瀧野川八幡神社 | 東京都北区

瀧野川八幡神社

正式名称 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕
通称 瀧野川八幡神社
御祭神 品陀和気命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都北区滝野川5-26-15 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
瀧野川八幡神社は滝野川村の鎮守。創建については不詳で、建仁2年(1202)の鎮座との説もあるが定かではなく、平安時代後期から鎌倉時代初期に創建されたのであろうと推測されている。

目次

瀧野川八幡神社の御朱印

  • 瀧野川八幡神社の御朱印

    (1)

(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は「瀧野川・東京」「八幡神社・参拝之章」。

瀧野川八幡神社について

名称 八幡神社
通称 瀧野川八幡神社
御祭神 品陀和気命〔ほんだわけのみこと〕
鎮座地 東京都北区滝野川五丁目26番15号
創建年代 建仁2年(1202)
社格等 旧村社
例祭 9月15日前後の土・日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月15日/祈年祭
2月節分/節分祭
5月15日/中祭
6月30日/大祓祭
12月30日/大祓祭

御由緒

瀧野川八幡神社は滝野川村の鎮守。江戸時代の別当は真言宗の瀧河山金剛寺(滝野川3)で、羽黒派修験の宝隆院が社守をしていた。

滝野川は古い地名で、『源平闘諍録』巻5第4話に治承4年(1180)源頼朝が「豊島御庄瀧ノ河」に着陣したという記事がある。『新編武蔵風土記稿』によれば、かつて村の北を流れる石神井川が急流で、水の音が滝のように響いていたことからその名が起こったと金剛寺松橋弁天の縁起にあるという。因みに当社社殿の裏手からは縄文時代の住居跡が発見されている。

当社の創建については詳らかでない。建仁2年(1202)という説もあるが確かな根拠はなく、平安時代後期から鎌倉時代初期であろうという。

総欅造の本殿は明治17年(1884)、拝殿は大正11年(1922)の改築。

社務所は終戦直後まで東京種子同業組合の会合場所として利用され、野菜の種子の引き取り価格についての協定をしたり、東京府農事試験場に試作を依頼した原種審査会の表彰などが行われていたという。

写真帖

  • 鳥居

    一の鳥居

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 境内社

    稲荷神社・富士神社・榛名神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

住宅街の中に鎮守の森に見事な彫刻の施された木造社殿が鎮座する。落ち着いた風格のある社伝である。ただ近年、拝殿を瓦葺きから銅板葺きに改められたようだ。いろいろ考えが合ってのこととは思うが、瓦葺きの社殿も歴史的な景観であるわけで、近現代に限定すれば、むしろ古風と言えるかもしれず、それが失われつつあることにはちょっと残念な気がする。
当社の御朱印も、篆書や古印体などで社号を記した所謂オーソドックスな印とは違うが、大正から昭和初期に見られる変わったタイプの印を思わせ、現代においては古風な御朱印といえる。大切にしていただければと願うものである。

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