正式名称 | 北野神社〔きたのじんじゃ〕 |
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通称 | 徳丸北野神社〔とくまる きたのじんじゃ〕 |
御祭神 | 菅原道真公 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都板橋区徳丸6-34-3 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | https://tokumarutenjin-kitanojinja.jimdo.com/ |
【由緒概要】
社伝によれば、当地に疫病が流行ったとき、里人の徳麿がお告げを受けて梅の古木に祈願すると、疫病はことごとく去っていった。これは梅を愛した天神様の霊験であるとして、京都の北野天満宮より御分霊を勧請し、長徳元年(995)正月11日に鎮座したと伝えられる。2月11日に行われる「田遊び」は、この時神前で農夫が農作業をする様を演じたのが始まりとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
徳丸北野神社の御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は梅に「徳丸北野神社」、右上は梅鉢の神紋、左下は梅に「北野神社宮司之印」。
(2)平成29年拝受の御朱印。中央の朱印は「徳丸北野神社」、梅の輪郭の中に梅の花をあしらっている。右上と右下に梅鉢、左下に「北野神社宮司之印」。
徳丸北野神社について
名称 | 北野神社 |
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通称 | 徳丸北野神社 徳丸の天神様 |
旧称 | 天神社 天満宮 |
御祭神 | 正一位太政大臣 菅原朝臣道真公〔すがわらのあそんみちざねこう〕 |
鎮座地 | 東京都板橋区徳丸六丁目34番3号 |
創建年代 | 長徳元年(995) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月19日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分祭 2月11日/春季大祭『田遊び神事』 3月20日/祖霊社春季大祭 4月8日/出羽三山神社例祭 5月5日/獅子舞祭 6月30日/大祓式 7月7日/七夕祭 9月秋分の日/祖霊社秋季大祭 12月31日/大祓式・除夜祭 |
文化財 | 〈重要無形民俗文化財〉田遊び |
御由緒
徳丸本村の鎮守。元は天神社あるいは天満宮と称した。江戸時代、現在の板橋区域内では唯一神主がいた神社で、宝永7年(1710)吉田家より祠官許状を授かっている。
当社に所蔵する『武蔵国豊嶋郡徳丸郷天神宮紀』によると、その昔、この地に一本の梅の古木があったという。
正暦年間(990~994)この辺りに疫病が流行り、多くの里人が亡くなった。ある夜、徳麿という里人の夢に大神が現れ、梅の古木に祈願するよう告げた。徳麿がお告げの通り梅の木に祈ったところ、不思議な霊験があって疫病はことごとく去っていった(なお、徳丸の地名は徳麿の名に因むという伝承があるという)。
梅は菅原道真公の愛するところであり、この霊験は天神様によるものに違いないとして、山城国の北野天満宮より御分霊を勧請し、祠を建てて祀ることとなった。
御鎮座は長徳元年(995)正月11日。この時、神前で農民が農作業をする様子を演じ、神威を安んじた。今に伝わる「田遊び」の始まりで、創建以来一度も休むことなく続けられているという(現在は2月11日に行われる)。江戸時代には幕府より田遊免と称して、田遊びの費用のための田地が附されていた。
明治3年(1870)浦和県庁に「北野神社」への改号届けを出し、同6年(1873)東京府より社号改正を申しつけられる。明治5年(1872)村社に列格する。
当社の田遊びは赤塚諏訪神社とともに「板橋の田遊び」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。また、5月5日に行われる獅子舞は板橋区指定の無形民俗文化財である。
写真帖
メモ
高島平の駅から南へ歩いて10分余、北野神社の周辺は、新興住宅地に昔ながらの農家のたたずまいがわずかに残り、かつての農村風景をかすかに感じさせる。
境内はきれいに整備され、スッキリとした印象。参道には、あまり都心部では見られない出羽三山神社が祀られている。
御朱印をお願いして待つ間、宮司の奥様が冷たい麦茶でもてなしてくれた。夏の日差しの中を歩いてきた身には本当に有難かった。
2月の田遊びは平成24年に拝見。かつての農村風景が失われてしまった中で、このような古風な農村の行事が受け継がれていることに感銘を受けた。
※徳丸北野神社では、兼務社の四葉稲荷神社・大松氷川神社・北町浅間神社の御朱印もいただける(平成29年現在)