西向天神社 | 東京都新宿区

西向天神社

西向天神社は旧東大久保村の鎮守で、大窪(大久保)天満宮と称されていた。安貞2年(1228)明恵上人が菅原道真公自作の尊像を捧持して東国に下向し、北野天満宮を勧請したことに始まると伝えられる。寛永年間(1624~44)将軍が鷹狩りの際、金の棗入れを下賜し、社殿の再興を促したことから「棗天神」と称された。

正式名称 西向天神社〔にしむきてんじんしゃ〕
御祭神 菅原大神 稲荷大神 秋葉大神 厳島大神
社格等 旧村社
鎮座地 東京都新宿区新宿6-21-1 [Mapion|googlemap]
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目次

御朱印

  • 西向天神社の御朱印

平成17年に拝受した御朱印。中央上の朱印は梅に「武蔵国 大久保郷 西向天満宮」、下は「西向天神社」。

御由緒

西向天神社は、元は大窪(大久保)天満宮と称し、古くからの東大久保村の鎮守である。西向の名は、社殿が西向きになっていることに因む。また、寛永年間(1624~44)将軍家の鷹狩りの際、金の棗〔なつめ〕の茶入れを下賜し、荒廃していた社殿の再興を促したという伝承から「棗天神」とも呼ばれた。

社伝によれば、安貞2年(1228)栂尾の明恵上人が菅原道真公自作の尊像を持って東国に下向し、北野天満宮を勧請したとされる。天正年間に戦火で全焼したが、聖護院宮道晃法親王が東国下向の折、元信大僧都に命じて再興させたという。

境内には神楽殿などのほか、天保13年(1842)築造の富士塚(東大久保富士)がある。

旧別当は隣接する大聖院で、聖護院直末・本山派修験の江戸役所であった。大聖院の境内には太田道潅の山吹の里の逸話で知られる紅皿〔べにざら〕の碑もある。これに因み、西向天神社と大聖院の境あたりに登る坂(というか石段)を山吹坂と称する。

明治5年(1872)村社に列格し、北野神社と改称。同34年(1901)御祭神の菅原道真公一千年祭に際し、西向天神の旧称に復した。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居と参道

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 富士塚

    富士塚(東大久保富士)

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 手水舎

    手水舎

  • 新宿の女歌碑

    「新宿の女」の歌碑

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

  • 山吹坂

    山吹坂

  • 紅皿の碑

    紅皿の碑(大聖院境内)

メモ

緑の茂る小高い岡の上に鎮座する。手入れが行き届いた境内には、神仏習合時代の名残らしい不動明王の石像や「新宿の女」の歌碑などがある。

西向天神社の概要

名称 西向天神社
旧称 大窪天満宮 棗天神 西向天満宮 北野神社
御祭神 菅原大神〔すがわらおおかみ〕
稲荷大神〔いなりおおかみ〕
秋葉大神〔あきばおおかみ〕
厳島大神〔いつくしまおおかみ〕
鎮座地 東京都新宿区新宿六丁目21番1号
創建年代 安貞2年(1228)
社格等 旧村社
例祭 5月25日
神事・行事 1月25日/初天神祭
9月25日/秋の中祭

交通アクセス

□東新宿駅(副都心線)より徒歩6分
□新宿三丁目駅(副都心線)より徒歩8分
□新宿三丁目駅(都営新宿線)より徒歩10分
□若松河田駅(都営大江戸線)より徒歩9分

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