名称 | 金剛山 一乗院 藤井寺 |
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御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525 [Mapion|googlemap] |
【本尊真言】
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
【御詠歌】
色も香も無比中道の藤井寺 真如の波のたたぬ日もなし
【略縁起】
弘仁6年(815)弘法大師が42歳の時、自らと諸人の厄難を除くために薬師如来の像を刻み、一寺を建立して本尊とした。そして、寺から200mほど奥にある八畳岩で一七日の護摩を修したと伝えられる。境内に五色の藤を植えたことから藤井寺と称したという。天正年間(1573~92)の兵火で焼失した後、南山国師が再興して臨済宗に改められた。
藤井寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師如来」。中央の宝印は「佛法僧法」、三宝印だが四文字目が「宝」ではなく「法」になっている。右上は「四国第十一番」、左下は「藤井禅寺」。
(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊薬師如来」「阿州金剛山 藤井寺」。中央の宝印は「佛法僧寶」の三宝印。右上の朱印は「四国第十一番」、左下は「藤井禅寺」。
(2)天保12年(1841)の納経。版木・朱印ともに天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「薬師」「藤井寺」。中央の宝印は「佛法僧寶」の三宝印。右上の朱印は「四国第十一番」、左下は「藤井禅寺」。中央・左下の印は天保年間のものと同じもののようだ。
藤井寺について
山号 | 金剛山(こんごうざん) |
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寺号 | 藤井寺(ふじいでら) |
院号 | 一乗院(いちじょういん) |
御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525番地 |
創建年代 | 弘仁6年(815) |
開山 | 弘法大師 |
宗派等 | 臨済宗妙心寺派 |
文化財 | 〈重文〉木造薬師如来坐像 |
覚え書き
吉野川の北岸、阿讃山脈沿いを西に向かってきた遍路道は、切幡寺から南へ向かう。四国三郎・吉野川にかかる潜水橋を渡れば藤井寺がある。四国山地の麓に緑に覆われた境内がたたずんでいる。
弘仁年間(810~824)この地を巡錫した弘法大師が諸人と自ら自身の厄難を除くため、薬師如来の像を刻み、堂宇を建立したのが創建とされる。境内に藤を植えたことから藤井寺と名付けたとされる(大師お手植えと伝えられる藤が山門を入ったところにある)。そして、現在の境内から200メートルほど山中に入った八畳岩で護摩を修したという。
かつては壮麗な大伽藍であったというが、天正年間((1573~92)長宗我部の兵火によって焼失。延宝2年(1674)臨済宗慈光寺の南山祖団によって復興され、臨済宗の寺となった。
弘法大師作とされる本尊は、実際には久安4年(1148)の銘がある。造立銘がある仏像としては四国最古のもので、国の重要文化財に指定されている。
藤井寺は天正の兵火、さらに天保3年(1832)の火災で堂宇や宝物を焼失したが、いずれも本尊は無事であったところから「厄除けのお薬師さん」として信仰を集めているという。
藤井寺の奥の院は、焼山寺への遍路道の脇にある大日如来を祀る祠である。