東大和市の八幡神社は、奈良橋地域の鎮守。創建年代は不詳だが、天正3年(1575)領主の石川太郎右衛門によって社殿が再建されたと伝えられる。明治になって村社に列格、明治の終わり頃、奈良橋村内の諸社を合祀したようである。現在の社殿は昭和7年の改築。
正式名称 | 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
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御祭神 | 誉田別命 大山祇命 大山咋命 素盞嗚命 建御名方命 市杵島姫命 天照坐皇大御神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都東大和市奈良橋1-256 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 上北台(多摩モノレール) 東大和市(西武拝島線) バス停:八幡神社前 |
御由緒
奈良橋の八幡神社は、多摩湖に近い狭山丘陵に鎮座する。周辺は古くから人々が住み着いたところで、神社の境内と周辺からは縄文時代の住居跡(八幡谷戸遺跡)が見つかっている。また、社殿裏の敷地からは旧石器時代の遺跡が見つかった。
創建については不詳である。伝承によれば、古くより鎮守と称し、いかなる神を祀るかはわからなかったという。
ある時、戦からこの地へ落ち延びてきた武士が、社を見つけ、一夜を過ごすことにした。すると、夢に「吾は八幡の神なり。当社によく宿ってくれた。宮が破損しようとしているので、村人に建て替えるよう知らせてほしい」とお告げがあった。そこで翌朝、領主のもとを訪れて、神託を伝えたという。
天正3年(1575)石川太郎右衛門により社殿が再興された。元禄2年(1689)には、その子孫の石川太郎右衛門並岸隼人の尽力により拝殿が建てられた。江戸時代の別当は修験の八幡山覚宝院だった。
現在の社殿は昭和7年(1932)の改築である。
補足
明治初めの時点では八幡社と称していたようである。御祭神を見ると、本来の八幡社の御祭神は誉田別命のみと思われる。明治40年代、奈良橋に鎮座していた大山祇神社(大山祇命)・日枝神社(大山咋命)・諏訪厳島八坂三社(建御名方命・市杵島姫命・素盞嗚命)を合祀したのであろう。天照坐皇大御神は日月神社の御祭神とも考えられるが、未確認。東京都公文書館検索システムで調べると、明治44年(1911)に「奈良橋村八幡社合祀跡地譲与願」が出ているので、この頃に合祀されたのであろう。
御朱印
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(1)
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(2)
(1)平成21年拝受の御朱印。上の朱印は「皇神御璽」、明治の頃に作成された印とのことである。下は「宮司之印」。
(2)平成29年拝受の御朱印。朱印は「八幡神社」。
写真帖
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参道入口
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御嶽神社
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大六天社
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一の鳥居
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手水舎
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二の鳥居
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武内神社
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神明社
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大杉の根株
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浅間神社
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拝殿
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本殿
メモ
参道入口の急な石段を登ると、台地の上に広い境内が広がる。一の鳥居をくぐると、二の鳥居との間に幼稚園がある。
初めて参拝したときは、宮司さんが不在だったため御朱印はいただけなかった。二度目は事前連絡の上で参拝したのだが、その時間帯、宮司さんは忙しく、奥様が対応してくださった。なので、朱印のみ。
御朱印は明治時代に作成されたものを使っているとのことで、そろそろ作り替えたほうがいいのではないかと話しているとのことであった。文字は読みづらいのだが、「皇神御璽」とあるようだ。かえって朱印のみだったおかげで、貴重な印影がそのまま見ることができてよかったかもしれない。
その後、何度か参拝したが、平成29年(2017)改めて新しくなった御朱印をいただいた。1度目は宮司さんのお宅でいただいたが、今回は幼稚園の事務所でいただいた。宮司さんが幼稚園の園長を務めているため、平日であれば幼稚園の事務所に声をかけるのが確実なようである。
八幡神社の概要
名称 | 八幡神社 |
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旧称 | 八幡宮(奈良橋八幡宮) 八幡社 |
御祭神 | 誉田別命〔ほんだわけのみこと〕 大山祇命〔おおやまずみのみこと〕 大山咋命〔おおやまくひのみこと〕 素盞嗚命〔すさのおのみこと〕 建御名方命〔たけみなかたのみこと〕 市杵島姫命〔いちきしまひめのみこと〕 天照坐皇大御神〔あまてらすおおみかみ〕 |
鎮座地 | 東京都東大和市奈良橋一丁目256番地 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月15日 |
交通アクセス
□多摩モノレール「上北台駅」より徒歩約24分
□西武拝島線「東大和市駅」よりバス
■都バス青梅車庫行き・西武バスイオンモール行き「八幡神社前」下車徒歩7分
□JR中央線「立川駅」よりバス
■西武バスイオンモール行き「八幡神社前」下車徒歩7分