荏原七福神は品川区南部の七つの寺社を巡る七福神霊場で、創立は平成3年。東京では比較的新しい七福神である。
■大井蔵王権現神社:福禄寿
■東光寺:毘沙門天
■養玉院如来寺:布袋尊
■上神明天祖神社:弁財天
■法蓮寺:恵比寿
■摩耶寺:寿老人
■小山八幡神社:大國天
以上の3社4ヶ寺で構成されている。
荏原七福神について
荏原七福神は平成3年に創立された比較的新しい七福神霊場である。平成10年に荏原七福神会が発行した『荏原七福神』の荏原七福神創立の趣旨には「私たちの周辺にも品川地区に東海七福神あり、蒲田地区に池上七福神、お隣目黒地区にはお不動さまを中心に山手七福神がある。歴史と伝統に輝く武蔵国荏原郷今なお由緒ある荏原の地名を残す『荏原七福神』を創立し地域の平和と人々の幸福を祈願することは誠に大きな意義があるものと思考する」とある。
「荏原」は万葉集にもその名が見える古い地名で、荏原郡は東京都23区の南部(品川区・大田区・目黒区・世田谷区・港区など)に相当する。その中心と考えられる荏原郷については中延周辺に比定する説があり、また7ヶ所中6ヶ所が旧荏原区にある。いずれも古い由緒を持つ寺社で、伝統ある荏原の名を負うに相応しい七福神霊場といえるだろう。
知名度の高い七福神霊場ではないが、交通の便が良いこともあってか、巡拝する人は増えているようである。
さらに平成27年6月にはコンテストによる新しい七福神キャラクターが誕生。「もう一つの荏原七福神めぐり」としてスタンプラリーが行われている。なかなか意欲的な取り組みをしている七福神霊場である。
巡拝情報
七福神の参拝期間は1月1日から7日。この期間の10時から16時、各寺社に受付が設けられる。1月8日以降も御朱印などを拝受することは可能だが、受付が不在の場合がある。
巡拝ルートは自由で、各自の都合に合わせて巡拝すればよい。ただ各寺社は大井町駅から西小山駅の間を東西に並んでいるため、大井町駅(JR京浜東北線・東急大井町線)に近い大井蔵王権現神社から西へ向かうか、西小山駅(東急目黒線)に近い小山八幡神社から東に向かうのが便利である。
距離は約6.5kmで所要時間は1時間半から2時間強といわれるが、参拝や御朱印の待ち時間によって大きく違ってくるため注意が必要である。
大井蔵王権現神社(福禄寿)
■大井蔵王権現神社
御祭神:建速須佐男命・金山毘売命・金山毘古命
札所本尊:福禄寿
創建年代:平安時代(?)
社格等:(単立神社)
鎮座地:東京都品川区大井1-14-8 [Mapion|googlemap]
御由緒
創建年代は不詳だが平安時代に遡ると伝えられ、親鸞聖人の高弟で関東六老僧の一人・了海上人は当社の霊験により誕生したという伝承がある。
元は権現台(現在の広町二丁目、JR東日本東京総合車両センターのあたり)に鎮座していたが、明治43年(1910)品川操車場の埋立工事に伴って東大井の来福寺境内に遷り、その後、日本理化工業の社有地を経て昭和63年(1988)現社地に遷座した。
江戸時代、江戸で火事や疫病が流行ったとき、大井村の蔵王権現の天狗のおかげでこのあたりは無事だった。そこで祭礼に太鼓を叩いたり天狗を祀った神輿を担いだりしたのが「天狗祭り」や「大井蔵王権現太鼓」の由来だという。
御朱印
(1)平成23年拝受の御朱印。墨書は「福禄寿」、左端に「大井蔵王権現神社」の社号。中央の朱印は桜の枠に寿老人の顔と巻物、「智恵」「財運」の文字。右上の印は「福寿開運」、左下は「大井蔵王権現神社印」。
(2)平成31年拝受の御朱印。朱印・墨書ともにほとんど平成23年のものと同じだが、左端の社号はなくなっている。
平成23年・31年参拝時の様子
平成23年の参拝時、七福神めぐり最終日の1月7日午後。参拝者はそれほど多くなかった。
当時、福禄寿の御神像は社殿内に祀られていた。
平成31年の参拝時。社殿脇に福禄寿をお祀りするお社が設けられていた。参拝者は以前よりかなり増えているようだった。
アクセス
□東光寺より徒歩約9分
□JR京浜東北線・東急大井町線・りんかい線「大井町駅」より徒歩約5分
東光寺(毘沙門天)
■久遠山 不動院 東光寺
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:毘沙門天
創建年代:天文13年(1534)
開山:什仙上人
宗派:天台宗
所在地:東京都品川区二葉1-14-16 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://toukouji.nettemple.jp/
略縁起
天文13年(1534)什仙上人によって開創された。往古は大井から荏原に通じる道筋にあったという。現在の本堂は文化10年(1813)浄権大僧都による再建。
境内には東司(トイレ)守護の烏枢沙摩明王が祀られており、「おまたぎ」という便器をまたいでお参りすると下の病気にならない、下のお世話にならないとされる。
札所本尊の毘沙門天は本堂内に祀られているが、本堂前にも毘沙門天の石像が祀られている。
御朱印
(1)平成23年拝受の御朱印。墨書は日付のみで、「荏原七福神」「毘沙門天」「東光寺」等のスタンプが押されている。朱印は毘沙門天の顔と塔・三叉戟に「開運厄除」。
(2)平成31年拝受の御朱印。平成23年のものとほぼ同じだが、右上に「奉拝」の文字が入り、左下に「東光寺之印」の印。朱印・スタンプはすべて新しくなっているようだ。
平成23年・31年参拝時の様子
平成23年の参拝時。参拝者もあまりおらず、のんびりとした参拝だった。
平成31年の参拝時。次々と参拝者が訪れ、御朱印を受ける行列もできていた。
アクセス
□大井蔵王権現神社より徒歩約9分
□養玉院如来寺より徒歩約27分
□JR西大井駅より徒歩約10分
養玉院如来寺(布袋尊)
■帰命山 養玉院 如来寺
御本尊:釈迦如来
札所本尊:布袋尊
創建年代:寛永3年(1626)/寛永13年(1636)
開山:天海/木喰但唱
宗派:天台宗
所在地:東京都品川区西大井5-22-25 [Mapion|googlemap]
公式サイト:https://www.yougyokuin.com/
略縁起
大正15年(1926)養玉院と如来寺が合併して現在の帰命山養玉院如来寺となった。法人名は養玉院だが、両寺の名を併せて養玉院如来寺と称することが多い。通称は大井の大仏(おおぼとけ)。
如来寺は帰命山大日院如来寺と号し、寛永13年(1636)木喰但唱が弟子たちと造立した高さ1丈の五智如来を奉安して開創した。当時は高輪の東海道沿いにあり、高輪の大仏として信仰を集めた。江戸の名所の一つとして、その様子は『江戸名所図会』や浮世絵などにも描かれている。明治41年(1908)現在地に移転した。
養玉院は金光山大覚寺養玉院と号し、その前身は平安時代に開創された三藐院という寺であったとされる。当時は今の千代田区大手町付近にあったが、慶長の頃、江戸城の拡張のため上野忍岡に移された。寛永寺が創建されると山内に寺地を拝領してその塔頭となり、慈眼大師天海を開山として三明院と改めた。寛文3年(1663)養玉院と改称、元禄11年(1698)下谷坂本に移転した。
大正11年(1922)境内が鉄道用地となったため大いに移転。大正15年(1926)隣接する如来寺と合併した。
なお、札所本尊の布袋尊は五智如来を祀る如来堂ないに安置されている。
御朱印
(1)平成23年拝受の御朱印。墨書は「布袋尊」。中央の宝印は布袋尊の顔、扇、袋と「福寿宝財」。右上の印は「開運招福」、左下は白抜きで「帰命山如来寺」。
(2)平成31年拝受の御朱印。ほぼ平成23年のものと同じだが、中央と右上の印は新しくなっている。
平成23年・31年参拝時の様子
平成23年の参拝時。ぽつぽつと参拝者が訪れていた。
平成31年の参拝時。参拝客が次々に訪れていた。
アクセス
□東光寺より徒歩約27分
□上神明天祖神社より徒歩約19分
□JR横須賀線「西大井駅」より徒歩約10分
□都営浅草線「馬込駅」より徒歩約10分
上神明天祖神社(弁財天)
■上神明天祖神社(蛇窪神社)
御祭神:天照大御神・天児屋根命・応神天皇
札所本尊:弁財天
創建年代:元亨2年(1322)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都品川区二葉4-4-12 [Mapion|googlemap]
公式サイト:https://hebikubo.jp/
御由緒
上神明天祖神社は荏原郡上蛇窪村の鎮守で、江戸時代までは神明社と称した。もともと上蛇窪村(上神明)と下蛇窪村(下神明)は一体で蛇窪村と呼ばれていた。正保年間(1645~48)蛇窪村が上下に分かれた際、鎮守の神明社も当社と下神明天祖神社に分立したという。
文永8年(1272)11月10日、北条重時(北条義時の三男)が、五男の時千代に蛇窪の地を開拓するよう諭し、多数の家臣をつけて残した。後に時千代は出家し、法圓と号して大森に厳正寺を開いた。
元亨2年(1322)武蔵国に大干魃があり、飢饉が発生しそうになった。厳正寺第二世の法密上人(法円の甥)が雨乞いの断食祈願を行ったところ、大雨が降って飢饉の危機を免れることができた。これに感激した時千代の旧家臣たちが神恩に感謝して神社を創建した。これが当社の始まりと伝えられる。
一説には、この地の豪農・森屋氏が創建したとも伝えられる。
令和元年5月1日より、御大典を記念して蛇窪神社を通称とした。
御朱印
(1)平成23年拝受の御朱印。墨書は「上神明天祖神社」「弁財天」。中央の朱印は「天祖神社」、左下は「開運招福」。
(2)平成23年拝受の御朱印(スタンプ)。弁財天の顔と琵琶、「富貴開運」。
(3)平成31年拝受の御朱印。文字はスタンプで「厳島弁財天大神」。朱印は平成23年拝受の御朱印(スタンプ)と同じもの。
平成23年・31年の参拝時の様子
平成23年参拝時の様子。当時はまだ当社が御朱印で人気が出る前で、それほど参拝者は多くなかった。七福神も弁財天祠の前まで進んで参拝することができた。
平成31年参拝時の様子。七福神めぐりの方以外にも御朱印拝受のために参拝している人も多かった。七福神の参拝は鳥居前に賽銭箱が置かれ、そこで参拝するようになっていた。
アクセス
□養玉院如来寺より徒歩約19分
□法蓮寺より徒歩約14分
□都営浅草線「中延駅」より徒歩約5分
□東急大井町線「中延駅」より徒歩約6分
□JR横須賀線「西大井駅」より徒歩約8分
法蓮寺(恵比寿)
■八幡山 法蓮寺
御本尊:三宝尊
札所本尊:恵比寿
創建年代:文永年間(1264~74)
開山:越中阿闍梨朗慶上人
宗派:日蓮宗
所在地:東京都品川区旗の台3-6-18 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.hourenji.or.jp/
略縁起
文永年間(1264~74)当地の領主・荏原義宗は日蓮聖人の高弟・日朗上人に深く帰依し、その息子・徳次郎も上人の下で出家得度した。それが日朗門下の九老僧の一人・朗慶上人で、義宗の館跡に法蓮寺を開創した。
隣接する旗岡八幡神社は義宗が先祖より受け継いだ八幡神の像を祀っており、法蓮寺はその別当となった。八幡山の山号はそれに由来する。
江戸時代になり、11代将軍家斉は鷹狩りに際してたびたび当寺に立ち寄ったが、当時の住職・妙沾院日詮上人は将軍相手に相撲を取り、手加減することなく投げ飛ばしたという。その人柄が将軍の信を受け、江戸城内にも多くの信者を得たという。
昭和20年(1945)空襲で本堂等灰燼に帰すが、昭和41年(1966)に再建された。
御朱印
(1)平成23年拝受の御朱印。墨書は「荏原七福神」「恵比寿」。中央の朱印は恵比寿の顔と鯛と釣り竿、「商売繁盛」。左下の印は「八幡山法蓮寺」。
(2)平成31年拝受の御朱印。平成23年の御朱印とほぼ同じ。
平成23年・31年参拝時の様子
平成23年参拝時の様子。
平成31年参拝時の様子。やはり次々と参拝の方が訪れていた。
アクセス
□上神明天祖神社より徒歩約14分
□摩耶寺より徒歩約25分
□東急大井町線「荏原町駅」より徒歩すぐ
摩耶寺(寿老人)
■仏母山 摩耶寺
御本尊:三宝尊
札所本尊:寿老人
創建年代:寛文7年(1667)
開山:立法院日了
宗派:日蓮宗
所在地:東京都品川区荏原7-6-9 [Mapion|googlemap]
略縁起
仏母山摩耶寺と号し、寺伝によれば寛文7年(1667)立法院日了によって開創された。隣接する小山八幡神社の旧別当寺である。
本堂脇の釈迦堂(摩耶堂)にお釈迦様の母である摩耶夫人の像を祀っている。この像は元禄11年(1698)碑文谷の法華寺(現・円融寺)が不受不施派の弾圧で天台宗に改宗した際、当寺に遷されたものという。
現在の本堂は昭和53年(1978)に再建されたものである。
札所本尊の寿老人は本堂内に祀られている。
御朱印
(1)平成23年拝受の御朱印。墨書は「寿老人」。中央の朱印は寿老人の顔と鹿、「延命長寿」。右上の印は「開運招福」。
(2)平成31年拝受の御首題。七福神でも御朱印ではなく御首題を授与するようになったようだ。中央の朱印は判読できない。左下は「佛母山摩耶寺之印章」。
平成23年・31年参拝時の様子
平成23年参拝時の様子。夕方近くなり、ほかに参拝者はいなかった。
当時は札所本尊撮影禁止の表示はなかったで写真を撮ったのだが、すでに夕暮れ近かったこともあり、そのお姿はほとんどわからない。
平成31年参拝時の様子。この時も午後遅くなっていたのだが、次々に参拝者が訪れ、御朱印拝受もしばらく待ち時間がかかった。
アクセス
□法連寺より徒歩約25分
□小山八幡神社より徒歩約2分
□東急目黒線「西小山駅」より徒歩約7分
小山八幡神社(大國天)
■小山八幡神社
御祭神:誉田別尊
札所本尊:大國天
創建年代:長元3年(1030)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都品川区荏原7-5-14 [Mapion|googlemap]
御由緒
創建については詳らかでないが、長元3年(1030)源頼信が霊威を感得し、当地に誉田別尊を奉斎したという伝承がある。かつては妙見菩薩を併せ祀り、妙見八幡宮あるいは池ノ谷八幡とも呼ばれた。
当社はもともと小山村全体の鎮守であったが、元禄年間(1688~1704)三谷八幡神社を分祀、氏子も二分することになったという。また明治の神仏分離により、妙見菩薩は旧別当・仏母山摩耶寺に遷された。
なお、札所本尊の大國天は社殿に向かって左側に入ったところにある甲子神社に祀られている。
御朱印
(1)平成23年拝受の御朱印。墨書は「甲子大黒天」。中央の朱印は大國天の顔と打ち出の小槌、「大願成就」。左上に三つ巴の神紋の印、左下に「小山八幡神社」。
(2)平成31年拝受の御朱印。平成23年の御朱印とほぼ同じ。
平成23年・31年参拝時の様子
平成23年参拝時の様子。夕方遅くなり、近所の人らしい参拝者を見かけただけだった。
平成31年参拝時の様子。七福神めぐりの人は結構いたのだが、たいてい本社のみを参拝して、札所本尊の大國天を祀る甲子神社に参拝している人はあまりいなかった。
アクセス
□摩耶寺より徒歩約2分
□東急目黒線「西小山駅」より徒歩約7分
もう一つの七福神めぐり
各寺社には、平成27年に誕生した「もう一つの七福神めぐり」の等身大パネルが設置されている。