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伊豆美神社 | 東京都狛江市

伊豆美神社

(平成18年撮影)

伊豆美神社は、寛平元年(889)北谷村大塚山(現・元和泉2)に創建されたと伝えられる。元は六所宮と称していた。天文19年(1550)多摩川の洪水のため、現社地に遷座した。明治2年(1869)社号を伊豆美神社と改めた。

正式名称 伊豆美神社〔いずみじんじゃ〕
御祭神 大国魂大神 小野大神 小河大神 氷川大神 秩父大神 金鑚大神 杉山大神
社格等 旧郷社
鎮座地 東京都狛江市中和泉3-21-8 [Mapion|googlemap]
北多摩地域の神社
北多摩地域の神社の御朱印。大國魂神社・谷保天満宮・小野神社・小金井神社・阿豆佐味天神社・諏訪神社・豊鹿嶋神社・小平神明宮・田無神社・東伏見稲荷神社・武蔵野八幡宮・青渭神社・国領神社・虎狛神社・布多天神社・伊豆美神社など29社
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御朱印

伊豆美神社の御朱印 伊豆美神社の御朱印 none
(1) (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は「伊豆美神社印」、右上は十六菊の神紋。

(2)平成29年拝受の御朱印。上の朱印は「伊豆美神社印」、下は中央に万葉歌碑(玉川碑)、周囲に「史跡狛江伊豆美神社」。右上の墨書は「六合攸曜」で、二の鳥居に刻まれた文字の一節。

御由緒

扁額

拝殿内の扁額「伊津美神社」有栖川宮幟仁親王筆

御祭神

■主祭神 大國魂大神
■一の宮 小野大神
■二の宮 小河大神
■三の宮 氷川大神
■四の宮 秩父大神
■五の宮 金鑚大神
■六の宮 杉山大神

府中市の大國魂神社の御祭神と同じ。

■相殿 水波能咩大神

明治42年(1909)に合祀した水神社(旧社地に鎮座する現・境外末社の水神社)の御祭神。

御由緒

水神社(旧社地)

伊豆美神社の旧社地に鎮座する水神社

伊豆美神社は、古くは六所宮・六所明神社と称し、和泉村の鎮守であった。旧別当は本山修験の行宝院(廃寺)だった。

社伝によれば、寛平元年(889)9月20日、北谷村大塚山(現在の元和泉2丁目、境外末社の水神宮があるあたり)に奉斎されたとされる。特に由緒書には触れられていないが、府中の六所宮(大國魂神社)を勧請したものであろう。

天文19年(1550)多摩川の洪水で社地が流失したため、現社地に遷座した。この時、現在御霊神社が祀られている場所に仮宮が営まれたと伝えられる。

江戸時代、和泉村は旗本の石谷氏・松下氏と彦根藩井伊氏の三給支配となっており、毎年9月20日の例祭には若干の金穀の奉納があった。特に石谷氏は村内泉龍寺近くに陣屋を構え、当社を保護したという。

寛永18年(1641)石谷清政と弟の石谷貞清、及び和泉・猪方両村の氏子が社殿を再建した。慶安4年(1651)には石谷貞清が石鳥居(二の鳥居)を奉納している。

明治元年(1868)神仏分離令により行宝院が復飾して神職となった。翌明治2年(1869)社号を地名に因んで伊豆美神社と改称した(当初は伊津美乃神社と書いたという)。明治4年(1871)村社に列格、明治16年(1883)郷社に昇格。

明治31年(1898)現在の社殿を造営(※武蔵野郷土史刊行会『多摩の歴史 5』による)。

明治41年(1908)村内の天神社と熊野神社を末社・神明宮に合祀。明治42年(1909)水神社を本社に、諏訪神社・白幡神社を末社・稲荷神社に合祀している。

境内

一の鳥居と社号標

参道入口の社号標と一の鳥居。社殿まで約100メートルの参道が続く。

二の鳥居

二の鳥居、狛江市指定重宝。慶安4年(1651)石谷貞清が奉納した市内最古の石鳥居。小ぶりで、世田谷区の喜多見氷川神社にある承応3年(1654)寄進のものとよく似ている。

石谷貞清は当地を領した石谷清政の弟で、島原の乱や慶安の変(由井正雪の乱)で活躍し、江戸北町奉行を務めた旗本である。

二の鳥居縣額

二の鳥居の縣額。

狛犬

参道の狛犬。

手水舎

手水舎。

靖国神社・神明宮

境内社の神明宮(右)と靖國神社(左)。

神明宮の御祭神は天照皇大神・豊受皇大神・素盞嗚尊・熊野大権現・柳久保稲荷大明神・水速能売大神・菅原道真公霊位。元は八雲神社と称したが、明治41年(1908)に天照皇大神・水速能売大神を増祀して神明宮と改称、さらに村内の天神社と熊野神社を合祀した。

福徳稲荷神社・諏訪神社

福徳稲荷神社・諏訪神社。御祭神は福徳稲荷大明神・諏訪大明神・建御名方主大神・白幡菅原朝臣・源頼朝公霊位。明治42年(1909)末社の稲荷神社に村内の諏訪神社と白幡神社を合祀した。

石祠

石祠。左から山際神社・疱瘡神社・厳島神社。

開港記念碑

開港記念碑(故正四位上左近衛中将井伊直弼公敬慕碑)。彦根藩主で大老を務めた井伊直弼の功績と、井伊家に儒者として仕えた小町雄八の遺徳を顕彰するため、明治34年(1901)に建立された高さ約4mの石碑。井伊直弼を顕彰する碑としては初めてのものであるという。和泉村の一部が井伊家の所領であったこと、小町雄八が和泉村の出身だったことなどによるという。平成27年、狛江市の重宝に指定された。

神楽殿

神楽殿。

拝殿

拝殿。格天井には全国から献じられた和歌が書かれているそうだ。

拝殿の扁額

拝殿の扁額「伊豆美神社」。

扁額

拝殿の内部には有栖川幟仁親王の筆になる「伊津美神社」の扁額がある。『狛江市史』によれば、明治3年(1870)から6年(1873)頃は「伊津美」と書いていたが、明治6年から13年(1880)頃には「伊豆美」の表記が見られるようになり、やがて「伊豆美」に固定されていったという。因みに明治12年(1879)の神社明細帳では「伊豆美神社」となっている。

本殿(覆殿)

本殿(覆殿)。

御霊神社(仮宮跡)

本殿の東25メートルほどのところにある御霊神社。天文19年(1550)多摩川の洪水で社地が流失して現在地に遷座したが、当初は此処に仮宮が営まれたと伝えられる。

水神社

水神社(旧社地)

境外末社の水神社は、伊豆美神社の南西約300メートルほどの多摩川近くに鎮座する。もともと伊豆美神社はこのあたりに鎮座していたが、天文19年(1550)多摩川の洪水で社地が流失し、現在地に遷座。慶長2年(1597)多摩川の水害を鎮めるため、その跡地に水神社を創建した。御祭神は水波能売神で、六郷用水を開削した小泉次大夫を合祀する。現在の石祠は明治22年(1889)六郷用水の恩恵を受けた和泉村他13ヶ村によって奉納されたものという。

玉川碑跡

玉川碑跡

東京都指定旧跡。伊豆美神社の西方約400mの神社所有地(中和泉4)にある。
元の玉川碑は、文化2年(1805)元土浦藩士・平井薫威によって建立された。『万葉集』の東歌の歌碑で、碑文は松平定信の筆であったが、文政12年(1892)洪水で流失した。
大正11年(1922)定信を敬慕する三重県の篤志家・羽場順承が碑の拓本を入手して再建を計画、渋沢栄一に協力を求めた。同年、東京府が碑の所在地を認定し、大正13年(1924)除幕式が行われた。

メモ

住宅地の中に鎮守の森がある。社殿は府中の大國魂神社と同じく北向きで、北に向かって約120mの参道が延びる。細長い境内なのだが、緑が多いため、実際より広く感じられる。
初めての参拝時に驚いたのは井伊直弼の顕彰碑。なぜ狛江にというのも不思議だったが、明治に井伊直弼の顕彰碑を建てるというのは大変なことだと思われたからだ。調べてみると、井伊直弼を顕彰する碑としては最初に建てられたものだとのこと。
なお、当社は調布市の式内論社・虎狛神社を兼務しており、御朱印をいただくことができる。

伊豆美神社の概要

名称 伊豆美神社
旧称 六所宮 六所明神社
御祭神 大国魂大神〔おおくにたまのおおかみ〕(大国主尊)
〈一の宮〉
小野大神〔おののおおかみ〕
〈二の宮〉
小河大神〔おがわのおおかみ〕
〈三の宮〉
氷川大神〔ひかわのおおかみ〕
〈四の宮〉
秩父大神〔ちちぶのおおかみ〕
〈五の宮〉
金鑚大神〔かなさなのおおかみ〕
〈六の宮〉
杉山大神〔すぎやまのおおかみ〕
〈相殿〉
水波能咩大神〔みずはのめのおおかみ〕
鎮座地 東京都狛江市中和泉三丁目21番8号
創建年代 寛平元年(889)
社格等 旧郷社
例祭 9月敬老の日の前日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月3日/節分祭
2月初午日/初午祭
2月20/祈年祭
8月1日/諏訪八雲神社例祭
9月15日/靖國神社例祭
11月20日/新嘗祭
12月31日/大祓祭・除夜祭
文化財 〈都旧跡〉玉川碑跡

交通アクセス

□小田急小田原線「狛江駅」より徒歩約13分、またはバス
■小田急バス多摩川住宅中央行き「南和泉」下車徒歩2分
□小田急小田原線「和泉多摩川駅」より徒歩約15分
□京王線「調布駅」よりバス
■北口より小田急バス狛江駅北口行き「狛江市立緑野小学校」下車約8分
■南口より小田急バスつつじヶ丘駅南口行き「狛江市立緑野小学校」下車約8分

更新履歴

2006.07.25.公開
2017.07.23.改訂、WPへ移行、御朱印・画像を追加。
2024.07.24.更新、画像を追加。

東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。
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