田無神社

田無神社

田無神社は、正応年間(1288~93)谷戸の宮山に奉斎されたと伝えられる。古くは尉殿大権現と称した。江戸時代の初め、谷戸の人々が青梅街道沿いに移り住み、田無宿を形成した。これに伴い、正保3年(1646)谷戸の尉殿大権現を田無に分祀。さらに寛文10年(1670)御本社が谷戸から田無に遷座した。明治5年(1572)熊野神社と八幡神社を合祀し、田無神社と改称した。

正式名称 田無神社〔たなしじんじゃ〕
御祭神 級長津彦命 級長戸辺命 大国主命 〈合祀〉須佐之男命 猿田彦命 八街比古命 八街比売命 日本武尊 大鳥大神 応神天皇 八百万の神々
社格等 旧村社
鎮座地 東京都西東京市田無町3-7-4 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 田無(西武新宿線)
バス停:田無三丁目・田無駅
公式サイト http://tanashijinja.or.jp/

御由緒

田無神社は、江戸時代以前は尉殿権現社と称し、田無村の鎮守であった。旧別当の法界山西光寺は、明治維新後に密蔵院・観音寺と合併、田無山総持寺と改称している。

社伝によれば、尉殿権現は龍神を御祭神とし、正応年間(1288~93)谷戸の宮山に鎮座した。一説には建長年間(1249~56)の創建ともいう。谷戸の宮山については、田無第二中学校のプールのあたりではないかといわれている。

当時、このあたりの人々は水の豊かな谷戸周辺に住んでいた。しかし、徳川家康が江戸に入ると、大久保長安の命により、水の不便な青梅街道沿いに移住し、田無宿を形成することとなった。当初は生活用水にも事欠き、毎日、谷戸まで水を汲みに行かなければならず、そのような状況は元禄9年(1696)玉川上水から田無用水が分水されるまで続いたという。

このような状況下で、元和8年(1622)谷戸の尉殿大権現を上保谷に分祀し、鎮守とした。正保3年(1646)田無の現社地にも御分霊を勧請。この時、上保谷の尉殿大権現から級長津彦命(男神)を田無に遷し祀り、田無と上保谷を夫婦神としたという民間伝承がある(上保谷の尉殿神社の御祭神は級長戸辺命である)。

さらに寛文10年(1670)宮山に残っていた御本社を田無の御分社に遷座した。田無神社の境内社・野分稲荷神社の社殿は、正保3年もしくは寛文10年に建てられた旧本殿であるという。

安政5年(1858)田無宿の名主・下田富宅は、江戸から名工・嶋村俊表を招き、本殿を造営した。嶋村俊表は成田山新勝寺の釈迦堂や川越氷川神社本殿の彫刻で知られる。明治8年(1875)建造の拝殿とともに東京都の有形文化財に指定されている。

明治5年(1872)村内の熊野神社、八幡神社を合祀、田無神社と改称した。

御朱印

  • 田無神社の御朱印

    (1)

  • 田無神社の御朱印

    (2)

  • 田無神社の御朱印

    (3)

(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は「田無神社」。

(2)平成22年拝受の御朱印。中央と左下の朱印は「田無神社」。左上に龍神の印。

(3)平成28年拝受の御朱印。朱印は袴に「田無神社」で、田無神社のオリジナル御朱印帳に合わせたデザインであろう。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 赤龍神

    赤龍神

  • 白龍神

    白龍神

  • 手水鉢

    手水鉢(白龍の水)

  • 津島神社・舞殿

    津島神社・舞殿

  • 弁天様

    弁天様

  • 御神木

    御神木

  • 少彦名神社

    少彦名神社

  • 神心の碑

    神心の碑

  • 青龍神と楠木正成像

    青龍神と楠木正成像

  • 銘大鵬石碑

    銘大鵬石碑

  • 野分初稲荷大社・煩大人社・鹽竈社

    野分初稲荷大社・煩大人社・鹽竈社

  • 恵比寿・大黒様

    恵比寿・大黒様

  • 拝殿

    拝殿

  • 覆殿

    本殿(覆殿)

  • 黒龍神

    黒龍神

見どころ

参集殿
昭和10年(1935)建造。玄関は式台構え。座敷が三室並び、上座敷の床の間を神殿に見立てる。透し彫の欄間や磨き丸太の縁桁などを特徴とする近代和風建築で、国の登録文化財。

本殿・拝殿
本殿は安政5年(1858)の造営で、大工は鈴木内匠、彫工は島村俊表。全面に彫刻が施され、江戸の堂宮建築の高度な水準を示す。現在は覆殿の中に納められている。
拝殿は明治8年(1875)の造営。地元の細工による建築で、地域の大工の技術が高い水準を保っていたことを示すという。

楠木正成像
楠木正成の子孫が保谷に移り住み、上保谷の尉殿権現(田無神社の分社)を守護したことから、いつの頃からか田無神社境内に楠木正成の石像が祀られるようになった。かつては武運長久を祈念し、石像の一部を砕いてお守りにしたという。

楠木正成像

楠木正成像(平成22年)

以前は周囲に破魔矢が立てられていたが、現在は覆い屋の中に納められている。

五龍神
田無神社には五行思想に基づいて五龍神が祀られている。中央の本殿に金龍神(級長津彦命・級長戸辺命)、東に青龍神、南に赤龍神、西に白龍神、北に黒龍神。赤龍神・白龍神・黒龍神はそれぞれの色の龍の像を祀り、青龍神は春・木を表すことから巨木の根株に祠を安置する。ただし、以前は赤龍神・白龍神は赤・白の岩を祀っていた。

  • 赤龍神

    赤龍神(平成22年)

  • 白龍神

    白龍神(平成22年)

銘大鵬石碑
平成13年(2001)故・大鵬親方によって奉納されたもの。碑文は親方の筆によるもの、石碑の高さは大鵬親方と同じという。

メモ

住宅地の中に緑豊かな鎮守の森がある。以前から積極的な教化活動に取り組んでいる神社で、境内に入ると、随所にそれが感じられる。昭和の名横綱・大鵬親方が寄進した石碑や土俵があるのは、親方が当社の崇敬会長だったことによるという。

田無神社の概要

名称 田無神社
旧称 尉殿権現社 尉殿大権現
御祭神 級長津彦命〔しなつひこのみこと〕
級長戸辺命〔しなつとべのみこと〕
大国主命〔おおくにぬしのみこと〕
〈合祀〉
須佐之男命〔すさのおのみこと〕
猿田彦命〔さるたひこのみこと〕
八街比古命〔やちまたひこのみこと〕
八街比売命〔やちまたひめのみこと〕
日本武尊〔やまとたけるのみこと〕
大鳥大神〔おおとりのおおかみ〕
応神天皇〔おうじんてんのう〕
八百万の神々
鎮座地 東京都西東京市田無町三丁目7番4号
創建年代 正応年間(1288~93)
社格等 旧村社
例祭 第2日曜日とその前日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月3日/節分祭
2月最初の午の日/初午祭
2月17日/祈年祭
4月29日/春祭り
6月18日/三社祭
6月30日/大祓
7月第2日曜日/津島神社祭
8月15日/慰霊祭
11月酉の日/酉の市
11月23日/新嘗祭
12月31日/大祓・除夜祭
文化財 〈登録有形文化財〉参集殿 〈都有形文化財〉本殿・拝殿

交通アクセス

□西武新宿線「田無駅」より徒歩6分

コメント

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