
神亀5年(728)二十五菩薩の降臨する霊夢を見た越智玉純が熊野十二所権現を祀り、伽藍を建立した。聖武天皇の勅願所とされ、翌天平元年(729)行基菩薩が自ら刻んだ薬師如来を本尊として奉安し、安養寺と号した。四国遍路の元祖とされる衛門三郎再来の霊験により「石手寺」と改められたという。国宝の二王門をはじめ境内の多くの建物が文化財に指定されている。
| 名称 | 熊野山 虚空蔵院 石手寺 |
|---|---|
| 御本尊 | 薬師如来 |
| 本尊真言 | おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
| 御詠歌 | 西方をよそとは見まじ安養の 寺に詣りて受くる十楽 |
| 所在地 | 愛媛県松山市石手2-9-21 [Mapion|googlemap] |
| 公式サイト | http://nehan.net/ |

石手寺の納経(御朱印)



(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「薬師如来」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「四国第五十一番」、左下は「熊野山」。
(2)平成18年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
(3)平成26年拝受、「再生修行」の御朱印。中央の宝印は衛門三郎縁の石か? 右上の印は「遍路開祖 衛門三郎」、左下は「再生大師石手寺」。
昔の納経



(4)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納」「石手寺伽藍」「行者丈」。中央の宝印は十六菊の御紋。右上の印は「五十一番」、左下は現在のものとほぼ同じの「熊野山」。
(5)天保12年(1841)の納経。版木押しで「奉納経」「瑠璃光尊(薬師如来の異名)」「伊豫 石手寺」。朱印は天保12年(1841)のものと同じ。
(6)明治38年(1905)の納経。版木は天保年間のものと同じで「奉納経」「瑠璃光尊」「伊豫 石手寺」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上は「五十一番」、左下は現在のものとほぼ同じ「熊野山」。
略縁起
遍路の元祖とされる衛門三郎〔えもんさぶろう〕ゆかりの寺。
寺伝によれば、元は安養寺と称し、神亀5年(792)伊予の太守・越智玉純が聖武天皇の勅によって建立したとされる。開基は行基菩薩である。弘仁4年(813)弘法大師が巡錫し、法相宗から真言宗に改めた。
寛平4年(892)領主・河野家に長男が生まれたが、左手を握ったままであった。そこで安養寺で祈祷をしてもらったところ、左手が開き、中から「衛門三郎再来」と書かれた石が出てきた。この子こそ、弘法大師から河野家に生まれると約束されていた衛門三郎の生まれ変わりであった。この由来により、寺号を石手寺と称するようになった。
広い境内には国宝の仁王門をはじめ、重要文化財の本堂・三重塔・護摩堂など多くのお堂が建ち並ぶ。境内の片隅にある訶梨帝母天堂(重文)の周囲には丸い小石が積み重なっている。訶梨帝母〔かりていも〕(鬼子母神)は安産・子育ての神であり、安産を祈願する人はここの小石を持って帰り、無事にお産が済むと、持って帰った石にもう一つの石を添えて返す習慣がある。
石手寺の奥之院は裏山の頂上にある愛宕社だが、現在は伊予郡砥部町(旧広田村)の石鉄寺を奥之院としている。昭和59年(1984)の開創で、石手寺では弘法大師修行の地であると称している。
写真帖




メモ
日本最古の温泉といわれる道後温泉にほど近く、国宝の仁王門をはじめ文化財も多いことから愛媛県を代表する観光寺院となっている。四国霊場では珍しく、遍路より観光客が多い。また、安産祈願で知られる訶梨帝母天堂〔かりていもてんどう〕など民間信仰の寺院として地元の人にも親しまれている。私の母方の祖母が松山・道後の出身だったので、私が生まれるときも祖母が石手寺から石をいただいてきたそうだ。
石手寺の概要
| 山号 | 熊野山(くまのざん) |
|---|---|
| 寺号 | 石手寺(いしてじ) |
| 院号 | 虚空蔵院(こくぞういん) |
| 旧称 | 安養寺 |
| 御本尊 | 薬師如来 |
| 所在地 | 愛媛県松山市石手二丁目9番21号 |
| 創建年代 | 天平元年(729) |
| 開山 | 行基菩薩 |
| 宗派等 | 真言宗豊山派 |
| 文化財 | 〈国宝〉二王門 〈重文〉本堂 三重塔 鐘楼 訶梨帝母天堂 護摩堂 五輪塔 銅鐘 〈県有形文化財〉木造金剛力士立像(2躯) 木造不動明王及び二童子立像 木造天人面(2面) 木造獅子頭(2面) 木造菩薩面(24面) 大壇 礼盤 銅三鈷鈴 絹本及び毛髪地著色仏涅槃図 |
交通アクセス
□伊予鉄道松山市内線「道後温泉駅」より徒歩約16分、またはバス
■伊予鉄バス8番線JR松山駅行き「石手寺前」下車すぐ
■伊予鉄バス松山空港線湯ノ山ニュータウン行き「石手寺前」下車すぐ

