PR

第45番 海岸山 岩屋寺

45番岩屋寺

名称 海岸山 岩屋寺
御本尊 不動明王
所在地 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん

【御詠歌】
大聖のいのる力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある

【略縁起】
奇岩がそびえる典型的な山岳霊場である。寺伝によれば、この山には法華仙人という女性の行者がおり、法華三昧を修して自由に宙を飛ぶことができたという。弘仁6年(815)弘法大師が巡錫した際、法華仙人は一山を献上して往生を遂げた。そこで大師は石と木で不動明王の像を刻み、木の像は本堂を建立して安置し、石の像は岩の中に封じたという。

スポンサーリンク

岩屋寺の納経(御朱印)

  • 岩屋寺の納経

    (1)

  • 45番岩屋寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は不動明王の種字「カーン」に「不動明王」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に梵字「カーン」。右上の印は「四十五番」、左下は「海岸山」。

(2)平成18年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納」「南無大聖不動尊」「海岸山」「岩屋寺」。中央の宝印は勅願所であることを示す五七の桐と十六八重菊の御紋。右上の印は「四国四拾五番」、左下は「海岸山」。

(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納」「本尊不動明王」「海岸山」「岩屋寺」。朱印は天保11年(1841)のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊不動明王」「岩屋寺」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に不動明王の種字「カーン」。右上の印は「四十五番」、左下は「海岸山」。

岩屋寺について

山号 海岸山(かいがんざん)
寺号 岩屋寺(いわやじ)
院号
御本尊 不動明王
所在地 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468番地
創建年代 弘仁6年(815)
開山 弘法大師
宗派等 真言宗豊山派
文化財 〈重文〉大師堂 〈名勝〉岩屋

覚え書き

山号は弘法大師の作と伝えられる「山高き谷の朝霧海に似て 松吹く風を波にたとへむ」という歌に因む。その名の通り、険しい岩壁がそびえ、奇岩が林立する霊場である。かつては「菅生の岩屋」と呼ばれ、大寶寺の奥の院であった。一遍上人が参籠したことでも知られる。
寺伝によれば、この地では法華仙人という女性行者が修行をしていた。法華三昧を成就し、自由に宙を飛んだという。弘仁6年(815)、弘法大師がこの地を巡錫したとき、法華仙人は一山を献上し、往生を遂げたという。そこで大師は石と木で不動明王を一体ずつ刻み、護摩を修した。そして堂宇を建立し、木の不動明王は本堂に納め、石の不動明王は岩窟に封じて、山そのものも本尊とした。本堂が小さいのはそのためという。
本堂脇のはしごを登ったところにある岩屋は法華仙人を祀った仙人堂の跡である。また、本堂へ向かう参道の途中にある穴禅定は弘法大師が修行した跡で、大師が掘ったと伝えられる「独鈷の霊水」が湧く。
奥の院は逼割禅定〔せりわりぜんじょう〕と呼ばれる「白山行場」である(納経あり)。弘法大師御修行の地と伝えられるが、一遍上人もここで修行され、その様子は「一遍聖絵」にも描かれている。

写真帖

  • 山門

    山門

  • 庫裏

    岩壁を背にした庫裏

  • 穴禅定

    穴禅定

  • 本堂

    本堂

  • 仙人堂跡

    仙人堂跡

タイトルとURLをコピーしました