廣田神社摂社 名次神社

名次神社

名次神社は廣田神社の境外摂社。万葉集にも詠われた名勝・名次山に鎮座する。元は独立の神社で、廣田社などとともに祈雨神祭に預かった延喜式内の古社である。明治11年(1878)廣田神社の摂社と定められた。

正式名称 廣田神社摂社
名次神社〔なつぎじんじゃ〕
御祭神 名次大神
社格等 式内社(大?)
鎮座地 兵庫県西宮市名次町13 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 苦楽園口駅(阪急電鉄甲陽線)
バス停:名次神社前・名次町
公式サイト http://www.hirotahonsya.or.jp/
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御朱印

  • 名次神社の御朱印

    (1)

(1)令和元年拝受の御朱印。中央の朱印は柳葉篆で「名次神社」。上の印は横見菊の神紋、右は「廣田神社摂社」。

※御朱印は廣田神社でいただいた。

御由緒

名次神社石祠

石祠(旧本殿)

名次神社は廣田神社の境外摂社で、本社の南西約700mの名次町に鎮座する。当地周辺は『万葉集』に「吾妹子に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さむ」(高市連黒人)と詠われた名勝・名次山の地である。

「名次」は「なつぎ」と読むが、『新抄格勅符抄』に記載される摂津国の「奈須支神」が当社のことと考えられていることから、古くは「なすき」とも読んだのではないかという。

御祭神は名次大神。『特選神名牒』や『神社覈録』は祭神不詳とするが、『平成「祭」データ』では水分大神となっている。

創建年代は不詳だが、上述のように『新抄格勅符抄』の大同元年(806)牒にある「奈須支神」が当社のことであると考えられており、それ以前の創建であろうと思われる。元は現社地の南方・南郷山に鎮座していた。

古くから朝廷の崇敬を受け、貞観元年(859)従五位下から正五位下に昇叙したことが『三代実録』に記されている。同年9月には廣田神社などとともに風雨を祈るために奉幣を受けた。

延喜式神名帳に「名次神社 鍬靫」とあり、小社で祈年祭の幣帛として鍬と靫を供えられたことになっている。しかし、名次社は臨時祭の祈雨神祭八十五座の一社にも挙げられており、これらはすべて大社とされている。そのため実際には名次神社は大社であり、神名帳の注記は次に記されている伊和志豆神社(廣田神社の摂社である伊和志豆神社が論社とされる)の「大 月次新嘗」と取り違えられているのではないかという説がある。廣田神社の公式サイトでも名次神社を大社とし、伊和志豆神社を小社としている。

平安時代後期以降、神祗伯白川家が廣田神社とその社領を支配するようになり、当社も神祗伯任官などの際には廣田神社とその末社を参拝する習わしとなった。『資忠王記』応永18年(1411)4月8日条には例式の如く「南宮・奥戎・今戎・内王子・名次・広田社・松原社」に参拝したことが記されており、南宮・戎社(西宮神社)などとともに当社にも参拝していたようで、この頃には廣田社の末社となっていたようだ。

正徳4年(1714)暴風で社殿が大破したため、石の小祠となった。現在、本殿脇に安置されている石の祠がそれであろうと思われる。

明治11年(1878)廣田神社の摂社と定められる。明治41年(1908)には南郷山中央の旧社地から南郷山北端の現社地に遷座した。

写真帖

  • 名次神社鳥居

    鳥居

  • 名次神社東参道

    東側参道

  • 名次神社手水舎

    手水舎

  • 名次神社名次山碑

    名次山碑

  • 稲荷神社

    稲荷神社

  • 名次神社拝殿

    拝殿

  • 名次神社本殿

    本殿

  • 名次神社石祠

    石祠(旧社殿)

メモ

名次町の北端、ニテコ池の畔に鎮座している。参道は境内の東西にあるが、鳥居は西側の参道にある。周辺は宅地として開発されており、昔の面影はまったくないが、境内は狭いながらも緑に覆われ、神域の風情を保っている。

名次神社の概要

名称 名次神社
御祭神 名次大神〔なつぎのおおかみ〕
鎮座地 兵庫県西宮市名次町13番地
創建年代 不詳(平安時代以前)
社格等 式内社 旧官幣大社廣田神社摂社
延喜式 攝津國武庫郡 名次神社 鍬靫
例祭 3月16日

交通アクセス

□阪急電鉄甲陽線「苦楽園口駅」より徒歩約7分
□阪神本線「西宮駅」よりバス
■西宮山手線(西回り)または鷲林寺線(西回り)で「名次神社前」下車徒歩すぐ


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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