半田稲荷神社

半田稲荷神社

半田稲荷神社は、和銅4年(711)あるいは永久年間(1113~18)の創建と伝えられる。江戸時代には広く信仰を集めた。特に享保から文化の頃(1716~1818)が最盛期で、常に参詣者の絶えることがなかったという。文化・文政の頃(1804~31)赤い衣装に半田稲荷の幟を持った願人坊主が歌い踊りながら江戸市中を廻り、その姿は歌舞伎や舞踊でも演じられた。

正式名称 半田稲荷神社〔はんだいなりじんじゃ〕
御祭神 倉稲魂神 佐田彦神 大宮女神
社格等 旧村社
鎮座地 東京都葛飾区東金町4-28-22 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 金町(JR・京成)
バス停:半田稲荷前・半田小学校入口
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御由緒

半田稲荷神社は麻疹・疱瘡・安産の霊験で知られ、江戸時代には飯塚の夕顔観音(西水元の安福寺)や渋江の客人大権現(東四つ木の渋江白髭神社)とともに葛西を代表する流行神として広く信仰を集めた。旧別当は天台宗の日照山三宝院(廃寺)。

延享4年(1747)の火災で記録が失われたため創建年代は不詳だが、一説に和銅4年(711)あるいは永久年間(1113~18)のこととされる。社宝として建武2年(1335)の板碑、享徳4年(1455)の足利成氏の願文を蔵することから、創建の古いことがわかるという。

田畑の間にあることから「半田」の号が起こったとされるが、一説にはかつて二郷半領半田村(埼玉県三郷市半田)に鎮座しており、享保年間(1716~36)に現社地に遷座したことから「半田稲荷」と呼ばれるようになったともいう。

享徳4年(1455)古河公方・足利成氏は分倍河原の合戦に際して当社に願文を納め、戦勝を祈願した。戦後、奉賽として社殿などを修造したと伝えられる。

江戸時代には広く信仰を集め、社頭は繁栄した。特に享保年間(1716~36)から文化年間(1804~18)の頃が最盛期で、尾張・紀伊両藩の藩士をはじめ、大奥の女中、諸侯の家臣、多くの講中の江戸の町衆など、常に参詣人が絶えなかったという。

文化・文政の頃(1804~31)には、真っ赤な法衣を身にまとい、同じく赤い頭巾の鉢巻きと脚絆という赤づくめの願人坊主が、手には「半田稲荷大明神」と書かれた赤い幟を持ち、胸には引換の白狐を入れた小筺を掛け、「葛西金町半田の稲荷、疱瘡もかるい、麻疹もかるい、運授 安産 ご守護の神よ」と歌い踊り、江戸の市中から全国を廻り歩いた。それが大変評判になったようで、当時の地誌や随筆に記され、歌舞伎や舞踊でも演じられた。

延享4年(1747)火災で社殿が焼失、寛延2年(1749)に再建された。その後、弘化2年(1844)尾張徳川家の立願により造営されたのが現在の社殿である。上棟祭には藩主・徳川慶勝をはじめ、家臣や奥女中が参列して盛大に行われたという。

明治の神仏分離に際し、小管県の命により旧別当・三宝院三十五世住持は復飾して神職となり、三宝院は廃寺となった。明治7年(1874)村社に列格した。維新後は「稲荷神社」と称していたようだが、明治15年(1882)2月、許可を得て半田稲荷神社と改称した。

『新編武蔵風土記稿』には末社として稲荷十五神合社が記されているが、現在の白狐殿がそれに当たるものと思われる。白狐殿は、御本宮である伏見稲荷大社に倣い、白狐を祀ったものという。その前には石灯籠や神狐が並んでいるが、なかでも寛永元年(1748)に奉納された神狐は区内で一番古いものという(区登録有形文化財)。

御朱印

  • 半田稲荷神社の御朱印

    (1)

  • 半田稲荷神社の御朱印

    (2)

(1)平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は抱き稲の神紋。右下と左上の印は火焔宝珠に「半田社」。

(2)平成28年拝受、書き置きの御朱印。中央の朱印は「半田稲荷」、右下は火焔宝珠に「半田社」。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 神泉遺構

    神泉遺構

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 白狐殿

    白狐殿

  • 白狐殿神狐

    白狐殿 区内最古の神狐

  • 白狐殿社殿

    白狐殿社殿

  • 境内社

    境内社

  • 拝殿

    拝殿

  • 社号額

    社号額(中村正直筆)

  • 鏝絵

    拝殿向拝天井の鏝絵

  • 本殿

    本殿

メモ

現在は住宅地の中の静かなお社であるが、かつての繁栄の名残を随所に見ることができる。
境内の神泉井は、現在は枯れているが、当時の遺構が残されている。玉垣には市川団十郎や尾上菊五郎といった歌舞伎の人気役者の名前が見える。
拝殿の向拝の天上には、珍しい大きな鳳凰の鏝絵がある。社号額は中村正直の筆。中村正直は明治の啓蒙思想家・教育者で、東京大学教授・女子高等師範学校長などを歴任。サミュエル・スマイルズの『自助論』を『西国立志編』として邦訳し、大ベストセラーとなったことでも知られる。

半田稲荷神社の概要

名称 半田稲荷神社
旧称 半田社 稲荷神社
御祭神 倉稲魂神〔うがのみたまのかみ〕
佐田彦神〔さだひこのかみ〕
大宮女神〔おおみやめのかみ〕
鎮座地 東京都葛飾区東金町四丁目28番22号
創建年代 和銅4年(711)
社格等 旧村社
例祭 4月8日前後の土・日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月初午/初午祭
6月初旬/雷神祭
6月末/夏越しの祓
11月23日/新嘗祭
12月31日/年越しの祓

交通アクセス

□金町駅(JR・京成)より徒歩13分、またはバス
■東武バスみさと団地・三郷駅・三郷中央駅行「半田稲荷前」下車徒歩2分
■京成タウンバス・マイスカイ交通三郷駅南口行「半田小学校入口」下車徒歩1分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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