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南豫護國神社 | 愛媛県宇和島市

南豫護國神社

南豫護国神社は、大正3年(1914)宇和島藩の初代藩主・伊達秀宗と5代藩主・村候、7代藩主・宗紀、8代藩主・宗城を御祭神として創建された。当時は宇和島城の別名である鶴島城に因み、鶴島神社と称していた。昭和20年(1945)に戦災で焼失、戦後の再建に際して南予出身の護国英霊を合祀し、昭和30年(1955)現社号に改めた。

正式名称 南豫護国神社〔なんよごこくじんじゃ〕
旧称 鶴島神社〔つるしまじんじゃ〕
御祭神 伊達秀宗公 〈相殿〉伊達村候公 伊達宗紀 伊達宗城〈合祀〉護国の英霊
社格等 旧県社
鎮座地 愛媛県宇和島市丸ノ内3-1-149 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 ※宇和島駅(JR予讃線)
バス停:市立病院前
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御朱印

御朱印は丸ノ内和霊神社(宇和島市丸之内1-4-3)でいただくことができる。

  • 南豫護國神社の御朱印

    (1)

(1)平成20年拝受の御朱印。中央の朱印は「南豫護國神社印」、右上は「宇和島市鎮座」。

昔の御朱印

  • 南豫護國神社(鶴島神社)の御朱印

    (1)

(1)昭和17年の御朱印。朱印は「縣社鶴嶋神社」。

御由緒

御祭神

初代藩主・伊達秀宗を主祭神とし、5代・村候〔むらとき〕、7代・宗紀〔むねただ〕、8代・宗城〔むねなり〕を配祀する。また戦後、西南の役から第二次世界大戦に至る南予出身の護国英霊7千余柱を合祀した。

■伊達秀宗公
宇和島藩の初代藩主。天正19年(1591)伊達政宗の庶長子として誕生した。文禄3年(1594)政宗とともに豊臣秀吉に拝謁、人質として伏見城で養育された。慶長元年(1596)秀吉の猶子となり元服、偏諱を受けて秀宗と名乗った。慶長14年(1609)徳川家康の命により、徳川四天王の一人・井伊直政の娘を正室として迎える。慶長19年(1614)大坂冬の陣には父とともに参陣し、初陣を飾った。その功績により伊予国宇和郡10万石を拝領、翌元和元年(1615)宇和島城に入った。明暦3年(1657)家督を宗利に譲り、翌明暦4年(1658)6月8日、江戸藩邸で没した。

■伊達村候公
第5代藩主。宇和島藩中興の英主と称えられる。享保10年(1725)第4代藩主・村年の長男として生まれる。享保20年(1735)父の死により藩主となる。就任以来、農政改革や地方行政の強化を進めるとともに、ハゼの栽培や製蝋、製紙などの奨励や漁業の振興など殖産興業を行った。また、二十五ヶ条の定書を発して文武の奨励、賭博・好色の禁止、倹約の励行、役職勤務の出精など家中の士風刷新に努めた。さらに藩校・内徳館(後の明倫館)を開設、藩士の子弟のみならず農民・町人でも希望すれば参加することを認めた。60年に及ぶ治世で藩政改革に尽力し、三百諸侯中屈指の良主と称された。寛政6年(1794)9月14日没。

■伊達宗紀公
第7代藩主。寛政4年(1792)第6代藩主・村寿の長男として生まれた。文政7年(1824)父の隠居に伴って藩主に就任、藩政の改革に乗り出した。倹約令を出すとともに、大坂商人に藩債の200ヶ年年賦償還を認めさせ、藩士負債引き捨てと救助米給付を行った。ハゼ蝋の専売化、特産品の保護、融通会所の設置による商業の振興、救恤・灌漑や農民教化、検地の実施などを行う一方、文武教育の励行、高島流砲術の導入なども行った。天保15年(1844)8代・宗城に家督を譲った時には6万両の備蓄があったという。国名勝の天赦園は、慶応2年(1866)宗紀が隠居所内に築いた回遊式庭園である。明治22年(1889)11月25日没。98歳であった。

■伊達宗城公
第8代藩主。福井藩の松平春嶽・土佐藩の山内容堂・薩摩藩の島津斉彬とともに幕末の四賢侯と称される。文政元年(1818)大身旗本・山口直勝の二男として誕生した。祖父・山口直清が5代藩主・村候の二男であったことから7代藩主・宗紀の養嗣子となった。弘化元年(1844)養父の隠居により藩主に就任。先代からの藩政改革を引き継いで殖産興業や文武教育の振興に努め、更に高野長英や村田蔵六(大村益次郎)を招いて洋式軍備の導入を図った。安政5年(1858)将軍後継問題で一橋慶喜を推し、大老・井伊直弼と対立したことから安政の大獄で隠居謹慎を命じられ、家督を宗紀の子・宗徳に譲った。しかし、その後も実権を握り続け、謹慎を解かれた後は再び幕政に関与。公武合体派として活動した。維新後、明治2年(1869)民部卿兼大蔵卿に就任、翌明治3年(1870)民蔵分離により大蔵卿専任。明治4年(1871)欽差全権大臣として清に遣わされ、日清修好条規を締結した。明治17年(1884)華族令により宇和島伊達家は伯爵となるが、明治24年(1891)維新における宗城の功績により、宗徳が侯爵に陞爵された。明治25年(1892)12月20日東京今戸邸で没。

御由緒

鶴島神社(南豫護國神社)

鶴島神社(戦前の絵葉書)

南豫護国神社は、元は鶴島神社と称し、大正3年(1914)宇和島藩の藩祖・伊達秀宗と名君として名高い5代藩主・村候、7代藩主・宗紀、8代・宗城を祀る神社として創建された。

明治44年(1911)12月に中原渉、吉田百三、宇都宮二郎らが発起人総代となって神社創立を願い出た。翌大正元年(1912)10月に許可を得、大正3年(1914)4月、藩祖・伊達秀宗の入国三百年を記念して社殿を造営。宇和島城の別名である鶴島城に因んで鶴島神社と号し、県社に列格した。

※大正2年(1913)創建とする資料も多いが、大正8年(1919)の『宇和島案内』などに大正3年創立とあること、渋沢栄一寄進の狛犬に大正3年4月15日の銘があることなどから大正3年創建とするのが妥当と思われる。ただし、社殿の落成が大正2年、正遷座祭が大正3年ということも考えられるだろう。

社地は城山の南麓・山王台の日吉神社(丸ノ内和霊神社に合祀)跡地を改修。社殿は大阪府の別格官幣社・四條畷神社に倣ったものであった。

昭和20年(1945)戦災により社殿以下主要な建物を焼失。戦後、復興に際して西南の役から大東亜戦争に至る南予出身の護国英霊7千余柱を合祀し、昭和30年(1955)南豫護国神社と改称した。

見どころ

■維新三功臣の碑
大正6年(1917)幕末維新に活躍した3人の宇和島藩士・都築温、伊能友鴎(吉見長左衛門)、得能亜斯登(林玖十郎)を顕彰するために建立された。

■渋沢栄一寄進の狛犬
拝殿前の狛犬は大正3年(1914)渋沢栄一によって寄進されたもの。明治2年(1869)渋沢栄一は明治政府に出仕し、民部省租税司となるが、その時大蔵卿兼民部卿だったのが伊達宗城であった。翌年、民部省と大蔵省は分離し、宗城は大蔵卿専任、栄一は大蔵少丞となっている。

写真帖

南豫護國神社一の鳥居

一の鳥居

南豫護國神社狛犬

狛犬

南豫護國神社維新三功臣の碑

維新三功臣の碑

南豫護國神社生目神社

生目神社

南豫護國神社二の鳥居

二の鳥居

南豫護國神社ニューギニア方面戦没者慰霊碑

ニューギニア方面戦没者慰霊碑

南豫護國神社狛犬

狛犬(渋沢栄一の寄進)

南豫護國神社拝殿

拝殿

南豫護國神社本殿

本殿

メモ

参拝したのは8月のよく晴れた暑い日。境内入り口の鳥居には「護国宮」の扁額が掲げられている。神職常駐の神社ではないが、手入れの行き届いた境内である。

南豫護国神社の概要

名称 南豫護国神社
旧称 鶴島神社
御祭神 伊達秀宗公〔だて ひでむね こう〕
〈相殿〉
伊達村候公〔だて むらとき こう〕
伊達宗紀公〔だて むねただ こう〕
伊達宗城公〔だて むねなり こう〕
〈合祀〉
護国の英霊7千余柱
鎮座地 愛媛県宇和島市丸之内三丁目6番2号
創建年代 大正2年(1913)
社格等 旧県社
例祭 10日5月
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月11日/紀元祭
4月5日/春季慰霊祭
7月14日/夏季大祭(夏祭/輪抜け)
8月15日/英霊祭(南予地区戦没者追悼式)
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□JR予讃線「宇和島駅」より徒歩約17分

諸国神社御朱印集
全国各地の神社を御朱印、由緒、アクセスなどの紹介。伊勢神宮をはじめ旧官国幣社、旧府県社、別表神社、さまざまな由緒を持った神社の由緒と御朱印を都道府県別に紹介する。現代の御朱印の他、江戸時代から明治、大正、昭和戦前の貴重な御朱印、海外廃絶神社の御朱印も掲載。
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