貞観年間(859~77)大宮の氷川神社から勧請したとされ、東国に下向した在原業平も参拝したと伝えられる。徳川家光も鷹狩りで当地を訪れるたびに参拝した。一説には、素盞嗚尊を主祭神とする当社を「男体の宮」、奇稲田姫命を主祭神とする下落合氷川神社を「女体の宮」と称し、両社を合わせて「夫婦の宮」と称したという。
正式名称 | 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕 |
---|---|
御祭神 | 素盞嗚尊 〈相殿〉奇稲田姫命 大己貴命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都豊島区高田2-2-18 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://takatasouchinjyu-hikawajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は「氷川神社印」。
(2)平成27年拝受の御朱印。中央上の朱印は「高田総鎮守」、その下は「氷川神社印」。右に朱で「山吹の里氷川宮」、その上に三つ巴の神紋。さらに季節毎のスタンプが配される。
(3)境内社・高田姫稲荷神社の御朱印、平成27年拝受。朱印は「稲荷神社之印」、右上に「高田姫」。
御由緒
下高田村の鎮守。社伝によれば、貞観年間(859~77)大宮の氷川神社より御分霊を勧請したことが創祀とされる。在原業平が東国に下向した際に参拝したとも伝えられる。因みに『新編武蔵風土記稿』には「在原業平を祀るという」とある。
古くは山吹の里氷川宮と称したが、その後氷川大明神と称するようになったという。江戸時代までは真言宗の大鏡山南蔵院が別当として奉仕していた。三代将軍・徳川家光は鷹狩りで当地を訪れるたびに参拝したと伝えられる。
『江戸名所図会』によれば、当社の主祭神は素盞嗚尊であることから俗に「男体の宮」と呼ばれた。これに対して落合村(新宿区下落合)の氷川神社は奇稲田姫命を主祭神にすることから「女体の宮」と称し、両社を合わせて「夫婦の宮」と呼ばれたという。
明治2年(1869)氷川神社と改称、明治5年(1972)村社に列格した。昭和20年(1945)空襲で社殿等が焼失。現在の社殿は昭和29年(1954)の再建である。
境内社の高田姫稲荷神社は高田という地名が南池袋から新宿区北部、文京区西部を含む広い地域を指していた時代から鎮座していたと伝えられ、伊勢の外宮の御祭神である豊受大神のほか、在原業平(岩本神社)、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神、月夜見尊、蛭子尊、素盞嗚尊(以上、六所神社)、大山祇命(山祇神社)、舎人親王(藤森神社)を合わせ祀る。
写真帖
メモ
都電荒川線の面影橋駅から神田川を渡って150mほど進むと高田氷川神社の鳥居が見える。周囲は静かな住宅街である。境内は近年改修されたようで、周囲に玉垣を巡らしたり、木々を刈り込んだりするなどして明るい雰囲気になっている。向かいには旧別当で御府内29番の南蔵院がある。
近年、御朱印が新しくなり、草花や紅葉など季節ごとのカラフルな印が配されるようになった。見た目に楽しく、都内でも人気の御朱印の一つになっているようだ。また、境内社の高田姫稲荷神社、兼務社の目白豊坂稲荷神社の御朱印も授与するようになった。
※平成27年現在、境内は写真撮影禁止となっている。上の写真は平成17年・21年に参拝したときのもの。その後境内の改修が行われているため、現況とは違いがある。
高田氷川神社の概要
名称 | 氷川神社 |
---|---|
通称 | 高田氷川神社 |
旧称 | 山吹の里氷川宮 氷川大明神 |
御祭神 | 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 〈相殿〉 奇稲田姫命〔くしなだひめのみこと〕 大己貴命〔おおなむちのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都豊島区高田二丁目2番18号 |
創建年代 | 貞観年間(859~77) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月10日 ※前後の土・日曜日に神賑行事 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月成人の日/御奉射祭 5月10日/例中祭 6月30日/夏越大祓 12月31日/年越大祓・除夜祭 |
交通アクセス
□都電荒川線「面影橋」より徒歩約3分
□東京メトロ副都心線「雑司が谷駅」より徒歩約10分
□JR山手線「目白駅」より徒歩約15分
□JR山手線「池袋駅」よりバス
■都営バス渋谷行き「学習院下」下車徒歩約3分
コメント
[…] ・赤坂氷川神社(港区赤坂) ・本氷川神社(港区赤坂/赤坂氷川神社に合祀) ・麻布氷川神社(港区元麻布) ・白金氷川神社(港区白金) ・簸川神社(文京区千石) ・小日向神社(文京区小日向/明治2年、氷川宮と田中八幡を合祀して改称) ・渋谷氷川神社(渋谷区東) ・高田氷川神社(豊島区高田) […]