新宿日枝神社は、水戸街道の宿場・新宿町の鎮守。創建年代は不詳だが、旧別当の山王山鏡智院が開創された永禄2年(1559)の頃に勧請されたものであろうという。元は今よりやや西に鎮座していたが、享保14年(1724)中川の開削工事のため、鏡智院の境内(現社地)に遷座したと伝えられる。
正式名称 | 日枝神社〔ひえじんじゃ〕 |
---|---|
通称 | 新宿日枝神社〔にいじゅく ひえじんじゃ〕 |
御祭神 | 大山咋命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都葛飾区新宿2-1-17 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 亀有(JR常磐線) バス停:新宿一丁目 |
御由緒
新宿日枝神社は、水戸街道の宿場町・新宿〔にいじゅく〕の鎮守で、江戸時代以前は山王権現あるいは山王社と称した。
『新編武蔵風土記稿』は医王山宝蓮寺(真言宗)持ちとするが、享保15年(1730)の社殿棟札によれば、実際には宝蓮寺の門徒の山王山鏡智院(廃寺)が別当だったようだ。山号を「山王山」とすることからも妥当であろう。
別当寺の火災で旧記等が焼失したため創建年代等は不詳だが、鏡智院が開創された永禄2年(1559)の頃に勧請されたのではないかと推測されている。
かつては現在よりやや西の中川の河原に鎮座していた。享保14年(1729)幕命により井沢弥惣兵衛が中川の開削工事を行うことになったため、社地が穢されることを村民たちが懼れ、鏡智院の境内であった現社地に遷し祀った。
翌享保15年(1730)新しい社殿を造営。その後、延享元年(1744)・寛政11年(1799)の2度にわたり改築した。安政2年(1855)の大地震で社殿の一部が破損したため、安政4年(1857)再建された。
宝暦11年(1761)境内社の水神社が祀られた。
明治初年、社号を日枝神社と改めた。鏡智院は廃寺とされた。明治5年(1872)村社に列せられる。明治44年(1911)社殿を改築、昭和6年(1931)神楽殿と神輿庫、昭和11年(1936)幣殿を造営した。
現在の社殿は平成20年(2008)に造営されたものである。
御朱印
平成19年拝受の御朱印。朱印は「日枝神社」。
写真帖
-
一の鳥居
-
二の鳥居
-
よなき稲荷神社
-
水神社
-
手水舎
-
神猿の吐水口
-
神楽殿と神輿庫
-
拝殿
-
本殿
-
仮本殿/神輿庫(平成19年参拝時)
メモ
国道6号線を水戸方面に進み、中川大橋を渡ると左側に鎮座している。朱色の山王鳥居(二の鳥居)が印象的である。参拝時、新社殿の工事中で、ちょうど基礎が完成したところのようであった。御神輿を神座とし、神輿庫を仮本殿としていた。落成は平成20年秋とのこと。
※追記(H21.4.15)
新築成った日枝神社に参拝。素木の権現造の素晴らしい社殿。その他、境内のあちこちにこだわりが見られて楽しい。拝殿前の狛犬は新しいものだが、古い江戸型狛犬の風格を漂わせている。手水舎の水の注ぎ口は日枝神社の神使である猿の親子で、親が持つヒョウタンから水が出るようになっている。水盤には「神猿 魔去る 勝る」の文字が刻まれている。
新宿日枝神社の概要
名称 | 日枝神社 |
---|---|
通称 | 新宿日枝神社 |
旧称 | 山王権現 山王社 |
御祭神 | 大山咋命〔おおやまくいのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都葛飾区新宿二丁目1番17号 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月15日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 旧2月中午の日/祈年祭・初午祭 7月15日/水神まつり 11月23日/勤労感謝祭 12月31日/大祓 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□亀有駅(JR)より徒歩18分、またはバス
■京成タウンバス京成小岩駅行「新宿一丁目」下車徒歩1分
□金町駅(JR・京成)よりバス
■都営バス浅草寿町行「新宿一丁目」下車徒歩1分