廣田神社は神功皇后が凱旋の砌、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(天照大神の荒魂)の神託を受けて創建されたと伝えられる。古くから朝廷の崇敬篤く、延喜の制では名神大社、二十二社の制では下八社に列した。因みに西宮神社は摂社・南宮の境内にあった戎社が起源という。
正式名称 | 廣田神社〔ひろたじんじゃ〕 |
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御祭神 | 天照大御神荒御魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命) |
社格等 | 式内社(名神大) 二十二社 旧官幣大社 別表神社 |
鎮座地 | 兵庫県西宮市大社町7-7 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.hirotahonsya.or.jp/ |
御朱印
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(1)平成17年拝受の御朱印。墨書は「天照皇大神荒魂」。中央の朱印は柳葉篆で「廣田神社」。上の印は社宝の剣珠、右上の印は「近畿二十二社」。
(2)令和元年拝受の御朱印。墨書は「天照皇大神荒魂」。中央の朱印は柳葉篆で「廣田神社」。上の印は横見菊の神紋、右上の印は「近畿二十二社」。右下の印は「奉祝御大礼」。
摂末社の御朱印
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(1)摂社伊和志豆神社の御朱印、令和元年拝受。中央の朱印は柳葉篆で「伊和志豆神社」。左下の印は「鰯づ」で江戸時代の名称「鰯津」による。
(2)境外摂社南宮神社の御朱印、令和元年拝受。中央の朱印は柳葉篆で「南宮神社」。上の印は横見菊の神紋。
(3)境外摂社名次神社の御朱印、令和元年拝受。中央の朱印は柳葉篆で「名次神社」。上の印は横見菊の神紋。
(4)境外摂社岡田神社の御朱印、令和元年拝受。中央の朱印は柳葉篆で「岡田神社」。上の印は横見菊の神紋。
昔の御朱印
江戸・明治の御朱印
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(1)明和6年(1769)の納経(御朱印)。墨書は「摂州/奉納/廣田八幡宮 御神前/當番社人/明和六年丑ノ六月十一日」。中央に宝印はなく、左下の黒印は判読できない。『二十二社本縁』には広田社は神功皇后とも八幡同体ともいうとあり、廣田神社の御祭神を八幡神あるいは神功皇后とした時代があったようだ。明治16年(1883)以前、本殿5棟のうち中央の第三殿には八幡大神が祀られていたという。「廣田八幡宮」とあるのはそのためであろう。
(2)明治9年(1876)の御朱印。墨書は「摂津官幣大社/廣田神社/社務所/九年八月十二日」。中央の朱印は判読できない。左下の印は「官幣大社」。
大正・昭和の御朱印
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(1)大正8年の御朱印。墨書は「摂津國武庫郡/官幣大社/廣田神社/社務所」。中央の朱印は柳葉篆で「廣田神社」、現在のものとほぼ同じである。上の印は「官幣大社」で、明治の御朱印に使われていたものと同じようである。左下の印は「廣田神社社務所」。
(2)大正15年の御朱印。朱印は大正8年のものと同じ。
(3)昭和5年の御朱印。中央の朱印は「官幣大社廣田神社」、下の印は「官幣大社廣田神社参拝記念」。
(4)昭和10年代の御朱印。中央の朱印は「官幣大社廣田神社」で昭和5年のものと同じ。上の印は社宝の剣珠で、平成の頃に使われていた印と同じようである。
御由緒
御祭神
■本殿:天照大御神荒御魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)
■第一脇殿:住吉大神(底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命)
■第二脇殿:八幡大神(誉田別尊・比咩大神・息長帯比売命)
■第三脇殿:建御名方富大神
■第四脇殿:高皇産霊大神
天照大神の荒御魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)を主祭神とする。脇殿に住吉大神・八幡大神・諏訪建御名方神・高皇産霊神を祀り、併せて「廣田五社」と称する。
本来の祭神は一座で『延喜式』でもそうなっているが、平安時代の末には本社が五殿となっているため、この頃までに脇殿の神々が合わせ祀られるようになったことがわかる。『摂津名所図会』を見ると春日造りの社殿が5棟並んでおり、東から順に住吉・神功皇后・八幡宮・諏訪・八祖神を祀るとしている。『和漢三才図会』は住吉・広田(天照大神の荒魂)・八幡・南宮(大山咋神)・八祖神(高皇産霊尊)とする。
御由緒(歴史)
廣田神社の創建については『日本書紀』の神功皇后摂政前紀に詳しい。
それによると、神功皇后が三韓征伐からの凱旋の砌、紀伊の水門から難波へ向かったところ、海中で船が動かなくなった。そこで務古の水門に船を泊めて卜したところ、天照大神が「吾が荒魂は皇居に近づくべからず、常に御心廣田の地に居坐すべし」と託宣したので、山背根子の娘の葉山媛命に祀らしめた。これが廣田神社の創祀である。
この時、同じく神誨によって稚日女尊が生田神社、事代主神が長田神社、住吉三神が住吉大社に祀られたとされ、特に生田神社・長田神社とは関係が深い。神紋の三重割菱は、廣田・生田・長田の三つの田が重なった形という。
本来、御祭神は一座であったが、『仲資王記』(平安末~鎌倉初期の神祗伯・仲資王の日記)の元久元年(1204)の記事に広田本宮五社の修理を行ったことが記されていることから、この頃までに脇殿の神々が勧請されていることがわかる。
古くから朝廷の崇敬極めて篤く、大同元年(806)の太政官牒では神封41戸を充てられている。嘉祥3年(850)従五位下に叙され、貞観元年(859)には従三位勲八等から正三位に進んでいる。貞観10年(868)播磨国を震源とする地震が頻発、卜占により広田神と生田神の立腹が原因とされたことから従一位に昇叙され、これまでの加護に対する大奉幣を受けた。
風雨の神としても尊崇され、貞観元年(859)9月には生田神・長田神・名次神(摂社の名次神社)などとともに風雨を鎮めるための奉幣が行われている。元慶元年(877)には甘雨を祈って奉幣があり、『延喜式』臨時祭の祈雨神祭85座の一にも数えられている。さらに寛平6年(894)に新羅の賊が対馬に来寇した際や承平・天慶の乱の際など国家の重大事に当たっても伊勢神宮などとともに奉幣・祈祷が行われている。和歌に霊験のある神としても重んじられ、度々歌合わせが行われた。
延喜の制では名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の官幣に預かっている。二十二社の制では下八社に列した。なお、摂社の伊和志豆神社、名次神社、岡田神社も式内社である。
平安時代の後半までには別宮(現・境外摂社)として南宮が御前浜に鎮祭され、浜の南宮と称された。漁民や海運業者の信仰を集め、境内背後の「西宮最中」では市が開かれていた。社宝の剣珠も元は南宮に納められており、『梁塵秘抄』にも「浜の南宮は如意や宝珠の玉を持ち、須弥の峯をばかいとして、かいろの海にぞ遊ふたまふ」とある。
えびす宮総本社として名高い西宮神社は南宮境内にあった末社の戎社を起源とする。後に市の神、招福神として広く信仰を集めるようになり、南宮境内は戎社を中心とする西宮神社となった。明治5年(1872)まで社家の吉井氏が広田・西宮両社の神主を兼帯していた。
平安時代末期には広田社とその神領は神祗伯の管理下に置かれるようになったようである。歴代神祗伯は任官に際しては広田社や南宮、戎社(西宮神社)、名次社などの諸社に参拝するのが習わしとなった。
この頃、広田社のことを西宮と呼んでいる例があり、神祗伯や公家たちが広田社や周辺の諸社を参拝することを西宮参拝、あるいは西宮下向と称したという。これが西宮という名の由来とされるが、後に南宮や戎社のある浜南宮を中心とする地域の地名となった。
武家の崇敬も篤く、元暦元年(1184)源頼朝は平家追討祈願のため淡路・広田荘を寄進した。天正7年(1579)荒木村重の乱により社殿等消失するが、慶長9年(1604)豊臣秀頼により大規模な改修が行われた。
廣田神社の当初の鎮座地は現社地の北方、御手洗川(東川)東岸の高隈ノ原であったというが、いつのころか御手洗川西岸、馬場先の正面(一の鳥居からの参道の突き当たり、現社地の東側の低地)に遷座したと伝えられる。その頃の様子は貞享3年(1686)の『廣西両宮絵図』に詳しい。
しかし御手洗川の水害を受けること度々であったため、享保9年(1724)徳川吉宗の命により西山(現社地の西側、広田山)に遷された。
『摂津名所図会』などを見ると当時は五社各一殿で、拝殿の後ろに本殿5棟が並んでいたようである。
明治4年(1871)官幣大社に列格。翌明治5年(1872)には西宮神社が廣田神社から分離された。
明治16年(1883)本殿5棟の内、東から二番目の第二殿に祀られていた廣田神社(天照大御神荒御魂)と中央の第三殿に祀られていた八幡大神の位置を入れ替えたという。
※兵庫県編『振武余光』(明治37年)による。
昭和20年(1945)西宮空襲で社殿が全焼。社地を現在の地に遷し、昭和31年(1956)伊勢神宮の荒祭宮の御用材を譲り受けて本殿を再建。昭和37年(1962)には拝殿・翼殿・翼廊など、翌昭和38年(1963)には御脇殿が造営された。
例祭
往古は夏の和田岬(神戸市兵庫区)への神幸式が例大祭であった。8月18日に広田・南宮・西宮(戎社)の3基の御輿が数百隻の船で和田岬に渡御し、当地の御旅所で祭典を斎行、22日に陸路で還御していたが、戦国時代に廃絶した。
現在の例祭は3月18日で、奉納吟詠、三曲の奉納演奏などが行われる。
摂社 伊和志豆神社
伊和志豆神社は廣田神社の摂社で式内社(論社)、江戸時代には鰯津社と称していた。
創建については詳らかでないが、『日本三代実録』貞観元年(859)正月27日条に従五位下から従五位上に昇叙されたことが記されている。「延喜式神名帳」では大社に列しているが、同じく武庫郡四座の一で小社とされる名次神社(廣田神社の境外摂社)が祈雨神祭85座に含まれており、祈雨神祭に預かる神社はいずれも大社であることから、名次神社が大社で伊和志豆神社は小社とする説もある(廣田神社の公式サイトも名次神社を大社、伊和志豆神社を小社としている)。
なお、式内・伊和志豆神社については、宝塚市の伊和志津神社を比定する説もある。
御祭神は伊和志豆大神。一説には彦坐王(開化天皇の皇子・日子坐王、神功皇后はその4世の孫に当たる)を祀るともいう。
元は廣田神社の東南約1.5kmの中村に鎮座していたが、大正6年(1917)廣田神社境内に遷座した。昭和20年(1945)の空襲で社殿が焼失した後は本殿に合祀されていたが、平成2年(1990)の御大典に際して社殿を再建した。
摂社 齋殿神社
廣田神社創建の際、神功皇后の命を受けて天照皇大神の荒御魂を鎮斎した最初の斎宮・葉山媛命を祀る。
古くから現社地の東北、御手洗川畔に鎮座していたが、享保12年(1727)に廣田神社が西山に遷座した際、当社も廣田神社境内に遷された。さらに明治44年(1911)末社の松尾神社に合祀されたが、戦後の本殿復興に際して新たに社殿が設けられた。
境外摂社
西宮神社境内に南宮神社、名次町に名次神社、岡田山の神戸女学院大学構内に岡田神社、高座町に若宮神社がある。名次神社と岡田神社は式内社である。
写真帖
メモ
西宮市役所前の通りを北に向かい、更に国道171号線を越えて広田参道筋をしばらく行くと、正面に一の鳥居が見えてくる。その先は500mほどの松並木の参道が整備されており、突き当たりにの左手に二の鳥居がある。境内はきれいに整備され、いかにも大社の風格がある。隣接する広田山公園は旧社地と思われるが、現在は市に無償で貸与して公園となっている。ここに県の天然記念物となっているコバノミツバツツジの群生があるようだ。
御朱印は御本社の他、境内摂社の伊和志豆神社、境外摂社の南宮神社・名次神社・岡田神社の御朱印もいただけるようになった。境外摂社を巡拝する場合、公共交通機関を使うには少し不便で、名次神社や岡田神社には駐車場もないので、レンタサイクルを使うのが便利ではないかと思われる。
廣田神社の概要
名称 | 廣田神社 |
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御祭神 | 天照大御神荒御魂〔あまてらすおおみかみのあらみたま〕(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命〔つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと〕) 〈第一脇殿〉 住吉三前大神〔すみのえのみさきのおおかみ〕 〈第二脇殿〉 八幡三所大神〔やはたのみどころのおおかみ〕 〈第三脇殿〉 諏訪建御名方富大神〔すわたけみなかたとみのおおかみ〕 〈第四脇殿〉 高皇産霊大神〔たかみむすひのおおかみ〕 |
鎮座地 | 兵庫県西宮市大社町7番7号 |
創建年代 | 伝・神功皇后摂政元年(201) |
社格等 | 式内社 二十二社 旧官幣大社 別表神社 |
延喜式 | 攝津國武庫郡 廣田神社 名神大 月次相嘗新嘗 名次神社 鍬靫 (境外摂社 名次神社) 伊和志豆神社 大 月次新嘗 (摂社 伊和志豆神社) 岡太神社 (論:境外摂社 岡田神社) |
例祭 | 3月16日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭(萬燈籠)・開運祭 1月2日/開運大的御弓始神事 1月3日/元始祭 1月9日~11日/境外摂社:南宮御狩祭 1月15日/小正月御火焚(とんど)祭 1月18日~19日/厄除祭 2月節分日/節分御火焚(とんど)祭 2月11日/紀元祭 2月17日/祈年祭 2月下旬~3月中旬頃/阪神タイガース隆盛必勝祈願祭 3月春分の日/春季皇霊祭遙拝式 4月5日/境外摂社:岡田神社例祭 4月第2土曜日/境外末社:若宮神社例祭 4月第2土日曜日/つつじ祭 4月16日/春祭(太々神楽奉奏・太極拳奉納演武) 5月4日/植樹祭 5月8日/摂社:齋殿神社例祭 5月最終日曜日/恵みの廣田の大田植え(御田植神事) 6月15日/境外摂社:名次神社例祭 6月30日/夏越大祓式 7月16日/夏祭(探湯神事) 7月最終土日曜日/広田の宮こどもまつり(人形報恩感謝祭) 9月第1土曜日/兜麓底績顕彰祭 9月第2土曜日/献燈祭 9月22日/境外摂社:南宮例祭 9月秋分の日/秋季皇霊祭遙拝式 9月中旬~下旬の日曜日/抜穂祭 10月1日/初穂講大祭 10月16日/秋祭(太々神楽奉奏・萬燈籠) 11月3日/明治祭 11月23日/新嘗祭 12月18日/摂社:伊和志豆神社例祭 12月24日頃/大注連縄張替式 12月31日/年越大祓式・除夜祭・大晦日御火焚祭(福火) |
文化財 | 〈県天然記念物〉コバノミツバツツジ群落 |
巡拝 | 神仏霊場68番 |
交通アクセス
□阪急神戸線「西宮北口駅」よりバス
■阪急バス甲東園行き「広田神社前」下車すぐ
□阪神本線「西宮駅」よりバス
■西宮駅北口より阪神バス山手東廻り「広田神社前」下車すぐ
□JR神戸線「西宮駅」よりバス
■駅北側ターミナルより阪急バス甲東園行き「広田神社前」下車すぐ
更新履歴
2007.07.15.公開
2020.01.26.改訂、WPに移行、御朱印追加。
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