梅宮大社は、橘氏の氏神として崇敬された。はじめ県犬養三千代によって祀られた後、光明皇后らによって平城京に遷された。檀林皇后(嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子)が桂川のほとりの現社地に遷座した。延喜の制では名神大社とされ、二十二社の制では下八社に列した。近代社格制度では官幣中社とされた。
正式名称 | 梅宮大社〔うめのみやたいしゃ〕 |
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御祭神 | 〈本殿四座〉酒解神(大山祇神) 大若子神(瓊々杵尊) 小若子神(彦火火出見尊) 酒解子神(木花咲耶姫神)〈相殿四座〉嵯峨天皇 檀林皇后(橘嘉智子) 仁明天皇 橘清友公(檀林皇后の父) |
社格等 | 式内社(名神大) 二十二社 旧官幣中社 (単立神社) |
鎮座地 | 京都市右京区梅津フケノ川町30 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.umenomiya.or.jp/ |
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。中央上の朱印は橘の神紋、下は「梅宮」。
(2)平成29年拝受の御朱印。朱印は平成18年のものと同じ。
昔の御朱印
(1)大正8年の御朱印。上の印は梅花に「官幣中社」、下は判読できない。
(2)昭和5年の御朱印。上の印は「官幣中社」、下は「梅宮」で現在の朱印とほぼ同じ。
(3)昭和16年の御朱印。朱印は「官幣中社 梅宮神社」で、昭和17年発行の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。
御由緒
御祭神
本殿四座
■酒解神(大山祇神)
■酒解子神(木花咲耶姫命)
■大若子神(瓊々杵尊)
■小若子神(彦火々出見尊)
御祭神は記紀に名前の現れない神であるが、社伝においては酒解神を大山祇神、酒解子神を木花咲耶姫神、大若子神を瓊々杵尊、小若子神を彦火火出見尊に当てている。
御祭神の名から酒造・醸造の神として崇敬され、また檀林皇后が当社に祈願して皇子を授かったという伝承から、古来、子授け・安産の神として信仰を集めている。
相殿四座
■嵯峨天皇
■檀林皇后
■仁明天皇
■橘清友公
相殿の四座は仁寿年間(851~54)に合祀されたと伝えられる。
嵯峨天皇は桓武天皇の第二皇子で第52代天皇。檀林皇后はその皇后で、本名は橘嘉智子。仁明天皇は第54代天皇で、嵯峨天皇と檀林皇后の子。橘清友は檀林皇后の父で、渤海の使節を接待した際、大使の史都蒙が相を見て「子孫は貴人となるが、あなたは32歳で厄がある」と言ったと伝えられる。その言葉の通り、32歳で病没した。仁明天皇の外祖父であることから、その即位後、正一位・太政大臣を贈られた。
御由緒
梅宮大社は橘氏の氏神で、『伊呂波字類抄』などによれば、はじめ県犬養三千代(橘氏の祖・橘諸兄の母)によって祀られたという。
天平宝字年間(757~65)光明皇后と牟漏女王によって平城京で祀られ(二人は県犬養三千代の娘で、異父姉妹。牟漏女王は橘諸兄と同父で、藤原房前の妻。光明皇后は聖武天皇の皇后で、父は藤原不比等)、その後、相楽郡提山(現在の綴喜郡井手町)に遷座したという。
嵯峨天皇の皇后となった檀林皇后(橘嘉智子)はこの神を円提寺(井出寺、橘氏の氏寺で、現在は廃絶)に祀った。ところが仁明天皇(嵯峨天皇と檀林皇后の皇子、在位833~50)に祟りがあり、卜したところ「我、今は天子の外戚の神である。しかるに国家の大幣を得ず。これは何故か」と託宣があった。そこで仁明天皇が檀林皇后に請い、葛野川(桂川)のほとりの現社地に遷し祀った。皇后は行啓して親しく祭儀を行ったが、この時、初めて神前で雅楽が奉納されたという。
承和3年(836)酒解神に従五位上、大若子神・小若子神に従五位下が奉授され、貞観元年(859)には四座とも正四位、延喜11年(911)正三位に進んだ。治承4年(1180)には正一位になったとされる。延喜の制では四座ともに名神大社に列し、祈年・月次・新嘗祭の案上の官幣に預かった。また、二十二社の制では下八社に列した。
元禄11年(1698)火災で社殿が焼失。元禄13年(1700)に再建された。
明治4年(1871)官幣中社に列格。この時点では官幣中社の筆頭とされていた(明治6年に八坂神社が筆頭となった)。戦後は単立神社となり、昭和26年(1951)「梅宮大社」と改めた。
県犬養三千代と橘氏
「源平藤橘」というように、橘氏は源氏・平氏・藤原氏と並ぶ名族として知られる。和銅元年(708)、県犬養三千代(橘三千代)が橘宿禰の氏姓を賜ったことに始まる。
県犬養三千代は中堅豪族・県犬養東人の子として生まれ、女官として朝廷に仕えた。初め、敏達天皇の後裔である美努王に嫁ぎ、葛城王(後の橘諸兄)・佐為王(後の橘佐為)・牟漏女王を儲ける。その後、美努王と離縁し、藤原不比等の後妻となって光明子(聖武天皇の皇后)・多比能(橘諸兄の正妻、ただし異説あり)を生んだ。天武天皇から元正天皇に至る五代の天皇に仕え、不比等を助けて藤原氏の繁栄に尽くした。
三千代の死後、葛城王と佐為王は母が賜った橘氏の継承を朝廷に願い出、許されて葛城王は橘諸兄、佐為王は橘佐為と改めた。諸兄は天平15年(743)左大臣に昇進し、聖武・孝謙寮天皇の下で権勢を誇った。
しかし、諸兄の子・橘奈良麻呂は藤原仲麻呂との政争に敗れて獄死。橘氏は大きく勢力を減退させた。
奈良麻呂の子・橘清友は、宝亀8年(777)渤海からの使節を接待したが、その際、大使の史都蒙が相を見て「あなたの子孫は貴人となるが、あなたは32歳で厄がある」と告げたという。その予言の通り、延暦8年(789)32歳で病没するが、娘の橘嘉智子は嵯峨天皇の皇后となった(檀林皇后)。
この当時、臣下氏族で皇后を出していたのは藤原氏のみであり、檀林皇后の立后によって橘氏の地位は大きく上昇した。橘清友は従三位を追贈され、さらに仁明天皇の即位により、外祖父として正一位・太政大臣を贈られた。また檀林皇后の弟・橘氏公も右大臣に昇進した。
その後もしばらくは公卿を輩出したが次第に衰退。唯一の堂上家で橘氏長者を世襲していた薄家も安土桃山時代に絶家となった。
梅宮大社には代々橘氏の氏長者が仕えたが、橘氏が絶えた後は、橘氏と関係の深い藤原氏が代行した。これは、県犬養三千代が橘氏の祖であると同時に藤原不比等の夫人であったことによる。
主な摂末社
■若宮社
摂社。御祭神は橘諸兄公。県犬養三千代の子で橘氏の祖。聖武天皇の下で左大臣となり、国政を掌った。歴史上、生前に正一位に叙された人物は6人しかいないが、その内の一人である。社殿は一間社流造で、本殿などと同じく元禄13年(1700)に再建された。京都府の登録文化財になっている。
■護王社
摂社。御祭神は橘氏公公と橘逸勢公。橘氏公は檀林皇后の弟で、嵯峨天皇の下で右大臣として国政に携わった。檀林皇后とともに日本最初の学校である橘学館院を創設した(※正確には大学の寄宿舎)。また、我が国最初の橘逸勢は檀林皇后の従兄弟で、嵯峨天皇・弘法大師とともに三筆として知られる。ともに学問興隆の基を築いた人物であることから、学業成就の神として尊崇される。社殿は一間社春日造で、若宮社や本殿と同じく元禄13年(1700)の造営、京都府登録文化財。
他に末社として稲荷社と天満宮・春日社・厳嶋社・住吉社・薬師社・愛宕社・天皇社・幸神社がある(天満宮以下は一棟に祀られている)。
写真帖
見どころ
■またげ石
本殿東側に鎮座する石で、またぐと子宝に恵まれるとして名高い。詳しい由来は伝わっていないが、檀林皇后がこの石をまたいで仁明天皇を授かったとされることから、受胎祈願の石として信仰を集めている。
■影向石
本殿西側にあり、熊野影向石あるいは三石ともいう。紀州熊野より三羽の烏が飛来し、石に化したと伝えられる。
■本殿・拝殿・楼門
京都府登録文化財。本殿は元禄11年(1698)の火災の後、元禄13年(1700)に造営されたもの。拝殿・楼門は元禄13年の造営の後、文政11年(1828)台風で大破して再建された。
メモ
参拝時、神門の改修中で、境内も何となく落ち着かなかった。時間がなかったこともあり、残念ながら、あまりゆっくりせず退去した。見落としたものも多いので、いずれ機会を見て参拝したいと思っている。
平成29年12月に2度目の参拝。写真を撮影し直した。最近は猫のいる神社としても知られるようになっているようだ。
梅宮大社の概要
名称 | 梅宮大社 |
---|---|
旧称 | 梅宮神社 |
御祭神 | 〈本殿四座〉 酒解神〔さかとけのかみ〕(大山祇神) 大若子神〔おおわくこのかみ〕(瓊々杵尊) 小若子神〔こわくこのかみ〕(彦火火出見尊) 酒解子神〔さかとけこのかみ〕(木花咲耶姫神) 〈相殿四座〉 嵯峨天皇〔さがてんのう〕 檀林皇后〔だんりんこうごう〕(橘嘉智子) 仁明天皇〔にんみょうてんのう〕 橘清友公〔たちばなのきみともこう〕(檀林皇后の父) |
鎮座地 | 京都市右京区梅津フケノ川町30番地 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 式内社 二十二社(下八社) 旧官幣中社 (単立神社) |
延喜式 | 山城國葛野郡 梅宮坐神四座 並名神大 月次新嘗 |
例祭 | 5月3日(梅宮祭・神幸祭) |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月15日/古神札焼納祭 2月11日/甘酒祭 3月第1日曜日/梅産祭(うめうめさい) 4月中酉日/献酒報告祭(中酉祭) 4月第3日曜日/桜祭 6月第3日曜日/檀林皇后祭 6月30日/夏越大祓祭 8月最終日曜日/嵯峨天皇祭 11月上卯日/醸造安全繁栄祈願祭(上卯祭) 12月31日/歳越の大祓 |
文化財 | 〈府登録文化財〉本殿・拝殿・境内社若宮社・境内社護王社・楼門 |
交通アクセス
□阪急嵐山線「松尾大社駅」より徒歩15分、またはバス
■市バス28・29系統「梅宮大社前」下車徒歩3分
□JR・近鉄「京都駅」よりバス
■七条口より市バス28系統「梅宮大社前」下車徒歩3分
■八条口より市バス71系統「梅宮大社前」下車徒歩3分
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