五十稲荷神社

五十稲荷神社

五十稲荷神社は慶長年間(1596~1615)以前の創祀と伝えられ、正徳の頃(1711~15)足利藩主・戸田氏の江戸屋敷の邸内社となった。足利の織物市に倣って五と十の日に月次の祭りを行い、諸人の参詣を許した。明治以降も五と十の日に縁日の市が立ち、「五十〔ごとお〕の縁日」と呼ばれた。これが「五十稲荷」の名の由来という。

正式名称 稲荷神社〔いなりじんじゃ〕
通称 五十稲荷神社〔ごとういなりじんじゃ〕
御祭神 保食神
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都千代田区神田小川町3-9 [Mapion | googlemap]
最寄り駅 淡路町(丸ノ内線)
新御茶ノ水(千代田線)
小川町(新宿線)
神保町(半蔵門線・新宿線・三田線)
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御由緒

五十稲荷神社の創建については詳らかではないが、慶長の頃(1596~1615)にはすでに奉祀されていたという。

正徳の頃(1711~15)足利藩主・戸田氏がこのあたりを拝領して屋敷を構えたため、当社の社地もその邸内に含まれることとなった。戸田氏は足利の陣屋大門に祀っていた稲荷大神(現・足利市雪輪町の栄富稲荷神社)を勧請・合祀し、栄寿稲荷大明神として崇敬した。

古くより足利においては五と十のつく日には織物の市が開かれていたため、戸田氏の江戸屋敷においても五と十の日に月次の祭を執り行い、月々の祭日と初午の日には門戸を開放して諸人の参詣を許していた。

明治5年(1972)公認の神社となる。明治13年(1880)には戸田忠行が東京府の社寺掛に「邸内社堂共有となし衆庶参拝願」を提出している。

明治25年(1892)戸田氏が転居し、当社の祭祀も信者と地域の人々によって行われることとなったが、旧来の習わしで五と十の日には多くの参拝者が集まり、縁日の市が立った。それが「五十〔ごとお〕の縁日」として知られるようになり、神社も「五十稲荷」と呼ばれるようになった。

戦前まで、五十の縁日には五百軒近い店が出て、都内でも有名な市であったという。

かつては現社地の隣地に200坪の境内を有していたが、大正12年(1923)の関東大震災で全焼。昭和3年(1928)東京市の土地区画整理により現社地に遷座再建した。昭和20年(1945)戦災で再び烏有に帰すも、戦後になって再建された。

資料

神田区史

五十稲荷神社 無格社

表神保町一番地

【祭神】宇迦之御魂神

【縁起】慶長年間徳川幕府に於て安産守護として信仰した。然るに正徳年間旧戸田長門守邸を拝領し、同氏尊信奉祭した。明治五年無格社に列せられ、明治二十五年戸田氏他へ転ずるに及んで町内並に信徒の者同町に奉斎を包へた。明治四十二年会計指定社に列せられた。

御朱印

  • 五十稲荷神社の御朱印

平成17年拝受の御朱印。朱印・墨書ともに「五十稲荷神社」。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 神狐

    神狐

  • 拝殿

    社殿

  • 神号額

    神号額

メモ

靖國通りから一本南の通りにある小さな神社。参拝は平成17年の4月。
後で知ったことだが、五十稲荷では宮司さんの身体が悪いため、通常、墨書していただけないらしい。それを知らずに御朱印をお願いしたところ、体調がよかったのか、快く墨書していただけた。さらに、社名の「五十」がなかなか読めないからということで、わざわざルビを振ってくださった。

五十稲荷神社の概要

名称 稲荷神社
通称 五十稲荷神社
旧称 栄寿稲荷大明神
御祭神 保食神〔うけもちのかみ〕
鎮座地 東京都千代田区神田小川町三丁目9
創建年代 不詳(慶長年間以前)
社格等 旧無格社
例祭 4月15日
神事・行事 1月5日/歳旦祭
2月上午の日/初午祭
12月5日に近い日曜日/新嘗祭

交通アクセス

□淡路町駅(丸ノ内線)より徒歩5分
□新御茶ノ水駅(千代田線)より徒歩5分
□小川町駅(都営新宿線)より徒歩5分
□神保町駅(半蔵門線・都営新宿線・都営三田線)より徒歩5分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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