駒込妙義神社

駒込妙義神社

日本武尊が東征の折に陣を敷いた地に、白雉2年(651)神社を建立して尊を祀ったと伝えられる。太田道灌は文明3年(1471)の古河公方・足利成氏との戦いに際して戦勝を祈願し、見事に勝利を収めた。その後の豊島泰経や千葉孝胤との戦いでも当社に祈願し、勝利を得たことから「勝負の神様」「戦勝の宮」として信仰を集めるようになったという。
豊島区の神社

正式名称 妙義神社〔みょうぎじんじゃ〕
通称 駒込妙義神社〔こまごめ みょうぎじんじゃ〕
御祭神 日本武尊 〈相殿〉高御産霊神 神功皇后 応神天皇
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都豊島区駒込3-16-16 [Mapion|googlemap]
公式サイト https://www.myogi.tokyo/
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御朱印

  • 駒込妙義神社の御朱印

    (1)

  • 駒込妙義神社の御朱印

    (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は「妙義神社」、右に「太田道灌公戦捷祈願之古社」。

(2)平成29年拝受の御朱印。朱印は平成18年のものと同じ。

御由緒

上駒込村の鎮守。社伝によれば、日本武尊が東征の際、この地に陣を敷いたという。その後、白雉2年(651)に一社を建立し、白鳥社と号したと伝えられる。

文明3年(1471)太田道潅は古川公方・足利成氏との合戦に出陣するに際し、神馬・宝剣を奉納して戦勝を祈願した。『新編武蔵風土記稿』には、この時道灌と近臣の樋口与三郎兼信が詠んだとされる連歌が記されている。

雲払ふこの神垣の風の音 道灌
草をも木をも吹きしほり行 兼信

この戦で成氏勢を打ち破った道灌は、凱旋後に奉賽として社領15貫文を寄進した。

さらにこの後も、文明9年(1477)の豊島勘解由左衛門(泰経)との戦い、同11年(1479)の千葉孝胤との戦いに際しても戦勝を祈願して勝利を得た。このことから、「勝負の神様」「戦勝の宮」として信仰を集めたという。

かつては太田道潅の木像や道灌が奉納した刀などを所蔵していたが、第二次大戦の空襲でもに焼失してしまった。

天正年間(1573~93)松田尾張守康秀(後北条氏の重臣・松田憲秀のことか?)によって社領を没収されたため衰退するが、寛永年間(1624~45)代官・野村彦太夫によって再建された。

昭和20年(1945)空襲により社殿・社宝等焼失し、現在の社殿は同40年(1965)の再建である。

末社の道灌霊社には太田道潅を祀っている。その脇にある庚申塔は寛永19年(1642)に造立されてもので、江戸時代には末社・稲荷庚申の御神体として祀られていたらしい。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 道灌霊社

    道灌霊社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

初めての参拝は平成18年1月。谷中七福神を巡拝した後、夕方遅めの時間に参拝したのだが、快く対応してくださった。まだ松の内だったので、拝殿前の御神灯に明かりが灯り、幻想的な光景だった。

駒込妙義神社の概要

名称 妙義神社
通称 駒込妙義神社
御祭神 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕
〈相殿〉
高御産霊神〔たかみむすびのかみ〕
神功皇后〔じんぐうこうごう〕
応神天皇〔おうじんてんのう〕
鎮座地 東京都豊島区駒込三丁目16番16号
創建年代 白雉2年(651)
社格等 旧無格社
例祭 9月第3土・日曜日
神事・行事 1月1日/元旦祭
6月最終日曜日/夏越大祓式
12月最終日曜日/年越大祓式・除夜祭

交通アクセス

□JR山手線・東京メトロ南北線「駒込駅」より徒歩約3分

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