名称 | 屏風浦 五岳山 誕生院 善通寺 |
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御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 香川県善通寺市善通寺町3-3-1 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.zentsuji.com/ |
【本尊真言】
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
【御詠歌】
我すまばよもきゑはてじ善通寺 ふかきちかいの法のともしび
【略縁起】
弘法大師の御誕生所で、高野山・東寺とともに大師の三大霊跡に数えられる。大同2年(807)唐より帰国した弘法大師が父より寄進された4町四方の土地に長安の青龍寺をもした伽藍を建立したと伝えられる。寺号は父・佐伯直田公の諱・善通に因むという。昭和6年(1931)大本山に昇格し、派名を真言宗小野派から善通寺派に改称。同16年(1941)総本山に昇格した。
善通寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師如来」。中央の宝印は弘法大師の御手印。右上の印は「四国第七十五番」、左下は「讃岐国屏風浦善通寺」。
(2)平成19年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
(3)平成4年に拝受した西院(誕生院)の納経。
塔頭寺院の納経(御朱印)
(1)塔頭・観智院、さぬき三十三観音霊場25番の納経。本尊:子安観音。平成19年拝受。
(2)塔頭・華蔵院の納経。本尊:毘沙門天。平成19年拝受。
(3)番外札所・仙遊寺(仙遊ヶ原地蔵堂)の納経。平成19年拝受。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「勅願所」「讃州屏風浦」「善通寺伽藍」「大師御誕生所」「誕生院堂司」。中央の宝印はない。右上の印は「第七十五番」、左下は「屏風浦五岳山善通寺」。
(2)天保12年(1841)の納経。版木は天保11年のものと同じ。中央の宝印はなく、右上の印は「第七十五番」、左下は判読できないが天保11年のものとは違う。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「本尊薬師如来」「弘法大師御誕生所」「御父佐伯善通卿御母玉寄御前宝亀五年六月十五日此所ニテ御誕生アリ」「讃岐屏風浦善通寺」「別格本山 誕生院堂司」。中央の宝印はない。右上の印は「四国第七十五番」、左下は「讃岐国屏風浦善通寺」。
善通寺について
山号 | 五岳山(ごがくざん) |
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寺号 | 善通寺(ぜんつうじ) |
院号 | 誕生院(たんじょういん) |
御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 香川県善通寺市善通寺町三丁目3番1号 |
創建年代 | 大同2年(807) |
開山 | 弘法大師 |
宗派等 | 真言宗善通寺派 総本山 |
文化財 | 〈国宝〉金堂錫杖頭 一字一仏法華経序品 〈重文〉金堂(附:棟札1枚) 五重塔(附:棟札2枚) 木造吉祥天立像 木造地蔵菩薩立像 善通寺伽藍并寺領絵図 〈県有形文化財〉木造毘沙門天立像 仏説観仏三昧海経巻第六 〈県史跡〉善通寺旧境内 香色山経塚群 〈県天然記念物〉善通寺境内の大グス |
覚え書き
弘法大師の御誕生所であり、高野山・東寺とともに大師の三大霊跡とされる。真言宗善通寺派の総本山である。
広大な境内は東院と西院からなる。東院は伽藍と呼ばれ、創建当時からの寺域である。薬師如来を祀る金堂を中心として、南大門・五重塔・釈迦堂などが並ぶ。大同2年(807)唐より帰朝した弘法大師が、父から寄進された4町四方の土地に6ヶ年の歳月をかけて造営し、弘仁4年(813)に竣工したと伝えられる。伽藍の配置は長安の青龍寺を模したものといい、寺号は父・佐伯善通〔よしみち〕公の諱〔いみな〕に因む。
西院は誕生院と称し、鎌倉時代に大師の実家である佐伯氏の邸宅跡に建立された。御影堂の奥殿の建つ場所には母・玉依御前の部屋があり、大師は宝亀5年(774)ここで誕生したと伝えられる。もともと善通寺と誕生院は独立した寺で、住職も別々に置かれていたが、明治になって一つの寺になった。
創建以来、皇室や武家の尊崇を受けた。鎌倉時代に衰退したものの後宇多天皇によって再興された。暦応3年(1340)に焼失したときは宥範が再建、この時には足利尊氏・真義・義満などが寄進したという。永禄元年(1558)三好氏と香川氏の戦火により全焼したが、生駒氏・松平氏・京極氏など、歴代領主によって再建された。
長く随心院(京都市山科区、現在は善通寺派の大本山)の末寺とされていたが、昭和6年(1931)大本山に昇格し、管長寺となった。これに伴い、派名も真言宗小野派から善通寺派に改められた。さらに同16年(1841)総本山となった。
東院(伽藍)の佐伯祖廟には大師の両親を祀る。五社明神の南側にある三基の五輪塔は、後嵯峨天皇・亀山天皇・後宇多天皇の御爪髪を納めた三帝御廟である。
五重塔の傍には法然上人逆修塔がある。逆修塔というのは生前に建てる墓のことである。讃岐に配流された法然上人は善通寺に参拝し、「一度この寺に詣でなんともがらは一仏浄土の友たるべし」として逆修塔を建てられたという。
境内の大楠は樹齢千数百年といわれ、弘法大師が生まれた頃からあったといわれる。