上田端八幡神社 | 東京都北区

上田端八幡神社

正式名称 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕
通称 上田端八幡神社
御祭神 品陀別命
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都北区田端4-18-1 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
上田端八幡神社は田端村のうちの上田端の鎮守である。社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が奥州からの凱旋の帰途、鶴岡八幡宮を勧請したことに始まると伝えられる。

目次

上田端八幡神社の御朱印

  • 上田端八幡神社の御朱印

平成18年拝受の御朱印。朱印は「上田端八幡神社之印」。

上田端八幡神社について

名称 八幡神社
通称 上田端八幡神社
御祭神 品陀別命〔ほんだわけのみこと〕(応神天皇)
鎮座地 東京都北区田端四丁目18番1号
創建年代 文治5年(1189)
社格等 旧無格社
例祭 8月14日前後の日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月節分/節分祭
5月14日/中祭
6月25日/大祓式
8月5日/白鬚神社祭
12月25日/大祓式

御由緒

田端村には八幡社が二社あり、それぞれ村の鎮守であった。上田端八幡神社は上田端の鎮守。別当は真言宗の和光山大龍寺で、当社はその境内にあった。因みにもう一社は田端八幡神社で、下田端に鎮座する。

社伝によれば、文治5年(1189)年、源頼朝がこの地の豪族・豊島氏などとともに奥州藤原氏を平定した帰途、鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられる。この由緒は下田端鎮守の田端八幡神社と同じである。

境内社には白鬚神社・稲荷神社・大山祇神社がある。このうち、白鬚神社は俗に三角屋敷と呼ばれた現在の田端中学校辺りにあり、大正の初めに上田端八幡神社の境内に遷座した。『新編武蔵風土記稿』などに記されている有名な「争いの杉」は当社の御神木だった。樹齢数百年の杉の大木だったが、遠くから見ると枝振りが松のようにも見えたため、見る人が杉だ、松だと言って争ったことからその名がついたという。大正の頃に枯死したようである。

写真帖

  • 鳥居

    一の鳥居

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 境内社

    境内社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

兼務社なので普段宮司さんはいらっしゃらない。管理の方がいらっしゃれば、御朱印のみいただくことができる(墨書はなし)。お話によれば、字も書いてくれと無理を言われ、嫌な思いをされることもあるようだ。御同好の皆さん、ぜひ御配慮を。

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