第10番 得度山 切幡寺 | 徳島県阿波市

10番切幡寺

弘法大師がこの山の麓で機を織る娘に布を所望したところ、娘は惜しげもなく織りかけの布を裁ち切って布施した。感銘を受けた大師は、娘の望みによって千手観音の像を刻むとともに、娘を得度させて灌頂を授けた。すると娘はたちまち即身成仏して千手観音の姿となった。大師はこのことを嵯峨天皇に奏上し、一寺を建立して自ら刻んだ千手観音の像を南向きに、娘が即身成仏した千手観音を北向きに安置して本尊としたという。

名称 得度山 灌頂院 切幡寺
御本尊 千手観世音菩薩
本尊真言 おん ばざらたらま きりく
御詠歌 欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障りとぞなる
所在地 徳島県阿波市市場町切幡129 [Mapion|googlemap]
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目次

切幡寺の納経(御朱印)

切幡寺の納経
(1)
10番切幡寺の納経
(2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「千手観音」。中央の宝印は中央に千手観音の種字「キリーク」、その周囲に梵字の「カ」「ラ」「イ」「アク」。密教学では「キリーク」を四つの文字に分解して、それぞれ「原因」「塵垢」「自在」「涅槃」の意とし、「因縁所生にして塵垢にまみれ、自在なき我ら衆生が涅槃を得る」と解釈するという(参照:『真言陀羅尼』坂内龍雄)。四つの梵字はこれに当たると思われるが、未確認。右上の朱印は「四国第十番」、左下は「幡」。

(2)平成28年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

昔の納経

天保11年の納経
(3)
天保12年の納経
(4)
明治38年の納経
(5)

(3)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納経阿州郷(?)」「本尊千手観音」「得度山切幡寺」。中央に宝印はない。右上に「四国拾番」、左下に「幡」の朱印。書体は違うが、「幡」の印は江戸時代から使われていたようだ。

(4)天保12年(1841)の納経。版木押しで、版木・朱印ともに天保11年のものと同じ。

(5)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納阿波国」「本殿千手観音」「得度山切幡寺」。中央の宝印は火炎宝珠に千手観音の種字「キリーク」。上の朱印は「四国第十番」、下は「幡」。

略縁起

寺伝によれば、弘法大師がこの山の麓で、機を織っている娘に布を所望したところ、娘は惜しげもなく織っていた布を断ち切って布施した。感銘を受けた大師は、娘の願いによって、千手観音の像を刻み、娘を得度させて灌頂を授けた。すると娘は身体から光を放ち、たちまち千手観音に化身したという。

大師はこのことを嵯峨天皇に奏上し、勅願によって一寺を建立した。自ら刻んだ千手観音の像を南向きに、娘が即身成仏した千手観音を北向きに安置して本尊とし、得度山・切幡寺・灌頂院と名付けたと伝えられる。

天正年間(1573~92)長宗我部の兵火にかかり、堂塔伽藍24坊を焼失したが、弘法大師が一夜で建立した本堂のみは陛下を免れたと伝えられる。

本堂から少し上ったところにある大塔(国指定重要文化財)は、大阪の住吉大社の神宮寺に豊臣秀頼(もしくは徳川秀忠)が寄進したものである。住吉大社の神宮司には東西二つの塔があった。明治の神仏分離で神宮寺が廃寺になった際、当時の切幡寺の住職が残っていた西塔を買い取り、明治6年(1873)から15年にかけて移築したという。

さらに上に上ると、奥之院の八祖大師がある(※納経可)。

写真帖

本堂
本堂
大師堂
大師堂
大塔
大塔

メモ

切幡山の中腹にある。徒歩なら山門から333段の石段を上がる。車道は少々急だが、本堂のすぐ下まで行くことができる。

切幡寺の概要

山号 得度山(とくどざん)
寺号 切幡寺(きりはたじ)
院号 得度院(とくどいん)
御本尊 千手観世音菩薩
所在地 徳島県阿波市市場町切幡字観音129番地
創建年代 弘仁年間(810~24)
開山 弘法大師
宗派等 高野山真言宗
文化財 〈重文〉大塔

交通アクセス

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