仲町氷川神社は、延喜年間(901~23)牛田寄の元宮に勧請されたと伝えられる。元和2年(1616)現社地に遷座し、改めて大宮の氷川神社より御分霊を勧請し、掃部宿(後の千住中組)の鎮守とされた。境内社に東都七天神に数えられた関屋天満宮や千寿七福神の弁財天を祀る江島神社などがある。
正式名称 | 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕 |
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通称 | 仲町氷川神社〔なかちょう ひかわじんじゃ〕 |
御祭神 | 素盞嗚尊 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都足立区千住仲町48-2 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 北千住(JR常磐線・東京メトロ日比谷線・東武スカイツリーライン他) 千住大橋(京成本線) |
仲町氷川神社の御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「氷川神社」で、右上の字は「冫」で氷の原字。左下は白抜きで「掃部宿氷川神社」。
(2)平成28年拝受の御朱印。中央の朱印は「氷川神社」で、平成17年のものと同じ。右上の印は祇園守の神紋。右下は「千住掃部宿」。
(3)千寿七福神・弁財天の御朱印、平成23年拝受。中央の朱印は弁財天の図像。右上の印は「福徳」、左上は「千寿 千住宿 七福神」、左下は「掃部宿氷川神社」。
(4)関屋天満宮の御朱印、平成28年拝受。中央の朱印は「関屋天満宮」、右下は「東都七天神」、左下は「掃部宿氷川神社」。
仲町氷川神社について
名称 | 氷川神社 |
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通称 | 仲町氷川神社 |
御祭神 | 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都足立区千住仲町48番2号 |
創建年代 | 延喜年間(901~923) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月15日 |
巡拝 | 千寿七福神(弁財天) |
御由緒
仲町氷川神社は、千住掃部宿(現在の千住仲町、千住河原町、千住橋戸町、千住関屋町など)の鎮守。『新編武蔵風土記稿』には「千住町二丁目より五丁目までの鎮守なり」とある。旧別当は真言宗の白幡山不動院(千住1)。
創建については詳らかではないが、延喜年間(901~23)の創祀ともされる。現在よりも南東の牛田寄の元宮というところに里人が勧請したという。
慶長3年(1598)石出掃部亮吉胤〔いしで かもんのすけ よしたね〕が掃部新田〔かもんしんでん〕(後の掃部宿)を開拓。元和2年(1616)、荒川に堤防(掃部堤)を築く際、その用地内にあった当社を現社地に遷座。その際、改めて大宮の氷川神社より御分霊を勧請して、当地の鎮守とした。
境内社の関屋天満宮は東都七天神に数えられ、源頼朝が現在の千住関屋町に設けた関所に勧請されたものという。関所が拝された後、天満宮だけが残っていたが、天明7年(1787)当社の境内に遷された。「関屋天満宮碑(社号標)」は文化4年(1807)建立の銘があり、区の登録文化財に指定されている。
また千寿七福神の弁財天である江島神社(千寿弁財天)には、元禄2年(1689)造立の石像が祀られている。中央に剣と宝珠を持った弁財天、上部に日と月、下部に「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿を彫った庚申塔である。弁財天を主尊とする庚申塔は非常に珍しく、これも区の登録有形民俗文化財に指定されている。
千住宮元町に鎮座する白幡八幡神社は、かつては仲町氷川神社に祀られていた。元和2年(1615)名主の庄左衛門が先祖伝来の白幡を奉納し、白幡八幡社として祀った。源義家が奥州に下向する途中、渡裸〔とら〕川の渡し場(現在の千住大橋のやや上流)で、この白幡を立てて戦勝祈願をしたというものである。現社地に社殿を建立したのは明治41年(1908)のことである。
写真帖
メモ
旧日光街道の一本東側の通りに面して鎮座する。住宅地の中ではあるが、緑のあふれる境内である。
何度か参拝したが、関屋天満宮の御朱印をいただけることを知って、平成28年久しぶりに参拝した。ところが、この時は境内が整備中で、肝心の関屋天満宮は建て替えのために社殿が解体され、土台に御幣が立てられているだけだった。珍しい体験といえるかもしれない。