八雲氷川神社

八雲氷川神社

正式名称 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕
通称 八雲氷川神社
御祭神 素盞嗚尊 櫛稲田姫命 大国主命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都目黒区八雲2-4-16 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
荏原郡衾村の鎮守。創建年代は不詳だが、旧家に残る文書から宝暦7年(1757)の創建と考えられている。社伝では慶雲4年(707)村人によって創建されたとされる。古くから「癪封じの神様」として広く信仰を集め、遠方から来る参詣者のために宿泊施設が建てられるほどであったという。

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八雲氷川神社の御朱印

  • 八雲氷川神社の御朱印

平成17年拝受の御朱印。朱印は「氷川大神御璽」。

八雲氷川神社について

名称 氷川神社
通称 八雲氷川神社
旧称 氷川社 氷川宮
御祭神 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
櫛稲田姫命〔くしいなだひめのみこと〕
大国主命〔おおくにぬしのみこと〕
鎮座地 東京都目黒区八雲二丁目4番16号
創建年代 慶雲4年(707)
社格等 旧村社
例祭 9月19日(に近い土・日曜日?)
神事・行事 1月19日/祈年祭
2月3日/節分祭
5月19日/夏季中祭
11月23日/新嘗祭

御由緒

衾村(現在の大岡山1・2、平町1・2、中根1・2、柿の木坂1~3、碑文谷5、東が丘1・2、八雲1~5、緑が丘1~3、自由が丘1~3)の鎮守で、旧別当は隣接する金蔵院(真言宗智山派)だった。

創建年代は不詳だが、村内の旧家・栗山家文書に宝暦7年(1757)鳥居建立との記載があることから、それ以前の創建であると考えられている。社伝では元明天皇の慶雲4年(707)村人たちの奉仕によって創建されたとされる。

明治7年(1874)村社に列格。

当社は古くから「癪封じの神」(癪は胆石症、胃痛、虫垂炎、生理痛など胸部または腹部に起こる激痛の総称)として広く信仰を集めた。近郷はもとより千葉県や神奈川県からも参詣者があり、『碑衾町誌』(昭和7年)によれば、社務所のそばに講中宿所が建てられるほどであったという。

本殿脇に御神木のアカガシの根元部分が安置・保存されている。この木の皮を煎じて飲めば癪や咳に効くとされ、皮をはぐ参詣者が後を絶たなかったため、枯死してしまったという。なお、大正3年(1914)都新聞(現在の東京新聞)に当社の御神木から夜中に呻るような叫び声が発されるという記事が載り、「氷川様の呻り樫」として評判になったという話もある。

本殿内陣の宝殿には文化14年(1817)の銘があり、また本社改築の棟札には安政2年(1855)とある。昭和51年(1976)拝殿の全面改修が行われた。

昭和57年(1982)奥宮が放火で焼失したが、同年再建された。

9月の例大祭では神楽殿で「剣の舞」が奉納される。両手に剣を持ち、速いテンポで舞うもので、素盞嗚尊の八岐大蛇退治に因むものという。

なお、他の氷川神社と区別するために鎮座地の町名を冠して八雲氷川神社と通称するが、この八雲という町名は当社に由来する。かつては衾村の中心地で会ったことから衾町と称していたが、住居表示の実施に当たり、「衾」が当用漢字にないことから新しい名称がつけられることになった。そこで、当社の御祭神・素盞嗚尊が詠んだ「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」という歌に因み、八雲という名称が決まった。

新編武蔵風土記稿

氷川社

境内除地、字東根にあり。当村の鎮守とす。本社は九尺四面にて拝殿は四間に三間、共に東向なり。草創の年歴詳ならず。されど境内のさまを見るに、年ふる松樹その余諸木繁茂して、いかにも旧き社地と見えたり。拝殿より凡八十間を隔てゝ鳥居をたつ。

碑衾町誌

氷川神社

「衾の氷川神社」は今や単なる衾の鎮守としてのみの存在ではない。その祭礼九月十九日には近郷近在はおろか、遠く他府県からも参詣者が陸続として殺到し、近年社務所の側に講中宿所さえ出来、愈々盛大ならんとしてゐる。その繁栄の当初の年代は分明しないが、幕末頃からそのきざしはあつたらしい。世間では専ら癪の神様としてゐる。社格は村社、明治七年四月の定めである。(後略)

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 地蔵尊

    地蔵尊

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 三の鳥居

    三の鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 拝殿

    拝殿

  • 神号額

    神号額

  • 天水桶

    天水桶の神紋

  • 御神木

    御神木のアカガシ

  • 本殿

    本殿

  • 奥ノ宮

    奥ノ宮

メモ

東急東横線・都立大学駅から徒歩10分足らずの住宅街に鎮座する。一の鳥居から150mほどの参道を進むと、緑に覆われた境内に木造の社殿がたたずむ。『新編武蔵風土記稿』に松の老樹やその他の木が繁茂して、いかにも古くからの社地のようだとあるが、今なおその雰囲気を残した神域である。


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