平野神社

平野神社

平野神社は、延暦13年(794)大和に祀られていた今木神・久渡神・古開神を平安京に遷祀したことに始まる。承和年間(834~848)比売神を合わせ祀った。延喜の制では名神大社、二十二社の制では上七社に列し、源氏・平氏など8氏の氏神とされたことから「八姓の祖神」と称されるなど朝野の尊崇を受けた。
京都府の神社

正式名称 平野神社〔ひらのじんじゃ〕
御祭神 今木皇大神 久度大神 古開大神 比賣大神
社格等 式内社(名神大) 二十二社 旧官幣大社 別表神社
鎮座地 京都市北区平野宮本町1 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.hiranojinja.com/
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御朱印

  • 平野神社の御朱印

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  • 平野神社の御朱印

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(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は「平野神社」、上に山桜の神紋。

(2)平成26年拝受の御朱印。朱印は平成18年のものと同じ。

昔の御朱印

明治の御朱印

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(1)明治12年(1879)の御朱印。揮毫は「官幣大社/平野神社/社務所」。中央の朱印は「平野神社」、左下は「平野神社社務所印」。

(2)明治13年(1880)の御朱印。揮毫は「官幣大社/平野神社/社務所」。中央の朱印は八稜鏡に神代文字。判読しづらいが、御祭神四柱の名前ではないかと思われる。左下は「平野神社社務所印」。

大正・昭和の御朱印

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  • 平野神社の御朱印

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(1)時期不詳の御朱印。大正10年頃のものと思われる。上の印は山桜の神紋、下は「平野神社」で、現在のものとほぼ同じのようだ。

(2)大正12年の御朱印。上は山桜の神紋。下は「官幣大社平野神社参拝之證」。

(3)昭和5年の御朱印。中央の朱印は隷書で「平野神社」、その上に山桜の神紋。

(4)昭和10年代半ばの御朱印。八稜鏡の中に「官幣大社 平野神社」とあり、周囲に桜の花をあしらう。昭和17年に発行された『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。

(5)昭和17年の御朱印。朱印は「官幣大社 平野神社」。

御由緒

平野神社は、延暦13年(794)平安遷都に伴って大和に祀られていた今木神、久度神、古開神を遷座・奉斎したことにはじまる。今木神は平城京の田村後宮に、久度神・古開神は平群郡の久度神社(式内社)に祀られていた。承和年間(834~848)に比売神を祀る。

御祭神の今木神以下四座については諸説ある。例えば、今木神は「今来の神」すなわち新しく渡来した神の意とされ、百済系の渡来人の神とする説がある。今木神については桓武天皇の母・高野新笠の遠祖である百済の聖明王、久度神はその祖である仇首王、古開神は沸流王と肖古王とする説を伴信友が唱えた。

『和漢三才図会』では今木神を日本武尊、久度神を仲哀天皇、古開神を仁徳天皇、比売大神を天照大神とする。また、久度神・古開神を物部氏及びその一族の久努氏と関連づける説もある。

しかし、平野神社ではこれらの説を否定し、今木神を「源気新生・活力生成の神」、久度大神を「竈の神、衣食住の生活安泰の神」、古開神を「邪気を振り開(晴)く平安の神」、比売神を「生産力の神」としている。

『文徳天皇実録』には「平野神宮」と見え、『延喜式』の「神祇官式・祝詞」には「平野皇大神」とある。また『延喜式』の定めるところでは、平野祭には皇太子が奉幣することになっており、格別の扱いを受けている。

田村後宮で祀られていた今木神は桓武天皇の外戚である和史〔やまとのふひと〕(高野新笠の父方。光仁天皇の即位後、高野朝臣の氏姓を賜った)の氏神と考えられる。桓武天皇は父・光仁天皇が天智系であること(それまでは天武系の天皇が続いていた)、また母が百済の王族の血を引くことを強く意識していた。しかも本来の皇太子であった、聖武天皇(天武系)の皇女である井上内親王の子・他戸親王を廃しての即位であり、新王朝の樹立という意識が強かった。そのあたりから、外戚神としての平野神社が重んじられるようになったのであろう。

『延喜式』で「皇大神」の称号が用いられているのは他に伊勢神宮と春日大社のみで、春日大社が皇室の外戚として勢威を振るった藤原氏の氏神であることを考えると、平野神社の位置づけも得心がいく。

仁寿元年(851)には今木神が従二位、久度神・古開神が従四位、比売神が正五位に叙されている。さらに貞観5年(863)には久度神・古開神が正三位、比売神が従四位に進み、翌6年(864)には今木神が正一位となる。延喜式神名帳には「平野祭神四坐」として名神大社に列し、月次・新嘗の官幣に預かっている。二十二社の制では伊勢・石清水賀茂松尾に次いで上七社の第五位とされた。

円融天皇以降、行幸もたびたびであり、また、今木神は源氏、久度神は平氏、古開神は高階氏、比売神は大江氏、摂社の縣社が中原氏・清原氏・菅原氏・秋篠氏の氏神とされ、「八姓の祖神」と称されるなど、朝野の尊崇を受けた。

祀職は平野流卜部家が代々継いだ。しかし、社運は次第に衰え、戦火で焼失することもたびたびであった。

現在の社殿は西洞院時慶らの尽力により、寛永年間(1924~44)に再建されたもの。一間社春日造の社殿二殿を間の間でつないだ二棟四殿からなる特殊な形式である。「比翼春日造」または「平野造」と呼ばれ、重要文化財に指定されている。

古くから桜の名所として知られ、現在も境内に多くの珍種を含む約50種400本の桜がある。因みに神紋も山桜である。

写真帖

  • 大鳥居

    大鳥居

  • 境内社

    出世導引稲荷社・猿田彦社

  • 手水舎

    手水舎

  • 神門

    神門

  • 境内社

    春日・住吉・蛭子・鈿女社

  • 八幡社

    八幡社

  • 御神木

    御神木 大楠

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

近年修復された鮮やかな朱の大鳥居には「平野皇大神」の社号額がかかる。境内は閑散としており、近くにある北野天満宮が修学旅行生などで賑わっているのに対し、多少寂れた感がある。とはいえ、桜の季節には賑わうそうだが。これほどの神社が意外に知られてないのは残念だが、それぶん、ゆっくりと神域の風情を堪能できる。

平野神社の概要

名称 平野神社
御祭神 今木皇大神〔いまきすめおおかみ〕
久度大神〔くどのおおかみ〕
古開大神〔ふるあきのおおかみ〕
比賣大神〔ひめのおおかみ〕
鎮座地 京都市北区平野宮本町1番地
創建年代 延暦13年(794)
社格等 式内社 二十二社 旧官幣大社 別表神社
延喜式 山城國葛野郡 平野祭神四座 並名神大 月次新嘗
例祭 4月2日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月3日/元始祭
1月10日/末社蛭子社例祭
1月第2月曜/成人祭
1月14日/総代年賀祭
2月節分/節分祭
2月初午日/末社稲荷社初午祭
2月11日/紀元祭
2月17日/祈年祭
3月13日/末社春日社例祭
3月21日/春季皇霊殿遙拝式
4月3日/神武天皇遙拝式
4月4日/摂社縣社例祭
4月8日/末社稲荷神社例祭
4月10日/桜花祭
4月29日/昭和祭
5月5日/末社鈿女社例祭
6月30日/夏越大祓式・末社住吉社例祭
9月14日/御鎮座記念祭・奉灯祭
9月15日/末社八幡社例祭
9月23日/秋季皇霊殿遙拝式
中秋の名月/名月祭
10月第1日曜/紫式部祭
10月17日/神嘗祭遙拝式
11月3日/明治祭
11月5日/末社猿田彦社例祭
11月23日/新嘗祭
12月31日/大祓式・除夜祭
文化財 〈重文〉本殿 〈府有形文化財〉拝殿 南門 〈府登録有形文化財〉縣社 中門
巡拝 神仏霊場94番

交通アクセス

□京福電鉄北野線「北野白梅町駅」より徒歩約10分
□JR・近鉄「京都駅」よりバス
■市バス50・205・快速205系統「衣笠校前」下車徒歩3分
□地下鉄烏丸線「北大路駅」よりバス
■市バス204・205系統「衣笠校前」下車徒歩3分

京都府の神社
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