日枝神社(赤坂)

日枝神社

日枝神社は平安末期、江戸郷を開拓した江戸氏によって奉斎されたとされる。文明14年(1478)、太田道潅が江戸城を築くにあたって河越の山王宮(川越市の仙波日枝神社)から江戸城内に勧請、鎮守の神とした。江戸城の鎮守、将軍家の産土神として尊崇され、徳川秀忠の時代に江戸城外に遷座してからは江戸の総鎮守として広く信仰を集めた。明治以降も皇城鎮護の神として厚く遇され、大正4年(1915)官幣大社に昇格した。

正式名称 日枝神社〔ひえじんじゃ〕
御祭神 大山咋神 〈相殿〉国常立神、伊弉冉神、足仲彦尊
社格等 旧官幣大社 元准勅祭社 別表神社
鎮座地 東京都千代田区永田町2-10-5  [Mapion | googlemap]
最寄り駅 赤坂(千代田線)
溜池山王(銀座線・南北線)
国会議事堂前(丸ノ内線・千代田線)
赤坂見附(銀座線・丸ノ内線)
公式サイト http://www.hiejinja.net/
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日枝神社の御朱印

  • 日枝神社の御朱印

    (1)

  • 日枝神社の御朱印

    (2)

(1)平成16年拝受の御朱印。中央の朱印は「日枝大社」。揮毫は「皇城の鎮」「日枝神社」。

(2)平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は「日枝神社」に替わっている。上下に緑の葵の印。揮毫は変わっていない。

摂末社の御朱印

  • 摂社日枝神社の御朱印

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  • 猿田彦神社の御朱印

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  • 八坂神社の御朱印

    (3)

  • 山王稲荷神社の御朱印

    (4)

(1)摂社日枝神社(日枝神社日本橋摂社、中央区日本橋茅場町)の御朱印。平成17年拝受。

(2)末社・猿田彦神社の御朱印、平成28年拝受。庚申の日に授与。朱印は「猿田彦神社」。

(3)末社・八坂神社の御朱印、平成28年拝受。例祭に授与。朱印は「八坂神社」。

(4)末社・山王稲荷神社の御朱印、平成29年拝受。朱印は「山王稲荷神社」。

昔の御朱印

大正~昭和の御朱印

  • 日枝神社の御朱印

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  • 日枝神社の御朱印

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  • 日枝神社の御朱印

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(1)大正10年頃の御朱印。上の朱印は「官幣大社日枝神社印」、下は「官幣大社日枝神社社務所印」。

(2)昭和11年拝受の御朱印。中央の朱印は「日枝神社」に替わっている。上下に緑の葵の印。揮毫は変わっていない。

(3)昭和17年の御朱印。朱印は「日枝大社」。同年発行の『惟神の礎』にもこの印が掲載されている。

明治の順拝帳

  • 日枝神社の御朱印

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(1)明治17年の御朱印。揮毫は「官幣中社 日枝神社」。中央の朱印は「日枝神社之印」、左下は「日枝神社社務所印」。

御由緒

江戸名所図会

『江戸名所図会』日吉山王神社(国会図書館デジタルコレクション)

江戸時代には日吉山王神社・日吉山王権現社・江戸山王大権現・麹町山王あるいは広く山王社などと称され、江都第一の大社として尊崇された。日枝神社と称するようになったのは明治元年(1868)のことである。

『江戸砂子』『江戸名所図会』などによれば、慈覚大師円仁が武蔵国入間郡河越(埼玉県川越市)に星野山無量寿寺(現在の喜多院・中院)を建立した際、鎮守として近江国坂本の日吉山王権現(日吉大社)の御分霊を勧請した(川越市小仙波町の日枝神社)。これを文明10年(1478)、河越城主・太田道潅が江戸城を築くに当たり、江戸城内に勧請して鎮守としたのが創祀であるとする。

しかし、熊野那智大社文書の貞治元年(1362)の旦那願文に「豊島郡江戸郷 山王宮」がみえることから、平安時代後期、江戸郷を開発した江戸氏によって祀られたことに始まると考えられている。

天正18年(1590)江戸に入った徳川家康は当社を江戸城の鎮守とし、城内の紅葉山に新社殿を造営した。徳川秀忠の代に半蔵門外の元山王へ移されたが、明暦の大火により社殿等は焼亡、万治2年(1659)現社地に遷座した。

徳川家康以来、江戸城鎮護の神、将軍家の産土神として崇敬され、歴代将軍が将軍宣下を受けると、当社に参拝するのを恒例とした。元和3年(1617)秀忠が社領100石を寄進、さらに家光が500石を加増し、合計600石となった。

また、江戸城外に遷座してからは庶民の参詣も許され、江戸の総鎮守として廣く尊崇されるようになった。当時の別当は天台宗の観理院で、その下に圓成院、成就院など10坊があった。

明治以降も皇城鎮護の神として厚く遇され、明治元年(1868)年に准勅祭社とされた。同5年(1872)府社に列格、同15年(1882)官幣中社に昇格。さらに、大正天皇が氏子地域にお生まれになったことをもって、大正4年(1915)の即位式当日、官幣大社に昇格した。

戦前の絵はがき

戦災前の中門と拝殿(戦前の絵はがき)

旧社殿は万治2年遷座の時に造営されたもので旧国宝に指定されていたが、昭和20年(1945)米軍の空襲により焼失した。

例大祭の山王祭には40基を超える山車や多数の附祭(踊り屋台や練り物)が供奉した。神田神社の神田祭と隔年で江戸城内に入って将軍の上覧に与ったため、ともに「天下祭」と称され、京都・八坂神社祇園祭、大阪天満宮の天神祭とともに日本三大祭の一に数えられる。また山王祭と神田祭に富岡八幡宮の深川祭を加えて江戸三大祭りと呼ぶ。

残念ながら明治以降、主要な道路に電線が架けられたため山車の運行が難しくなり、神輿に取って代わられた。昭和12年(1937)には日中戦争の戦局悪化のため祭礼が中断されるが、同27年(1952)再開された。かつての伝統を復するべく内容を整えた神幸行列が、皇居を含む氏子地域を巡行している。

なお、御旅所となる中央区日本橋茅場町の日枝神社は、当社の境外摂社である。

写真帖

  • 山王鳥居

    表参道の山王鳥居

  • 山王橋

    山王橋と山王鳥居

  • 随神門

    随神門

  • 随神門の扁額

    随神門の扁額「皇城之鎮」

  • 境内末社

    山王稲荷神社・八坂神社・猿田彦神社

  • 山王夢御殿

    祈願所(山王夢御殿)

  • 神猿

    神猿

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

皇居の南西(裏鬼門)の高台に鎮座する。三方に参道があり、それぞれ山王鳥居が建っている。南の参道は屋外エスカレーターで上がれるようになっている。石段も幅広くとっており、古い伝統と近未来的な技術と感性がミックスされ、不思議としっくりとくる光景だ。

日枝神社の概要

名称 日枝神社
旧称 日吉山王権現 江戸山王大権現 麹町山王 山王社
通称 山王さん 山王日枝神社 赤坂日枝神社
御祭神 大山咋神〔おおやまくいのかみ〕
〈相殿〉
国常立神〔くにとこたちのかみ〕
伊弉冉神〔いざなみのかみ〕
足仲彦神〔たらしなかつひこのかみ〕
鎮座地 東京都千代田区永田町二丁目10-5
創建年代 平安末期/文明14年(1478)
社格等 旧官幣大社 元准勅祭社 別表神社
例祭 6月15日(山王祭)
神事・行事 1月1日/若水祭・歳旦祭
1月3日/元始祭
1月6日/奉納書初展感謝奉告祭
1月13日/印章護持祭
1月15日/神符焼納祭
2月3日/節分祭
2月11日/紀元祭
2月17日/祈年祭
3月春分の日/春季皇霊祭遙拝
4月25日/末社山王稲荷神社例祭
4月29日/昭和祭
6月30日/大祓並鎮火祭
7月20日/緑陰朝詣りとラジオ体操の集い開会奉告祭
8月4日/箸感謝祭
8月31日/緑陰朝詣りとラジオ体操の集い閉会奉告祭
旧8月中秋/中秋管弦祭
9月敬老の日/敬老祭
9月20日/山王祖霊祭
9月秋分の日/秋季皇霊祭遙拝
10月17日/神嘗祭遙拝
11月3日/明治祭
11月23日/新嘗祭
12月1日/大麻神札頒布始祭
12月31日/大祓並鎮火祭・除夜祭
庚申の日/庚申祭
文化財 〈国宝〉太刀(銘則宗/附糸巻太刀拵 )〈重文〉太刀14振
巡拝 東京五社 東京十社

交通アクセス

□千代田線「赤坂駅」より徒歩3分
□銀座線・南北線「溜池山王駅」より徒歩3分
□丸ノ内線・千代田線「国会議事堂前駅」より徒歩5分
□銀座線・丸ノ内線「赤坂見附駅」より徒歩8分


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