正式名称 | 諏方神社〔すわじんじゃ〕 |
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御祭神 | 建御名方命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都荒川区西日暮里3-4-8 [Mapion|googlemap] |
【由緒概要】
諏方神社は日暮里と谷中の鎮守で、元久2年(1205)豊島左衛門尉経泰が信州諏方から勧請したと伝えられる。文安年間(1444~49)太田道灌が社領を寄進。寛永12年(1635)現社地に遷座、慶安2年(1649)徳川家光より社領5石の御朱印を寄せられた。筑波や日光の連山を望む景勝の地として知られ、文人墨客も訪れたという。
諏方神社の御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「諏方神社」、右上は梶の葉の神紋。
諏方神社について
名称 | 諏方神社 |
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御祭神 | 建御名方命〔たけみなかたのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都荒川区西日暮里三丁目4番8号 |
創建年代 | 元久2年(1205) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 8月27日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 1月27日/新春中祭式 2月節分/節分祭 2月初午の日/初午祭 2月11日/紀元祭 2月17日/祈年祭 5月27日/中祭式 6月30日/大祓式 10月27日/庚申祭 12月31日/大祓式 ※『平成「祭」データ』による |
御由緒
諏方神社は新堀(日暮里)と谷中の鎮守。諏方は諏訪と同じで、かつて神社の名前としては諏方と表記するほうが多かったが、現在は諏訪とするのが一般的になっている。当社が所有する元禄時代の軸に「諏方大明神」と記されていることから、今でも諏方を用いている。
社伝によれば、源義朝の死後、その家臣であった豊島平四郎は信州の下諏訪に蟄居した。その子・平六郎の代になり、諏訪明神にお家再興を祈願したところ、夢に貴人が現れて託宣を下した。教えられた通り諏訪湖の畔に行くと、水中から白気が立ち上っていた。そこで水中に潜ったところ、御神体とおぼしき光るものを発見したという。
この御神体を祀ったところ家運は上向き、治承4年(1180)源頼朝が挙兵すると、その元に馳せ参じて数々の軍功を立てた。この功績により元久2年(1205)武蔵国豊島郡を与えられ、豊島左衛門尉経泰と名乗るようになった。そして、霊夢によって得た御神体を領地の東の方に祀り、諏方大明神として崇敬した。これが諏方神社の創建とされる。『新編武蔵風土記稿』には一寸ばかりの薄黒い円石を御神体とするとある。
文安年間(1444~49)太田道灌は当社に祈願し、霊験があらたかであったので社領5石を寄進した。当時の祭礼では、氏子が神輿を担いで芋洗橋(今の神田昌平橋)に渡御し、そこから船で浅草大川(隅田川)を通り、荒木田の郷で御神酒を供えて神社に還御したと伝えられる。
江戸時代に入り、寛永12年(1635)日暮里の現社地に遷座。慶安2年(1649)徳川家光より朱印領5石を寄進されている。筑波や日光の連山を望む景勝の地として知られ、文人墨客もよく訪れたという。当時の別当は隣接する真言宗の法輪山浄光寺であった。
明治5年(1872)村社に列格。昭和20年(1945)空襲で被災したが、同27年(1952)復興した。
写真帖
メモ
西日暮里駅から歩いてすぐ、JR山手線の西側、諏訪台と呼ばれる高台に鎮座する。一段高くなったところに社殿がある。東に眺望が開けている。境内には桜の木が多い。