印は由緒に因む松の木と白蛇、鳥居と八角堂に「羽田 上田(じょうでん)」「妙法稲荷神社」。

アクセス

□壱番 東官守稲荷神社より徒歩約7分

□参番 重幸稲荷神社へ徒歩約5分

参番 大野 重幸稲荷神社《開運長寿》

重幸稲荷神社

■稲荷神社
通称:重幸稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂命
創建年代:不詳
御神徳:開運長寿
鎮座地:東京都大田区本羽田1-7-14 [Mapion|googlemap]

御由緒

重幸稲荷神社

重幸〔じゅうこう〕稲荷神社は、住宅地の中の小さな祠である。

その昔、大野上田と呼ばれたこの辺りは、たびたび多摩川の洪水に悩まされていた。村人たちが旧六郷土堤の際に田畑の守護と五穀豊穣を祈願して社を建立したのが重幸稲荷の始まりと伝えられる。重幸稲荷神社の前の通りが元の六郷土堤であり、現在の社の位置がかつての土堤の高さであったという。

境内には樹齢400年という楠の大樹があったが、昭和20年(1945)4月の空襲で焼失した。今も社前の道路の一部が膨らんでいるのはその名残とのことである。

御朱印

重幸稲荷神社の御朱印

平成19年拝受の御朱印。朱印は鳥居と神狐、楠の大樹に「大野」「重幸稲荷神社」。鳥居の中に「幸」の字が10個あり、十幸(じゅうこう)=重幸を表しているのだろう。

アクセス

□弐番 妙法稲荷神社より徒歩約5分。

□四番 高山稲荷神社へ徒歩約10分

四番 中村 高山稲荷神社《学業成就》

高山稲荷神社

■高山稲荷神社(中村天祖神社境内社)
御祭神:宇迦之御魂命
創建年代:不詳
御神徳:学業成就
鎮座地:東京都大田区羽田3-12-2 [Mapion|googlemap]

御由緒

高山稲荷神社

高山稲荷神社は中村天祖神社の境内社。元は名主の橋爪家の前(本羽田3丁目)に鎮座していたが、昭和4年(1929)六郷土堤改修工事に伴って天祖神社境内に遷座した。高山の名は、遷座前の旧社殿が飛騨高山から来た大工によって建てられたことに因むと伝えられている。

御神徳は学業成就。かつて、この辺りに住む子どもたちは、初午の日に社前の小屋でお籠もりし、それから寺子屋に入ったという。

高山稲荷神社・中村天祖神社拝殿

高山稲荷神社が鎮座する中村天祖神社は天照皇大神と豊受姫大神を祀る。創建等の由緒は詳らかでないが、『新編武蔵風土記稿』には神明社として記載されており、同書が編纂された文政の頃にはすでに鎮座していたようである。

御朱印

高山稲荷神社の御朱印

平成19年拝受の御朱印。朱印は鳥居と三宝、神狐、社名を表すと思われる高い山に「中村」「高山稲荷神社」。

アクセス

□参番 重幸稲荷神社より徒歩約10分

□五番 鴎稲荷神社へ徒歩約12分

五番 仲町 鴎稲荷神社《開運招福》

鴎稲荷神社

■稲荷神社
通称:鴎稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂命
創建年代:弘化2年(1845)以前
御神徳:開運招福
鎮座地:東京都大田区羽田6-20-10 [Mapion|googlemap]

御由緒

鴎稲荷神社

鴎稲荷神社は、東海道から分岐して羽田の弁天橋へと続く羽田道に面して鎮座する。羽田道は、羽田弁財天への参詣、あるいは羽田で獲れた魚を江戸へ運ぶ道として利用された。

創建年代は詳らかでないが、鳥居に弘化2年(1845)の銘があることから、それ以前の鎮座である。漁師たちが大漁を祈願すると、鴎が飛来して大漁になったということから、鴎を吉兆として「鴎稲荷」と称するようになったという。

大正13年(1924)に社殿を新築したが(関東大震災の被害によるものか?)、昭和20年(1945)の戦災で焼失。現在の社殿は戦後の再建である。

御朱印

鴎稲荷神社の御朱印

平成19年拝受の御朱印。朱印は鴎と帆掛け船、鳥居と神狐と宝珠に「仲町」「鴎稲荷神社」。宝珠には「かもめ」の文字。

アクセス

□四番 高山稲荷神社より徒歩約12分

□別格 玉川弁財天へ徒歩約5分

別格 羽田 玉川弁財天《金運長寿》

玉川弁財天

■玉川弁財天(医王山龍王院境外仏堂)
御本尊:弁財天
宗派:真言宗智山派
創建年代:不詳
御神徳:金運長寿
所在地:東京都大田区羽田6-13-8 [Mapion|googlemap]

略縁起

玉川弁財天・水神社

玉川弁財天は医王山龍王院(羽田2)の境外仏堂で、龍王院境内の弁天堂を上の宮と称するのに対し、こちらを下の宮と称する。多摩川河口の畔に鎮座するが、かつては現在の羽田空港内の要島にあり、羽田弁財天として広く信仰を集めた。

御神体は如意宝珠。その昔、弘法大師が多摩郡日原山に開創した大日堂の霊泉より涌き出た如意宝珠が、多摩川に流されて当地に留まった。昼夜霊光を放った。龍海という僧が川より宝珠を引き上げ、社を建てて祀ったのが当社の草創で、近くに一宇を建立して別当所としたのが龍王院だという。

弁財天像は江ノ島本宮岩窟弁財天と同体で弘法大師の御作、あるいは弘法大師が護摩の灰を固めて作られたものとされるが、これは上の宮に祀られている弁財天のことではなかろうか。『新編武蔵風土記稿』によれば、龍王院中興の海誉が「江戸の御家人・有馬純政の家に弘法大師の作れり弁天の像あり。汝、これを請い受けてこのところに安置せよ」との夢告を受けた。有馬家を訪れてその旨を告げたところ、純政は快く承諾し、宝永8年(1711)家人・堀山孝良を使者としてこの像を納めたというが、「これは上の宮に安置す」と記されている。

玉川弁財天『江戸名所図会』

『江戸名所図会』羽田弁財天

要島にあった下の宮は風光明媚で、その情景は『江戸名所図会』やさまざまな版画に描かれている。はしばしば風波の災いに遭って永く保つことができなかったが、海誉が法華経を一字一石に書写して海底に沈め、島を築いて社殿を建立したところ、青松が生い茂り、庭は苔むして、ついに風波の被害を免れるようになったと『江戸名所図会』にある。

社殿など社頭の一切は江戸新堀の酒問屋・小西九兵衛がすべて寄進したとされ、その一角にある常夜灯は沖行く船の目印になったという。

しかし昭和20年(1945)9月、GHQにより立ち退きを命じられ、水神社境内の現在地に移転した。

玉川弁財天・水神社拝殿

水神社は水波之咩命を御祭神とする。由緒は詳らかでない。

御朱印

玉川弁財天の御朱印

平成19年拝受の御朱印。朱印は琵琶に弁財天の御姿、「羽田浦」「玉川弁財天」。

アクセス

□五番 鴎稲荷神社より徒歩約5分

□六番 白魚稲荷神社へ徒歩約3分

六番 鷹取 白魚稲荷神社《無病息災》

白魚稲荷神社

■白魚稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂命
創建年代:不詳
御神徳:無病息災
鎮座地:東京都大田区羽田5-27-8 [Mapion|googlemap]

御由緒

白魚稲荷神社

白魚〔しらお〕稲荷神社は、創建年代は不詳だが『新編武蔵風土記稿』にも名前の見える古社である。当地の白魚漁をする漁師が、初めて水揚げした白魚をまず当社に供えることから白魚稲荷の名があると記されている。

多摩川での砂利採取が行われるようになると、それに従事する人たちからも信仰を集め、社頭は繁栄した。また、昔、この辺りは藁葺きの家が多く、漁師町特有の建て込んだ家並みのために火難除け、火伏せの神としても信仰されたという。その御神徳の故か、先の大戦の空襲でも焼失を免れた。

御朱印

白魚稲荷神社の御朱印

平成19年拝受の御朱印。朱印は火焔宝珠と神狐に「火伏稲荷」「白魚稲荷大神」。

アクセス

□別格 玉川弁財天より徒歩約3分

□七番 穴守稲荷神社へ徒歩約5分

七番 東京羽田 穴守稲荷神社《航空安全》

穴守稲荷神社拝殿

■穴守稲荷神社
御祭神:豊受姫命
創建年代:文化元年(1804)頃
御神徳:航空安全
鎮座地:東京都大田区羽田5-2-7 [Mapion|googlemap]

御由緒

穴守稲荷神社鳥居

穴守稲荷神社は、羽田七福いなりめぐりで唯一の神職常駐の神社。元は鈴木新田(現在の羽田空港内)に鎮座していた。

社伝によれば、文化元年(1804)頃、羽田猟師町の名主・鈴木弥五右衛門が要島の出洲を譲り受けて新田の開墾を行っていた。しかし激しい波のためにしばしば堤防に大穴が開き、大きな被害を受けた。そこで堤上に稲荷大神を勧請したところ、風浪の害が治まり、豊かな稔りを得ることができた。以来、浪による大穴の被害から田畑を守ることから「穴守稲荷」と呼ばれ、信仰されるようになったという。

特に明治以降、花柳界を中心として広く信仰を集めるようになり、明治18年(1885)公衆参拝が許可されて、社殿が新築された。以来、各地に講が結成され、大正から昭和にかけて非常ににぎわった。今も東京・神奈川・千葉・埼玉などに講社がある。

昭和20年(1945)8月、GHQにより48時間以内の立ち退きを命じられ、やむなく一時的に羽田神社に合祀された。同年9月、崇敬者により現社地が寄進され、仮社殿を建立・遷座。以来、社殿や奥宮などが順次再建されて現在に至る。

御朱印

穴守稲荷神社の御朱印

平成19年拝受の御朱印。朱印は「穴守稲荷神社」。通常の朱印と違い、抱き稲の神紋は入らない。専用の集印帳を使うことが前提になっているため、社号印のみを押すのであろう。

アクセス

□六番 白魚稲荷神社より徒歩約5分

□京急空港線「穴守稲荷駅」へ徒歩約3分

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